何度も言いますが、僕はジャパニーズサラリーマンです。
しかも自社を徹底的に愛してやまない、奉仕精神あふれる模範的社員です。だって楽しいんだもん。この会社の業務。30代半ばにして、青臭い気持ちを基点にして仕事ができるということのものすごい有難さを感じています。これって、すごいことだと思います。
言えば言うほどうそ臭くなるのはなぜなんだぜ。本気なのに。
その話はまた今度。これはあくまで今回のお話の前提として。
水曜日の夜0時、突然電話が鳴りました。
前回も同じ言い回しをしましたが、今回も同じです。
「あ、明日の10時だけど、身体空いてる?撮影現場に人手足りないんだけど。」
なぜみんな突然の依頼をする。そんな暇人だと思われているのか。
何度でも言いますが、僕はサラリーマンです。なぜ木曜の午前10時に身体が空いて(略)
結論から言うと、撮影参加してきました。公休日でしたので。
とにかく僕は現場が好きなのです。そして「実務」ということが自分のベースにあります。
ちょっと目を離すとひたすら眠っているか引篭もっているかしかない自分にとって、「実務」を行い続けるということは、ある種の自信であり、また考える礎になっているのです。
もちろん属している会社での実務も大変な身になっていますし、有難いものです。ただそれ以上にたくさんの場所、現場、形で修羅場をくぐることこそが、最後の判断を正しくする目の磨き方だと信じているのです。
なんというか、多数のベクトルでの実務を積む事。撮影現場を知り、教育現場を知り、製作現場を知り、営業現場を知る。それも傍観者としてではなく、一人の責任ある現場人として。何がしたいんだ、と言われるかも知れませんが、僕はただ楽しいことを実務で積んでいるだけなのです。
というわけで、今回も勝手知ったるメンバー(というか2名)で撮影。お役に立てたかどうかわかりませんが、もう少しADができるように何かツールを考えていこう。
僕をEDITORとして重宝している、と言ってくれるディレクターさんですが、こんな僕でもEDITORとして使ってもらえるのなら、いつでも動きます。そして、その形で現場に呼んでもらえるために、もっとADとしてのスキルを磨こう。この歳になっても、ADできる嬉しさ。(参考記事)大事にしていきます。現場感。
そして、もっともっとフットワークを軽くしなければ。僕の武器です。
カテゴリー: 【シゴト】Digital Works
サシ
休日の夜20時、突然携帯が鳴る。
用意立てて鳴る携帯なんてないわけで、その意味で携帯はいつも突然鳴る。
「時間あったら飲みませんか」との友人からの誘い。
誘われるうちが華、と思う僕は、この日も当然のごとく家を出て飲みに行く。
(とはいえ、ここ5年ほどは腰が重くなったもんだ、と自省してます。家庭というかまあいろいろで、なかなか家を出られる機会が少なかったのです。)
「誘ったのは僕だから」と律儀な彼は、うちの近所まで来てくれた。なので、ちょっと近くのダーツバーで語らい。
男のサシ飲みは大概楽しい。いやもちろん女性とのご相伴もとても楽しいのだが。質が違うやね。詳細はいろいろと差しさわりが出るので割愛。主に僕の家庭生活に差しさわりが出る。
将来のこと、恋愛のこと、仕事のこと、10も歳の離れた友人でも、酒を前にすると立場は同じ。肩書きのない付き合いが何よりも楽しい。何より、こんなオッサンと対等に飲んでくれるその気持ちだけで嬉しい。
ここのところ、サシで飲む機会が増えている。
そして、そういう時は、往々にして何かが大きく動くときなのだと感じている。
ご縁がね、何かを引っ張ってくれるのです。
その動きにだけは、逆らわないようにしていきます。
兄
午前中、鳥取の兄、北海道の兄と共に企業訪問。
制作現場の質の高さに圧倒される。そして語らい。
深夜、横浜の兄とスカイプ。
制作とは。これからとは。いろいろと語らい。
男に恵まれている、というと気持ち悪いけれど、そうなのだから仕方ない。
実家では長男坊だけれど、この年でも兄と慕える人が居ることは幸せなのだろう。
明日は埼玉の兄と飲む予定。
千葉の兄とは来週飲む予定。
そして博多の兄には手紙を出しておこう。
意地と礼儀と義理
奴隷は、奴隷の境遇に慣れ過ぎると、
驚いた事に自分の足を繋いでいる鎖の自慢をお互いに始める。
どっちの鎖が光ってて重そうで高価か、などと。
そして鎖に繋がれていない自由人を嘲笑さえする。
だが奴隷達を繋いでいるのは実は同じたった1本の鎖に過ぎない。
そして奴隷はどこまでも奴隷に過ぎない。
過去の奴隷は、自由人が力によって征服され、
やむなく奴隷に身を落とした。
彼らは、一部の甘やかされた特権者を除けば、
奴隷になっても決してその精神の自由までをも譲り渡すことはなかった。
その血族の誇り、父祖の文明の偉大さを忘れず、隙あらば逃亡し、
あるいは反乱を起こして、労働に鍛え抜かれた肉体によって、
肥え太った主人を血祭りにあげた。
現代の奴隷は、自ら進んで奴隷の衣服を着、首に屈辱のヒモを巻き付ける。
そして、何より驚くべきことに、
