・メトロイド 難所が進めた。
・F-ZERO GX サファイアリーグをクリアできた。
・逆転裁判 第5話クリアできた。
・肉うどんの店 美味しかった。
・千葉行ってSM2の靴買ってきてプレゼントした。
・聖飢魔iiのアルバム突然2枚買ってきた。
僕は一体いつの時代を生きているのだろう。
カテゴリー: 【シゴト】Digital Works
入社3年目
3月1日を持って、今の会社に入ってついに3年目に突入しました。
なんだかんだと言っても、短かった気がします。
都内の拠点を2箇所も見させてもらって、面白い毎日を送っています。
入学してくる生徒さんの希望に溢れた顔、卒業していく生徒さんの自信に溢れた顔、遊びに来てくれる卒業生たちの笑顔(渋谷校の卒業生が、友達を連れて今日も遊びに来てくれてたね。)、正直、これほどまで楽しい仕事だと思っていなかった。そして、うちの親父がなぜ20年以上も教育の仕事を続けているのか、その理由もわかった気がする。
天職と思っている。でもまあ、ここに至るまでいろんな仕事をしたからね。で、正直言うとどれも面白かったんだよな。でも最後は、作る、と言うことより、人、と言うところで自分の興味が落ち着いたんだな。
人が笑う環境、人が集まる環境は、幸せだと思う。そこに情報が集まり、才能が集まる。その中に、ゆとりと情熱と安心が生まれる。あたかも親に愛されながら育つ子どものように。
そして環境は、他人に左右されて嘆くためのものじゃなくって、自分でひっくり返せるものだ。
ちょっと待っててね。今、何とかします。何とかできるようになりたい。幸せな環境を作りたい。僕が、僕の、責任で。
前を向きにくい。
前に向かって進めないほど疲れてるのかな。
決断が鈍く、行動への取り掛かりが遅い。さすがに自分の体調くらいは自分で(コントロールできずとも)どういう状況かはわかります。
こういうときは遠慮せずに医者に行ってきます。うははははははと笑いながら。黄色い救急車で強制連行です。
お疲れ様でした!
今日は会社の研修があり、様々な校舎のスタッフと交流を持つ事ができました。
北は札幌、南は福岡まで、さすがにここまで広範囲だと、電話で声は聞いた事があるけれどあったことのないスタッフもたくさん居ました。
やっぱり、人とのつながりが一番心地よいし、それが原動力だなぁ、と改めて感じます。
どれだけスキームが変化し、ツールが変わっても、結局は人とどうコミュニケーションを取っていくか、もっと言うならばどこまで誠実であれるか、と言うことに他ならないんだなぁ、なんてことを感じてました。
何をもって僕達はビジネスにしているのか、何を提供しているのか。
再度足元を見つめてみたいと思います。
今までの仕事談~その1~
どうにも、僕の今までの職業に興味をもたれる方が多くてですね、どんな事やってきたんですか?どういう仕事してきたんですか?何やってたんですか?貴方はバカですか?ハゲですか?などといろいろ聞かれてしまいます。
ええ、確かにいろいろやってきたと思います。そうでもしないと生きてこれなかったので。
大学を出てはや10年。その間肩書きだけで言えば物凄い数の仕事をしたと思います。器用貧乏なのです。
そんな中、僕が今まで経験した仕事から、いろいろとご紹介をば。
今日ご紹介するのは「ニート」です。
それ仕事じゃないって言うな。
1999年末、僕はとある会社を退社して、神田駿河台にある某DH社と言う会社に入社するべく入社試験を受けて無事最終面接まで進みました。とりあえず配属拠点(横浜)も決まり、そこでの仕事内容も決まりました。もう入社する気まんまんです。他の就職試験も断りました。他社の内定も断りました。後は社長との顔通しだけ、と言う意味での最終面接と言うお話で受けに行ったのですが、
