才能

 端的に言ってしまうと、才能があるのに、何か(周辺、運命等)に潰された人間と言うのは居ない。


 少なくとも、僕の周りで、才能のあると思える人間は、何かしら世の中に対して才能を表現し、相応の賞賛を貰っている。


 表現は出来たが、望むほどの賞賛が得られなかった、と言う人も居る。これもまた、その人が望むほどの才能が無いのだ。厳しい言い方だけどね。


 別に何の才能が無くても、飯は食えるし、生きていける。人より優れて無くても、他人と同じであっても、困ることなど、何も無い。


 それなのになんで、「僕は才能がある」「僕は個性的だ」と思い込み、敢えて苦しもうとするのだろうか。


 才能がある人は、必ず世の中に出てくる。


 あなたに才能があれば・・・常に好きなことに対する努力を続けていれば、必ず日の目を見ることがある。(日々の努力もまた、才能の一つだと思う。)


 あなたに才能が無ければ・・・それだけの話。でも、あなたの存在を否定されるものではない。才能や個性の無い人だって(全く無い人など、また居ない)人から愛されない訳じゃない。



 別に人と違ってなくても、才能が無くても、良いんじゃない?不釣合いなオンリーワンや、不相応なナンバーワンなんて、しんどいだけだよ。


 なったこと無いから分んないけど。

部屋番号は335

 ジャズと言うと、中には、古くさい音楽だと思ってる人がいる。まあ、確かに、長い間愛されてきた音楽だから、古いものはあるかもしれない。でも、くさいものは、ないと思うんだけどな。よくは、分からないけどね。


 僕は今、ちょっとだけ古くって、でも、全然くさくない「Room335」と言う曲にはまっています。これはジャズなのか、と言われると困ってしまうのだけれど。何となく文頭に「ジャズ」と書きたかっただけなんだよね。ごめん。


 今僕は「Room335」を、ちょっと古い、と書いたけど、今聴いても全然違和感は無い洒落た曲です。バーやライブハウスはもちろん、近所のスーパーマーケットにかかっていてもおかしくありません。実際、昨日買い物に行った板橋区のスーパー「ライフ」ではBGMにかかっていたよ。それが、どうお洒落なのかは説明できないけど。でも、スーパーのBGMになる曲っていうのは、人の邪魔をしない曲、耳障りじゃない曲、って事だ。人間でも何でも、目障りじゃない、耳障りじゃないものには、それだけでちょっとした大人の余裕と、ちょっとしたお洒落テイストを感じてしまう。何だお洒落テイストって?


  大人を気取りたいわけじゃない。29歳にもなっていて、大人を気取る必要なんて、全くない。むしろ、青臭い曲を聴いて、若者を気取りたい年頃だ。だけど、青い曲も臭い曲も、聴いたことがない。だから、若者を気取ることも出来ないわけで、僕は仕方なく「Room335」で年相応(よりちょっと若い)気分を感じている。


 この曲は、ラリー・カールトンさんという、今や70歳を超えたおじいちゃんが25年程前に作曲、演奏をしたんだけど、彼の弾くセミアコースティックギターの音色がとても心地良い。セミはあんなにも耳障りなのに、セミアコになると、途端に丸い音色になる。不思議なことだ。


 「Room335」では、彼のギターが、ボーカルだ。言ってる意味が良く分からない?でも、これは真実だ。因みに、フランスの歴史書はみんな冒頭に「これは真実だ」と書いてあるらしい。だからと言って、信用できるとは限らない。でも、僕が言ってるのは真実だ。信じて。本当に、ギターが歌っているのだ。


 でも、この曲には歌詞がない。何故なら、ギターは発音が出来ないから。でも、ギターが歌ってるのは間違いない。この歌声を是非聴いて欲しい。楽器だって歌うことが出来るのだ。ギターの歌声が聞こえる人は、今度はドラムの歌声にも耳を傾けて欲しい。この曲は、ジェフ・ポーカロさん(故人)と言う、これまたドラム界ではトンデモナイ人が叩いているのだけれど、ハイハットとスネアとバスドラムの音だけに耳を集中すると、この曲の新しい魅力が見えてくる。もちろん、キーボードソロや、ベースラインに集中して貰っても構わない。どれもみんな歌っていて、魅力的だ。それぞれが歌うだけじゃない。お互いが相手の歌声に反応し、その場その場でフレーズをどんどん変化させていく楽しさがある(インプロビゼーションって言うんだっけ?)。ドラムとベースがアイコンタクトをし、キーボードソロの伸びに合わせてフレーズを変え、それにまたキーボードがアドリブで返答を返す…打ち込みでは経験できない世界が、ここにはある。


 やっぱり、相手の感じ方に合わせて、どういう戯れをすればいいのか、その瞬間その瞬間で考え、絶妙のタッチを導き出せるようにならないとね。「Room335」を聴いてると、ちょっと上手なエッチを体験した気分にもなる。それもまた、この曲のいいところだ。