現代の奴隷は、自らが奴隷であることに気付いてすらいない。
それどころか彼らは、奴隷であることの中に自らの唯一の誇りを見い出しさえしている。
(リロイ・ジョーンズ 1968年、NYハーレムにて)”
「ロボット人間たちのほうは、それに従って生きるだけだ。これはある意味では気楽な身分だ。戦争も気候も経済も、神人たちによって制御されてしまうので、ロボット人間たちは神人たちの認める限度で、多くのものを与えられる。食物と住居も、職業も娯楽も恋愛も教育も、時には思想さえも与えられる。
ただロボット人間たちは、与えられ、操られていることを意識できないようになる。自分たちの意識では、何もかも自分で選択して勝手に生きているのだと思う。しかし、じつは神人たちがすべてを見通して、管理工場の『家畜』のように彼らを育て飼うことになるのだ。
(ヒトラーの予言)
使われるのがイヤなら、使う側に回る。
ダマされるのがイヤなら、ダマす側に回る。
社会のルールに文句をつける前に、ルールをつくる側に回る。
基本的には、それだけの話だ。
( 書評 – 汗をかかずにトップを奪え!)
仲間意識は高い。でも僕は博愛主義ではない。
仲間は僕が自分で選ぶ。
仲間じゃない人と一緒に仲間の顔をすることはどうしてもできない。
愛情はある。でも僕は博愛主義じゃない。
愛情を注ぐ対象は自分で選ぶ。
愛情を注いでないモノに愛情を注ぐフリはどうしてもできない。
それを子供と言うなら子供。嘲笑するなら嘲笑でいいのです。
でも、気づいたことは僕にとっての前進なのです。
大事な仲間と大事な場所は守ります。守りたいから、です。
素敵な先輩
とランチしてきました。@表参道。ヒルズ。高級。オサレ。
オシャレな街でオシャレな先輩とオシャレなランチとはこれまた僕に全く似つかわしくないコンボです。
今日は珍しく全く仕事関係が絡まない関係の、大学の先輩との10年ぶりの再会でした。
いやー、如何に日々仕事に毒されているかよく解ります。仕事つながりの付き合いも好きなんだけど、それが全く無いツナガリが新しく出来る(再会する)ってのは、この年になってみるとすごく貴重なものなんだな、と感じます。
大学時代の憧れの先輩は10年ぶりにお会いしても素敵でした。
凛々しく可愛く。淑やかな愛嬌。こんな素敵な女性とランチをご一緒したのはいつ以来でしょう。
最近の話から大学時代の話、これまでの話などいろいろと語りつくせぬ時間でした。お昼休みの時間を割いてきていただいてたので、あまり長く話しできませんでしたが、この後また機会を作りたいなぁ。
こういう人との出会いがあるからまだまだ男として生きていきたくなるのだ。最近僕がおじいちゃんづいて居たのは素敵な女性との出会いが足りないからのだ。というと何かまわりに失礼な気がするので言わないことにします。
あと、仕事が絡まない関係で、僕が後輩、と言うポジショニングで女性とお話しすること自体がここ数年無い事だったんですね。なんというか、関係性の中で出てくる「意地」や「甘え」「プライド」「見栄」みたいなものが、いつも僕が職場で出しているもの、友人関係で出しているもの、家庭で出しているものとまた違った彩りを持っていました。自分自身が10年前に戻ったような。でも経験だけつんできたような。先輩との年齢の差も縮まった気がして、なんかちょっと嬉しかったです。
家に帰ると、かみさんからも「今日の浮気はどうだった?」と聞かれる始末。「いやー、すごい楽しかったよ。」と答える僕。なぜか今日は夕食の用意がありませんでした。普通のランチなのに。
Webのサービス
Webについて楽しみながら溺れまくる仕事を続けています。でも、なかなか自分でサービスを追いかけ切れてないと感じてます。思いつく限り使い倒してみようとするのですが、いかんせんどれで何をどう活用しているのかわからなくなって来てます。まあ、その線を越えて使いやすいものだけを選別するという手法で選んでいるのですが、それでもワケが解らなくなってます。
と言うわけで、最近自分が使っているWebサービスをたな卸し。特に情報収集系と業務系とコミュニケーション系。
- iGoogle & ガジェット
- EverNote
- Googleドキュメント
- Delicious
- Googleリーダー
- Amazon
- Tumblr
- ニコニコ動画&Youtube
- Googleカレンダー
- Remember the Milk
- Gmail
- Mixi
- 大学サークルのSNS
- NexusSNS
- Davics SNS
- keireki.jp
- Just hear it
-
【文字系】
- エキサイト翻訳
- Wikipedia
- 類語.jp
- Wictionary
一つ一つを言及していきたいところですが、疲れ果てそうなのでとりあえず列挙まで。これから一つづつ語ります。使えそうだ、と思ってるやつらだけでも結構あるもんだな。一日一回以上全てに目を通してる自分が、年間でどれだけネットしているのか、怖くなってきます。
闘争心
僕は闘争心が薄いです。