お ち ま し た。
いやー、あの時は参りました。DH社に入社する以外の道は全て閉ざしてしまったのに、それが覆えってしまうとは。人生って一寸先は闇ですね。よく思い知りました。リスクヘッジと言う言葉を思い知ったひと時です。
(今はその思いを叩きつけるがごとくこのDH社で暴れています。)
てなわけで、2000年1月、ミレニアムの到来とともに一転僕は職無しの一文無しになってしまったわけであります。おまけに99年末に、5年付き合ってた彼女とも別れたので、名実ともに真の「フリー」と相成りました。外部と接点が無く、また外に出る必要性もない、すなわち今で言う「ニート」です。
やるきなかったなぁ。正直、この間どうやって家賃を払って食費を稼いでいたのか、今でも全然覚えてません。仕事といえば時々イベントのお手伝いやったり、学習塾の先生やったり、パソコンの修理したりと細かい内職で糊口をしのいでいました。当時26歳。
そんな中ですから、いろいろと悪さを覚えてしまうわけでして、Web制作を覚えてみたり、Linuxいじりに性を出したりと、結構技術的にはいろんな事を覚えた時期でしたね。ええ、時間だけはたんまり有って、仕事無かったですから。
人間、仕事なくなっても何とか食ってけるもんだ(独身に限る)、と確信したミレニアムでした。結構この開き直り、今の根性にも活きてるところあります。むしろサラリーマン失格ナ方向ですけど。
そのうちまた、今まで経験した仕事の話、また続き書きまする。その気になったら。
仕事
仕事って、洗面器に顔突っ込んでるだけの事じゃないでしょうか。
誰の責任とか、誰が悪いとかじゃなくて、我慢できずに顔上げたモンの負けだと思います。ええ、若造のえらそうな言葉ですが。申し訳ない。
今日は学園祭
明日はデジタルハリウッドの学園祭でございます。
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デジハリ Carnival 2006
○ 2006年10月1日(日) ○
● 18:00~21:00(第1部) ●
○ 21:00~23:00(第2部) ○
● 東京本校1Fセミナールーム ●
・入場無料/飲み物持ち込み可
・お友達、ご家族と一緒の参加、大歓迎!
(お友達と一緒の方には、素敵な賞品が当たるチャンスあり。)
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唐突ですが、僕もバンドで参加します。
いい年こいて学生と一緒にバンド組んでベース弾いてます。
いやー、それにしても、この年で「学園祭にバンドで出演する」なんて思ってなかった。
「学園祭でバンド」なんて、高校時代はモテ男君の代名詞であり、僕にとってもっとも忌み嫌うべき存在の行う事でした。
逆に、僕は明日を経験する事で、「僕は学園祭でバンドを経験した」存在になります。すなわち論理的に考えると、「学園祭バンド経験者」=「モテ男」=「僕はモテる」=「ばら色の青春時代」と言うことで僕の人生を捏造する事ができるのであります。捏造言うな。
例えば、僕に息子ができたとして、
「お父さんは学生時代なんかしてたの?」
「んー、学園祭でバンドやったりしてたな」
などと、堂々といえるのであります。
(注-学生時代=学校業で生計を立てていた時代、と読みます)
僕の灰色の高校時代が、30を越えて別の記憶に塗り替える事ができそうです。過去って取り戻す事ができるんですね。ちょっとクリスタルキングっぽいですね。そうでもないですね。失礼しました。
とにかく、Welcome!
