September

ぱーでぃやー。せいどぅーゆーりーめんばー。
ぱーでぃやー。だんしんいんせぷてーんばー。
ぱーでぃやー。ねーばーわずざくらーうでぃでえー。

モーリス様とフィリップ様のファルセットに魅せられて進む月。セプテンバー。

そうか。もう9月なのだ。去年の今頃は、あんなことやったりあんな事やったりしてたなぁ。
あまり変わらずにあまりに多くのことをやっている。

学校業を思い出すと、あの時はあのクラスを担当してたな、と思い出すし、制作業を思い出すと、あー、あの案件やってた頃か、と懐かしくなる。
この一年で、作ったコンテンツは200本以上を数え、放送したラジオ番組は70回を超え、出会った方々はゆうに300人を超え…僕はまだまだ、苛烈にして豊潤な、華燭の人生を生きている。
去年の今頃仲良くしていた子や、今楽しく過ごしている時間との変遷や、様々な記憶をたどる月。September。

「彌榮制作」の屋号を立ち上げて、あっという間にまる5年が経ちました。立ち上げた日はもちろん、9月10日。

このブログもまる20年以上。正気か。いつまで僕はこれを書き連ねているのだ。僕は駄文を書き連ねている。

気がつけば、僕らは目の前を楽しむだけではなく両親をはじめとして家族のこと、自らの健康のこと、仕事における後進や社会のことを考えなければならないようになってきた。生きるとは本当に「様々な方々のおかげなんだ」と感じるような歳になってしまった。若い頃の、誰にでも噛み付いて中指突っ立てるような素振りがし難くなってきた。
でも、それでいいのだ。もともと何も持たずに素っ裸で生まれてきた身。今でこそありがたい眼差しに囲まれているけれど、全部失ったところで、元に戻るだけのことなのだ。だからこそ、こうべを垂れて、今に感謝して(ついに僕がこんな殊勝なことをいうような歳になってしまったみんな褒めて褒めて)。

ま、それはともあれ、本当に
My thought with you. Holding hands with your heart to see you.
Only blue talk and love, Remember the true love we share today.

でありますように。僕の周りのみんなも含めてね。
とにかく、9月は良い月だ。過ごしやすいし、酒は美味いし。
Happyにいきましょ。うん。
素敵な月夜くらい、みんなの幸せを願ってみてもいいよね。

Earth Wind & Fireの曲を聴きながら・・・。
原文:
Ba de ya- say do you remember
Ba de ya- dancin’ in September
Ba de ya- never was a cloudy day
September/Earth Wind & Fire

明日は始業式だね。
学校関連、その他夏休みだった人、頑張ってね。
・・・

・・・
9月1日は、ずっとおんなじ日記。
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—————————-
毎年毎年、この季節が来ると、1年前、5年前、10年前、15年前、20年前を思い出す。
26歳から、執拗なまでの執念で、ブログを続けてきて良かった、と思う。
アフィリエイトもやった。メルマガも出した。このブログから実験したことは全部今の仕事の足しになっている。あんまり得にはなってないのだけれど。いいのだ。僕は常に「何かをわめき続けないと死ぬ病」なのだ。諦めてくれ(僕が)。
若気の至りでわめいているのかと思っていたが、どうやらそうじゃないらしい。むしろ言いたいことは若い頃より沢山貯まってきた。
それにしても僕の人生、あまりにもジェットコースター過ぎるので、そろそろ落ち着いていただきたい。明日から更にブースターが掛かることは承知の上で。
無邪気に自由に。そしてこの世を美しく。
それが僕のテーマです。

組織を離れて6年。想像以上に楽しく生きてます。
むしろ、ここまで楽しく幸せなものだったのかと。
そう思わせてくれているのは、みんなのお陰です。ありがとう。

さあ、明日も編集、明後日も編集だ!そして明々後日は授業だ。フルスロットル!体がぶっ壊れるまで突っ走ります!