と書くと「この大うそつきめが!」という声と「そうだな」という声の両方が聞こえてきます。あと、「髪の毛もな」と言う突っ込みも。いや、どれもホント、どれも真実なんですけどね。
でもまあ、個人的には勝負事や動きそのものは淡白、だと思ってます。思想は煮えくり返ってますが。
今、僕が通っている学校で「闘争心が足りない!」と言うことを恩師から強く叩き込まれています。特にこの2~3年、淡白に生きるようになっているなぁと思っていた矢先のことなので、かなり大きく響いてます。
元来、我武者羅とか足掻きとかが苦手であります。スマートでないとモテない、と言う気持ちがあるために。本当は違うんだけどさ。
我武者羅にやっても出来ない自分を見たくないから逃げているのであります。なんだこの青春語りは。
それに加え、年齢を重ねてくると「もうこんなもので良いだろう。」と言う妥協点にたどり着くのが早くなるんですよ。体力が無くなって来てるんだよね。真剣に考え抜けないと言うのか。これはもう、単純に甘えなので自分で早急にたたきなおします。
それでも、年齢が僕を許してくれるだろう、と言う甘い気持ちが僕のどこかにあったため、ちょっとこの2年ほどは気楽に、気楽に生きてきたと思います。それによって得た余裕、ゆとりがあることも否定しません。
そのため、以前はまだ多少闘争意識のある人間だったのですが、最近は闘争心を感じないようになってしまっています。
もともと、人と比較することが苦手なため、誰かと戦う、と言う意識もあまり感じないのですよね。僕、自分にしか興味ないので。闘争しようがありません。全ては博愛です。
だけど、そろそろそんなことを言ってる場合じゃありません。世間一般に、楽しく生きる秘訣は確かに余裕溢れる生活と正しい家族計画なのかもしれませんが、そのスタイルは僕にとってちーとも興味が湧かない生活なのです。変態的生活と享楽的仕事、侠気兼狂気溢れる中二病スタイルの貫徹こそが我が生きる道。なのでひたすらやりたいことを貫くことで得るものこそが僕の楽しみです。自分の好奇心に対する闘争心を燃やさないと、僕のこの先は自分のやりたい事を守り通せなくなりそうです。なので、やりたいことに蓋しないでやるぞ。やりたい事やるぞ。やりたい事やるぞ。やりたいこ と やるぞ。
先日も書いたけれど、今の僕は周囲に恵まれていて、様々な面で尊敬できる人に囲まれています。クリエイティブに関しても、スクール事業に関しても。その人たちと正面から戦っていくことこそ一番の礼儀なのでしょうね。あまり競争意識ないのですけどね。この辺が僕のオシトヤカな部分なのです。おいそこの笑ったやつ正座。
考え方がバーサーカーなので、行動もバーサーカーになると言文一致。知行合一。陽明学的に正しい男になります。ただ暑苦しいだけとも言いますが。
まだまだがんばります。眠いので落ちも何もなしです。ごめん。
仕事する理由
この前、職場で「なぜ仕事するのか?」と言う非常に青臭くも根源的な質問をされて、自分の中でも気がついていなかった非常に重要な命題を発見しました。
この問いには「なぜ働く、と言う行動をとるのか?」と言う意味と「何故この会社に属しているのか?」という両面の問いが隠されていて、その両方を満たす答えを僕は考えました。
そのときは結構時間かけて考えたのですが、答えは簡単でした。
その結論は「寂しがり屋さんだから」です。
おいそこの気持ち悪い30代黙れ。と言う声が聞こえてきますが、気にしない。
いや、消去法を使って検証していくと、こういう結果になったのよ。
大学時代の僕を知ってる人はよくお分かりだと思いますが、根っから一人になるのが嫌で誰かと一緒じゃないと死んでしまう情けない生き物なのですよ。うさぎさんと呼べ。ちゃんと「さん」付けでな。だから年中発情期(略)。大学時代5年間(突っ込みどころではありません)の一人寝回数は多分10%未満です。友人とのオールナイトだったり、友人とのホットナイトだったり、同棲状態だったりと、とにかく何らかの形で一人時間を作らないようにしてました。強迫神経症的な部分もあったのでしょうね。それくらい一人が嫌いな時期がありました。それを仕事に求めるのはどうかとも思いますが・・・いや、逆に、仕事だからこそそれを求めているともいえます。一人黙々作業だめなんです。発狂します。僕が以前、フリーになったときに一番辛かったのはお金よりも真っ先に人の部分でした。再度フリーになったり独立を考えたりしない理由もそこにあります。(突っ込みを入れてはいけない)
例えば…
「もし仮に、不動産などで大ヤマを当てて大金が手に入ったら仕事をやめるか?」
僕、辞めないんですね。多分。なぜなら、お金あっても一人で家に居ると満たされないのです。親指の爪を噛みながら流し目になります。お金だけでは満足できない熟れきった中年なのです。仲間が欲しいのです。家族の時間が大事じゃないかとも言いますが、多分家族だけだと僕まだまだ足りないのですよ。なんだこの愛情不足不安症候群な青年は。いや違うオッサンだ。うーん、心身的には満たされてるんですけどね。Why?