(バンドの出演は夜22時ごろでございます。)
[地図]
http://school.dhw.co.jp/location/tokyo/index.html
自信
自信を無くしているのであります。
元来「自信のない男はモテない」と信じており、僕はモテたいのでそれ故に自信を無くす事は余り無いのですが、人並みに自信を無くす事もあるのです。ええ、奥さん。
しかしながら僕の文体は実感がこもり難く、本当に自信を無くしているのかどうなのか余り伝わり難いかと思われます。「君の文章は人を舐めくさっておる」とお叱りを受けることもありますが、こればっかりはもう勘弁してください。文句を言うなら村上龍と町田康に言って下さい。僕の人生ヒネクレさせたのは奴らです。大尊敬してます。
それはともあれ、齢三十を超えて、ヒキコモリや放蕩を経て多少は社会の中で生きる権利をおこぼれでも頂ける人間になってきたかと思いましたが、どうにもこうにも気が利かない男に成り下がってしまったなぁ、と改めて感じている次第です。
うーむ、何と言うか、「気が利かない」「気配りができない」と言うのは、自分に対して許しがたい事なのです。
もちろん、元々あまり気が利かない野郎なのですが、その中でも二十代の頃はもう少し目上の人に気を配り、仲間には愛を持って接していたのではないかと感じます。
バランスを崩し、自分の行為にギャップを感じるこの頃、少し意気消沈気味です。
誰に何を言われたわけではないのですが、こういう事って自分で内省したときが一番へこむのですよね。
まあ良いとします。目の前の仕事に集中して、結果だけは外さないようにします。
こういうのを自己完結と言います。読んでくださった方を置き去りにしてしまう文章になってしまったのです。これにてまたへこむのであります。ぷしゅう。
く・せ・に・な・る
は、郷ひろみの往年のナンバーですが、
僕も往年の趣味を久しぶりに満喫してます。
~バンドのスタジオ練習~
いやもうこれがまた楽しいんですわ。ほんと8年ぶりなのですが。
ホント楽器へたくそなのですが、下手の横好きでたまらんのです。
今日は会社の同僚の方々と一緒に3人(ギター&ドラム)でスタジオに入り、2時間ほど練習。いやー、ベースって、やっぱり一人でやってるのとみんなでやるのでは全然違いますね。当たり前ですが。
もともと、(これ言っちゃ元も子もないのだが)あんまり人に聞かせるとか、メッセージを伝えるために音楽やってないんですね。むしろドラムと如何に気持ちよく絡むかとか、ギターとねちっこく絡まるかとか、演奏している自分たちが気持ちよくなれるかどうかしか考えてないのです。ええ、わがままなのです。ライブも好きですが、それ以上にセッション大好きなのです。
それだからこそ、余計にスタジオ練習というのは僕にとって至福の時間だったりします。もちろん、僕の技量が高くなり、みなさんと同等に絡めるようになれば、もっと気持ちいいんだろうな、と想像してはまたムラムラして指を動かしてしまいます(楽器を持って)。
今はミクシィやってる隣のPCでSteelyDanのDVDを見ながら涎を垂らしています。いいよなぁ。こんなに気持ちよさそうに絡めたらさぞかし人生楽しいだろうになぁ。
楽しそうに演奏している人たちが好きです。
技巧を持ちつつ、その技で遊んでいる人たちが好きです。
もっと練習しよ…。
稟議書
唐突ですが、不肖X-10、実はちゃんとした会社にちゃんとした形で勤めた事が少なく(何をもってちゃんとしてるのかの議論はさておき)、ぺーぺー⇔すごい肩書きまでいろいろ経験したにも関わらず社会人常識に欠落している部分が多々あります。
実は、30才を超えて今の会社に入社するまで、「稟議書」と言うものの存在を知りませんでした。
「稟議だしといて」と初めて言われたとき、真っ先にかみさんにメールを打って「稟議って何?」と聞いてしまいました。(かみさんは固い硬い銀行職経験者)
いや、今までの会社では社長が目の前に座ってたり、部長が目の前に座ってたりしたので、
「部長、あれ買いたいんだけど」「ふざけんな」
「社長、あいつ雇い入れちゃった」「ぼけ」
というやりとりで済んでたんですね。事実、何の書面も交わさずに大学時代の同級生をいつの間にか同じ会社に引き入れたりしてましたもので。よく考えたら怖い社員だったのだな。
翻って、ちゃんとした手続き、と言うもの(があるとするならば)を覚えてみると、この稟議書、実に便利なシステムだと気がつき始めました。
ようするに、いちいちお伺いを立てたり、言ったいわないを残さないために、「必要な人の伺いを書面で通す」システムなんですな。やはり100人以上の会社になると、こういうシステムが大事になるんだなぁ。と改めて勉強しております。
結構稟議出すの好きなんですよ。「おお、僕は今ジャパニーズビジネスマンな仕事をしているじゃないか」となんか真人間に戻った気がするんですね。間違ってる言うな。
そしてようやく、サラリーマンの部長がマンガなどで延々はんこを押し続けるシーンがある意味が解りました。
30代初心者サラリーマンのビジネス講座でした。
わーモノ投げないで。