ブックカバーチャレンジ

あまりバトン関係やチャレンジ関係はやらないのだけれども。他ならぬ前職の先輩、金野秀彦さんからご指名頂いたブックカバーチャレンジ。お応えしてまいります。しかも、紹介時の本が「本本堂」の「未来派2009/坂本龍一」と来たものだからたまったものじゃありません。僕も全力でお応えしてまいります。 ——————————————————#7日間ブックカバーチャレンジ ★Day1
読書文化の普及に貢献するためのチャレンジ。【目的とルール】
●読書文化の普及に貢献するためのチャレンジで、参加方法は好きな本を1日1冊、7日間投稿する
●本についての説明はナシで表紙画像だけアップ
●都度1人のFB友達を招待し、このチャレンジへの参加をお願いする———————————————————バトンをお渡しする方は、また明日から改めて。金野さんとは一緒にお仕事した期間は少ないですが、よりもっと深くお話ししたかったです。またいつか機会があると信じています…

あまりバトン関係やチャレンジ関係はやらないのだけれども。他ならぬ前職の先輩、金野秀彦さんからご指名頂いたブックカバーチャレンジ。お応えしてまいります。しかも、紹介時の本が「本本堂」の「未来派2009/坂本龍一」と来たものだからたまったものじゃありません。僕も全力でお応えしてまいります。

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#7日間ブックカバーチャレンジ

★Day1

読書文化の普及に貢献するためのチャレンジ。

【目的とルール】

●読書文化の普及に貢献するためのチャレンジで、参加方法は好きな本を1日1冊、7日間投稿する

●本についての説明はナシで表紙画像だけアップ

●都度1人のFB友達を招待し、このチャレンジへの参加をお願いする———————————————————

バトンをお渡しする方は、また明日から改めて。金野さんとは一緒にお仕事した期間は少ないですが、よりもっと深くお話ししたかったです。またいつか機会があると信じています…

朝だ

さあ朝から授業し、18時に帰宅して機材を積みこみ渋谷までドライブ、撮影現場を22時まで行い、その後戻ってモーションを5本仕上げ。その間にラジオ収録。

今日は昼過ぎにラジオ収録2本あり、その後はパンフレットデザイン。深夜テレビ会議。

僕の日常はあまり変わっていない。
社会からはじき出された人間は、こういう時に比較的楽なのだ。失うものないし。地位もないし。職にあぶれる心配も無いし。金が無くなれば作る方法いろいろ試すし。

さあ、朝だ。

まだまだ未熟者

グラフィックデザインもサウンドも、全然まだまだの領域にいることを知る。悔しい。でも同時に「まあ、依頼にお応えする日々の5年で各論のノウハウは溜まったとはいえ、地力を勉強してきてないのだから、言ってみれば当たり前じゃないか」と素直に思う。まだまだ学び続けるからな。

とりあえずレコードを聴く。意味はない。

ものぐさトミーのように

とても不謹慎なことを言ってしまいます。

不肖山本、ありがたくも独立後5年、忙殺に近い状況を経験させていただきました。
「忙しすぎて死んだサラリーマンはいるが、暇で死んだサラリーマンはいない。
 暇で死んだフリーランスはいるが、忙しすぎて死んだフリーランスはいない。」をモットーに、どこまでもどこまでもノーンストップで活動をしてきました。

しかしながら、僕も人間。僕も人間。大事なことなので2回言いました。
明確な多動児たる僕もさすがに疲れるのです。でも、フリーランスたるもの、基本的には「躁的自転車操業」と言いますか、常に新しいものを発見、知見、検証探求実用化、そして実務に生かして営業販売してアフターケアして収益を得る、と言うことを常に常に常に常に繰り返していかなければいけないのです。頭おかしいくらいに走り回っているのです。

そんな僕も、昔一度鬱をやったことがあるように、基本的には引きこもり体質というか自閉体質も持っており、時々「パタッ」と心の扉を閉めて自衛をしなければ、心的栄養分が枯渇してしまうのです。
今までの人生でも3度ほど、半年くらいの引きこもり期を経験して、その度に心的体力を回復してまいりました。

しかし独立してからは、そんな甘えは許されない。心の扉を閉ざしてしまえば、とたんにおマンマの食い上げになってしまう。現代社会の潮流からおいていかれてしまう。
という状況において、