若干ニュアンスを変えて
「もし仮に、心許せる仲間がたくさんいて、幸せな仕事をさせてくれる会社(例えば今の会社)で、タダ働きになるとしたら会社を辞めるか?」
辞めません。会社に居る理由はまさに「人」なんでしょうね。まあ、今の職場に限っていえば、環境は最高ですし、仲間意識は痛烈に感じますし、最高の場所なので、それこそお金で代えられないものがを頂いていると思います。様々な「学びの場」を提供してくれている、と言うのもありますし。寂しくない、と言うか、目標を持つ人々の中に居るのが好きなのです。もしタダ働きになったとき、収入はどうするのだ、と言われそうですが、その辺はまあモゴモゴ云々。何とか食べていきます。ええ。毛は抜けそうですが。
だったらボランティアでいいじゃねぇか、と言われそうですが、目的意識の違いなのでしょうね。資本主義のルールで戦えるのが好きなのです。
等しい目標を持った仲間と共に何かを作り上げる、と言う作業が好きでたまらないのです。「学園祭の前夜症候群」と言うのか、甲子園を目指す部活動に憧れていた、と言うのか(野球したことありません)・・・。
そして、生活費を求めて、ではなく、その姿を求めて仕事をしている限り、僕はお子ちゃまなのだと思います。年齢に関係なく。
そう、仕事をする理由は経済面だけでなく、未成熟な気持ちの問題だと気がつきました。
むしろ会社に属する理由は経済面以外が大きいと言うか。
成熟して、一人真正面から風を受けて立たないと、一人前の男にはなれないですね。
まだまだお子ちゃまスタイルでがんばります。
好きなだけニートやるのも、お子ちゃまやるのもいいじゃない。(開き直り)
きっとそのうち大人になるから。というか、満足するまでお子ちゃまやったら、いわゆる「大人」的活動があると信じてます。我慢して大人になったところで…ねぇ。
そんなピーターパンな35歳。夢を見るために寝ることにします。
風景
喫煙所から見える風景。
Katyさんやゆきちん、「ま」さん、たまきをはじめ、たくさんの同僚たちと見てきた風景。長いこと見てるもんだ。これからも大事にしていきます。
なぜか最近スクウェアづいていて、今日の一曲もスクウェアから。
スクウェアというか、スクウェアに一時在籍して、その後スクウェアを卒業した人たちで組んだバンドから。何回スクウェア言うてるのだ。
在籍した場所を離れた後も、一緒に面白いことが出来るっていいよね。
特に、下の演奏は元在籍していた時の原曲より全然元気がいい。
本田Sax様と須藤Bass様の切れ方は人間じゃない。
なんであれだけブロウしてキメが決まるのだ。特に3分~3分15秒の決まり方には濡れてしまいます。
Megalith / Masato Honda with Voice of elements
まる4年
今の会社、DHに入社して、丸4年。3月1日入社だったから、今日でちょうど4年目が終了した訳です。今までの社会人経験の中で、一番長く勤めてる会社ですね。それだけ水があってるということか。あるいは僕が飽きっぽ過ぎるのか。
そのうちの3年以上を、大好きな今の場所で過ごさせてもらっている。ありがたいというかなんというか、本当にご縁なんだと思います。
5年目は、また新たな気持ちで業務に望みます。意識は草書より楷書。自分の中で洒脱を狙いすぎ、崩しすぎた部分をもう一度きちんと構築しなおします。自分の襟を立て直しながら、新しい動きを続けていきます。みなさんいままでありがとう。これからもよろしくです。