 僕も今、上手なエッチに参加したくって、ベースを練習してます。

 エッチは何も裸の男女の交ひだけじゃないよね。楽器を操って、誰かと一緒に演奏することも、充分エッチな事だと思う。快感の度合いも、決して負けてないと思うよ。楽器がへたくそな僕でも、こんなに気持ち良いんだから、巧い人は、とっても気持ちが良いはずだ。


 僕も早く、みんなのプレイに、参加できるようになりたいなぁ。


 もちろん初体験の場所は「Room335」でね。

鼻歌

 先日、カラオケが苦手だと言う事を書いたら、様々な方面から反響がありました。

 「カラオケが嫌いなんて信じられない」「自分の下手さ加減を転化するな」「ぼけ」「はげ」「早漏」と、いつも通りの罵声を浴びせられてしまいました。


 うーん。確かに、歌うこと自体は、嫌いじゃないのよ。おいら、結構好きなのよ。ただ、人前で「歌いたいです。」といえないのと、マイク向けられて堂々と歌声を披露することにエラク恐怖を感じてしまうだけなのよ。


 そう、歌うこと自体は全然嫌いじゃないんです。むしろ歌は好きで、いつも鼻歌を歌って生活しています。


 しかしながら、この鼻歌と言う奴がとても厄介なシロモノでして。


 僕は昔から洋楽(それもジャズ/フュージョン/AOR/ブラック)を主に好んで聞いていて、邦楽や流行の音楽はあまり聴かないんですよ。それ故に、鼻歌もどちらかと言うと洋楽に偏ってしまうんですね。しかもジャズ/フュージョンともなるとインスト(=歌なし。楽器だけ)のものも多く、更にはベースやドラムを好んで偏重する癖もあり、僕の鼻歌は普段あまり一般には認知されていない曲を更にメロディから逸脱して歌うという事になります。


 大概鼻歌を歌うのは自転車に乗って出勤する時や帰宅する時です。最近はブレッカーブラザーズを愛聴していることもあり、自然と鼻歌も彼らの曲になります。


 「ぱららぱーぱららぱぱらぱー。ぱぱらっぱぱらぱーっぱっぱっぱっどんどんちちーつちゃっ。にょー。ぱぱらぱぱらぱぱぱらぱぱっ、ぱぱっ、っつっつっつっどんぴゃっ、ぺっぺれーぺっぺっぺっぺっぺぺっちゃっちゃっ、ぴゃーらっ」


 という具合に、インストの曲をトランペットとサックスとギターとベースとドラムを纏めて一度に鼻歌で歌おうとするため、何の曲を歌っているのか自分でも全く分からない状態になります。因みに上の曲は「サムスカンクファンク」です。誰が何と言ってもそうなんです。信じれ。鼻歌を歌っている僕とすれ違った人は「ヘンなおじさんが怖い言葉しゃべってるよぅ」と逃げていきます。誰も近づいてきません。快適な通勤です。そうか?


 さらにはさらには、僕は大変な音痴のため、全ての音に5/4~1/4音のフラットが掛かります。大変です。頭の中で鳴っている曲と出てくる曲が違います。僕がスティービーワンダーを歌っているつもりで、後ろからかみさんに「ねえ、それドラえもんの主題歌?」と真顔で答えられます。僕の声帯はどうなっているのでしょう?


 また、やはりプリンスマニアの僕としては、プリンスも鼻歌には欠かせません。ただ、彼の曲はとても癖があり、奇妙なメロディラインが多く存在します。そんなもん鼻歌で歌った日には大変です。インプットが奇妙奇天烈でシステム(声帯)が貧弱であれば、アウトプットはそりゃもうとんでもないものが出てきます。
 昨日試しにプリンスを歌う自分の鼻歌をMDに取って聞いてみました。


 恐る恐るMDを聞いてみると、プリンスを歌ったつもりのMDからは、未だかつて聞いたことも無い珍妙なボイスパーカッションに、喘ぎ声と合いの手が響く前衛的な般若心経が聞こえてきました。余りの前衛ぷりに頭から湯気が出てきてます。今も出てます。だからはげるのです。


 と言うわけで、僕は鼻歌も歌ってはいけないと言うことだそうです。歌うとはげだそうです。つまりはげです。


 こんな僕ですからカラオケなんてとてもとても。(ぺこぺこ)


 

カラオケ

 カラオケという奴が苦手だ。


 うん、何度も言うことだけれど、おいらは音楽が好きだ。聞くのも歌うのも楽器も好きだ。音楽は確かに、世の中のハッピー素材であることに間違いは無い。んだけどねぇ。


 駄目なのよ。カラオケって奴は。若いころからずっと、どうしても好きになれない。

 いや、確かにね、気心の知れた友人たちに誘われれば行くよ。行って歌って楽しんで、それはそれでみんなと楽しく時間を過ごすことは出来ます。誘うな、って言ってる訳じゃないの。むしろ、どんどん誘ってください。ええ、友達少ないもので。