さて、コロナにより緊急事態宣言。

世界が止まっている中では、僕が止まることも、少しだけ許される。
あくまで、僕個人にとってはある種の「一息」になりつつあります。
いやもちろん、仕事自体は続いているし、いわゆる普通の業務はずっと続けていられます。
ただ、毎日数時間ごとに案件が入ってきて何が起きてるかわからないままに次の仕事を仕上げたと思ったら現場に行って帰って原稿書いてラジオ喋ってたら朝が来て授業やって終わったら修正がかかって…みたいな状況からは、一旦抜け出しています。

ちょっと、落ち着いて足と心を休めています。
ゆっくりと、自分のものづくりや小説、個人と対話に向き合っています。

そう、この時間が、僕には必要だったのです。
決して、世界的に幸せな時間ではありませんが、僕にとっては、このひと時を救いとして、また次の価値につなげていきたいな、と思っています。ゆっくりと、過ごしましょう。

みなさま、お元気で。

写真は名作絵本「ものぐさトミー」です。
トミー・ナマケンボの様に生きていきましょう。

悲報

(悲報)
サラリーマン時代の僕、17年間かかって稼いだ額が独立後の直近4年間より少ないことが判明。
(間違っても稼いでるんじゃないの。サラリーマン時代が異常に安略)

でも、アフターコロナ(withコロナ)で、これもどうなるかわからないからね。
僕の財産は収益よりも知見と技術と経験値と信頼。これは正直、サラリーマン時代の1000倍以上だ。このカードで、僕は生きていかないといけないのです。生まれてすみません。

オンライン卒業式

3月最終の週末。僕にとってはBYNDの卒業式。
年に8回あるという超絶時空空間の歪んだこの学校、これで…50回以上の卒業式を経験している。
が、今回はやはりコロナの影響があり、60人近い卒業生をひと場所に集めることは困難という運営判断により、全てライブ配信での卒業式となりました。

もちろん、皆さんが一堂に集まっての卒業式をやりたかった気持ちはありますが、現実の流れを悔やんでいても仕方ありません。

が、一旦会が始まってしまえば…
配信による作品発表、画期的でした。

チャットによる受講生の盛り上がり、我ら出演者チームのリラックスしてかつ楽しい進行(個人的には「空耳アワー」をやってる安西さんの気分でした)。最後を乾杯で締める斬新な卒業式!

ああ、アフターコロナの時代にはこういうスタイルも必要になってくるんだな。これを自在に操れて楽しめる人材が必要になってくるんだな、と改めて思いました。

そして、ビデオグラファー受講生の皆様、卒業おめでとうございます。
本当に本当にこの2ヶ月間(どのクラスもだけど)本当に楽しかった。
今回僕は全クラスを担当させてもらって、全員の顔を覚えて…こんなにたくさんの人に出会えて、その成長を見守ることができて、最後をこのような形で締めさせてもらって、本当に嬉しかった。

毎回同じことを言ってしまうけど、この駄目男、ペテン師野郎、生きててすみませんな僕がこんなにも皆さんに盛り立てていただけていることに、夢か宴かと見惑うばかりの仕事をさせてもらっています。

こんな僕で、皆様に喜んでいただけるならば。
こんな僕で、皆様に価値を提供できるならば。
映像の楽しさにちょっとでも足を踏み込んでもらえるならば。

なんだって頑張るよ。本当に楽しかったよ。

絶対もう一度、世の中が落ち着いたら、卒業証書を渡して全員集合写真撮るからね。
それまでは、みんなは卒業生でもありながら、現役受講生だからね!みんな待っててね!

生きていく術

あるところから、とあるクラシックジャンルでの「無観客コンサート配信」という依頼があった。

そうか。これか。これなのだ。

訳も分からず無節操に活動していた僕の武器は、これなのだろう。こういう有事に「誰に頼めば良いのか分からないふんわりした依頼に」「よく分からないけど知見ありそう(今回で言えばクラシック音楽と映像に)」でニコニコと引き受けてくれる存在として。
(知見があるとは言っていない)

こういう時に「誰かの役に立てる」みたいだ。
ええ、二つ返事で引き受けましたとも。僕ごときで役に立てるならば。

僕の知見を持って、良い画を撮って、良い編集するよ!アニメーションで音符とか飛ばしちゃうよ!モーションアニメの指揮者とか線画の奏者とか登場させちゃうよ!(誰もそんなことは求めていません)

…結局4月も嵐の中で忙しいままに過ぎ去りそうだ。

———————-

そう、なのよね。結局「企画が出来てシナリオ撮影編集デザインイラストナレーションアニメそして仕上げまで。かつ喋りと制作意図説明も営業交渉も」一人でやっちゃうというのは、それぞれのプロからすると「噴飯もの」なのかもしれないけど、こういう時には「安く、コミュニケーションロス少なく、一人とリモートで意思疎通しながらプロの仕事をする」人間が重宝されるんだな、と改めて思った。
まあ僕は死ぬほど忙しく脳みそがあちこちに走り回るのだが(誰か僕の脳みそマネジメントお願いします)。

撮影のプロでも、ナレーションのプロでもない。
でも、なんのプロでなくてもいいの。僕が作る映像は、「お客さんの頭の中にあって、なんか形にしたいもの」を具現化するのが僕の役目なんだな、と。
それが今のお役に立ってるんだな、と。

経済に打撃がある中、僕のような個人でできることがあるなら、どんどん使って価値をアピールしてほしい。事態が落ち着いたときに、経済をまたぶん回せるように。収録だって配信だって、コンテンツの企画づくりだってお手の物だ。なんだったら自分でフレームの中に立つことも厭わない。なんなら紙媒体も作っちゃうよ!(何故かパンフレット系の仕事が増え始めてる…何故だ…)

有事には極力おとなしく、インプットに勤しもうと思っていたのだけれど。
でも、それは欲張りな話。この時勢で依頼が来るものを拒むほど贅沢言っていられない。この春夏もノンストップ!

コロナにおいて

辛辣であることを前提で書く。
気が緩んで外出して大繁殖、となってもそれは致し方ないこと。

個人個人に自粛を要請しても、様々な思想の人間がいる限り統制も抑制もできないし、行動をお互いの「思いやり」とか「国民が一体となって」という曖昧な言葉で強制することはできない。

そのために国家があって強制力を用いることが許される権力を民間が自ら選べる体制となっているのであって、その権力が強制力(そして補填)を行使しなければ、大繁殖は起こり得る。

何度だっていう。大衆はそもそも愚民なのだ。賢く一人一人が自制心をもって組織的に振る舞えたことなど、古代ローマ時代から一度たりともない。更には、そんな「自立したマスゲーム」のような社会を理想としたこともないはずだ。(オーウェルの時代から、思想統制された衆愚自体は揶揄される存在だったはずだ)

いや、「愚か」という言葉が強すぎるのであれば言い換えよう。
様々な思想、それこそ死生観さえ違う大衆に、だれが「健康と生命が最も大事」という思想さえも強制できようか。

「長寿と健康が一番大事ではない」という思想さえも、一つの思想として許されるのが「思想の自由」の根底である(それは医学や法学の規範を覆えすものではあるが)。そして、それはウィルスという媒介の元では「生命と思想」のどちらかを抑圧せねばならなくなった際にどのような選択をするかを求められる。

全体の生命のために、個人の尊厳思想に歯止めをかけるのか、自由思想をもったまま滅亡に向かうのが美しい自由社会の正しい在り方なのか、という大きな思索のタームに入るのである。

ーーーー
と書いたけど、一つ追記がある。

僕は確かに権威とか権力が大嫌いな人間だけど、強いて書く。

「おい権力、ちゃんとしろよ。
あんたらが強制とサポートをちゃんとやれば、尊厳と生命をどっちも守ることができるんやで。あんたらが「できる限り大勢の納得する強制力」を発動すれば、みんな「民主主義で選んだあんさんの意見や。しょうがねえなぁ」ということ聞くはず(聞かなければいけないはず)なんやで」と。

そしてその「できる限り大勢の納得」が間違ってたら、残念や。あなたたちは権力の座から引き摺り下ろされて、別の「国民に選ばれし」別の権力が立つだけだ。それで被害を被ったとしても、選んだ国民の責任だから仕方ない。国民主権とはよく言ったものだ。思う存分やるがよろし。ただ保身は考えるな。精一杯「良かれ」と思った行動をとって、その上で間違ってたら退場するがよろし。