 逆に、僕が自分から「カラオケ行こうよ。カラオケ行きたいよ!」と発言したことは、多分人生の中で一回も無いんじゃないかな。多分、受動的にカラオケに行ったことしかないと思う。なんつうかね、「カラオケ行こう」と言うこと自身に、恥じらいがあるのよ。


 なんつーかさ、カラオケって、歌うじゃん。当たり前だけど。と、言うことはさ、「カラオケ行こうよ」と誘うことは「あなたの前で私は歌いたいです。」といってる事と同義に思っちゃうのよね。で、それに付け加え、「人様に歌を聞かせるなんて恥さらしな真似は出来ない」と自分では思ってるので、カラオケに行きたい、とは思えなくなっちゃうんだよね。


 え?「大丈夫。誰も聞いてないから。みんな自分が歌うのに一生懸命で人の歌は聞いてないよ。」って?・・・だとすると、もっと許せなくなるのよ。つうかさ、他人と一つの密室空間に入ってさ、他の人がやってる事はさておき、自分が歌ってすっきりするだけ、って・・・なんてぇの。複数の人間が密室入ってそれぞれマス掻いてるだけって気がしてさ。駄目なのよ、頭古いのよ。だったら自分の家で鼻歌唄ってなさい、ってことになるのよね。自分が歌って気持ち良いだけなら他人と一緒に行くなよ、って。


 だからといって逆にみんなの歌を聴くとすると、他人様に聞かせる美声などないわ、って話にもなるし、どっちに行ってもドツボなの。


 そう言うと「いや、一人で歌っててもつまらない。人に聞いてもらうのがいいんじゃないか」と言われてしまうんだけど、それはそれでまた反論しちゃうのよ。


 お互い下手でも、知り合いだし、笑って許してくれるから、好きに歌って気持ちよくなるわ。私もあなたの歌聞いててあげるから、お互い干渉せずにカラオケしましょう、っていう暗黙の了解があるような、そんなお互いにお互いをヌかせるようなソープごっこみたい真似やだよおいら。どこまでイってもドツボです。


 人様に歌を聞かせるにはそれなりの技術がないとねぇ、迷惑やん。僕も天性の音痴なので良く分るが、音痴が人様の前で歌うととんでもな害悪です。自分の歌ったテープ聞いてみて失神しそうになったもん。何だこのピッチベンドかかりまくりの「世界で一つだけの花」は。花は花でもこりゃマリファナだぞ。トリップしそうでし。


 つか、そうかそうか。ここまで言ってて分った。いろいろとカラオケについて難癖をつけたけれど、


 
 単純に僕が音痴だからカラオケしてても自分が気持ちよくないから嫌いなのだ。何だ。それだけの事だ。分ったか。どうだ参ったか。誰がだよ。


 

U Know 人間

 僕はよく「右脳人間だね。」と言われます。


 右脳人間とは、その、いわゆる「センスのある人」「感受性豊な人」「臨機応変な対応が出来る人」「数値化した物差しにとらわれない人」「空間認識が得意」てな感じで、良いイメージで取られる事がありますよね。ええ、僕がどうなのかは置いといて。


 それはそれとして、右脳人間、と呼ばれることに対して僕自身も悪い気はしないんですよ。ええ。


 でも、僕の場合はあくまでも、「右脳が発達している」のではなく、「左脳が全く機能しないために仕方なく右脳しか使えない」故の右脳人間であり、決してセンスがあったり感受性が豊だったりするわけじゃないんですよ。そこのところよろしくお願いします。強いて言えば「左脳が不自由な人」というイメージではないかと思います。僕の場合。


 ///////////////


 例その1)


 ・車を購入するとき


 ~普通の人~


 パンフレットを集め、スペックを比較する。その後、店頭へ行き、試乗や店員との話を重ねて、選択肢を狭めていく。価格、スペック、雰囲気その他もろもろで最も気に入ったものを購入。



 ~僕の場合~


 いきなり店頭。その場にあった車から、目を引いたものを一台選択。最初に店員と交わした言葉が「じゃあ、これ一つ。」。通った店は一店、一回限り。値段は後からなんとでもなると思い込む。

(それで買ったのがサイノス)


 


 例その2


 ・パソコンを購入したとき


 ~普通の人~


 家の置き場を決めて設置。マニュアルを見ながら設定。必要なときに電源を入れる。使用するのは主にメールとインターネット。書類を作るときにワード。etc…


 ~僕の場合~


 とにかく買ってきて3日くらいほったらかし。ケーブル等々はミヨウミマネ。電源一週間ほど入れっぱなし。主にEmuと秀丸。何でも秀丸。あとWWWCとOpera。


 
 右脳人間云々の前に、脳が無いことが分かりました。

アンドロイドは電気あんまの夢を見るか

 まず、エスカレーター。



 上昇、拡大、を行う機械。



 動詞ではエスカレート。


 名詞ではエスカレーション。




 では、エレベーター。



 上げる。上げる機械。



 動詞ではエレベート。




 名詞ではエレベーション。







 なんかちょっとエッチ。