HSK受験してきました。

受験会場到着!一橋はいいねえ。
 ちょっと前回の妹の話はおいといて。
 先日は国立市の一橋大学へ。HSKという試験を受けてまいりました。略語を直すと漢語水平考試験(Hanyu Suiping Kaoshi)、そう、中国語の試験でございます。
 僕が何故今中国語の必要に迫られているのか。なんで中国語を勉強してるのか。正直言って僕もわかりません。一年前の自分が、まさか語学を勉強する事になると思ってなかったので。僕は一生涯日本語だけしゃべってればいいと信じていたのですが(因みに僕は英文科卒業です。忘れたい・消え去らせたい過去です)。
 でも、今僕が勤めている職場は中国語が飛び交うインターナショナルな現場。気がつくとそんな場所に放り込まれてしまっている現在、そして「全ては何かのご縁、近づいてきたものは何でも食べてやろう」とする僕の性格も相まって、僕の語学学習はスタートしたのであります。
 外国語を学ぶ必要があるとしても、それがまさか中国語とは。大学時代に受けた第二外国語はフランス語でした。全く持って中国語は初体験です。
 アメリカ人やイギリス人が中国語を学ぼうとしたとき、これは本当に苦しむと思います。僕はiTunesUという世界の大学講義を受けられるサービスを使っており、その中で英語話者に対する中国語講座なんかも少し見てみたのですが、本当にとっつきどころが無い。発音から入るにしても、読み書きから入るにしても、恐ろしいほどの敷居の高さ。意味を受け取るための象形・発音共に全くヒントが無い状況なんですよね。
 それに比べれば日本人のまあいかに楽をさせてもらっている事か。「猫」という漢字を見れば、誰がどう見てもあの動物でしょう。「我」を見たら大概の人は自分の事だとわかるでしょう。「服務員」という漢字を見れば、それとなく意味はつながるじゃないですか。
 今回HSKという試験を受験してみて思った事。この試験、中国政府が発する全世界的な中国語の試験なんですね。即ち、英語話者や仏語話者も受験者として想定してるわけです。
 そんな中で今回僕は一番下の級を受けたんですが、漢字使用者としては「お前舐めてんのか」と思うような問題も多数出てくるわけです。猫の写真が載っていて、その隣に「猫」という漢字が書いてあり、丸かバツかをえらぶような。でも、英語話者からするとこれだって相当勉強しないとわからないことなんですよね。そこのギャップを今回とても自覚しました。
 だからといって合格するわけじゃないんですが。ええ、試験結果は一ヵ月後です。
試験終了!銀杏並樹が綺麗に見える。
 試験終了後は校舎を散歩。そうそう、大学のキャンパスはかくあるべき、お手本のような校庭と校舎群でした。たたずまいは静かで、簡素で、綺麗な。そんな中で僕は大学時代を遊びまくってたわけですが。もう少し勉強してれば今こんな苦労しなくてすんだかもしれない。でもそれがマイライフなのでしかたないのです。
21年前。高校生の頃、こますけ達と共に集合写真を撮った場所。あの頃のメンバーは、今何処で何をしてるんだろう。
 そして、ふと立ち止まった校舎の前。僕はこの校舎に見覚えがありました。
 今からさかのぼる事21年前。まだ高校3年生だった僕は、長期休みを利用して東京に受験合宿をしに来ていました。原宿のオリンピック記念会館に一週間ほど泊り込んで、様々な名門塾の人気講師の授業を受ける、といったものです。
 そこでは受験に向けて勉学に励む、事が重要事項だったはずなのですが、持ち前の人見知りしなさと勉強しなさが相まって、結果的に僕は友達作りに終始しておりました。友達作りというか、一緒に授業受けてると、それとなく仲良くなるんですよね。
 その頃のメンバーとは、今も連絡を取り合ってる仲間が居るくらい、僕にとっては大事な友達となりました。
 で。
 一応受験を目的とした集いで全国から集まった高校生たちな訳です。合宿最終日を終えると、そのまますぐ帰宅するわけも無く、別れを惜しみつつ(?)、せっかくだからと東京の有名大学を見学に廻っていたのです。
 その時に、僕らは友達と一橋大学も見学してたんですね。
 そこで、オノボリサンの僕たちは記念に集合写真を一枚。
 僕にとって彼らとの写真は、大学受験の心の支えになっていました。ええ、その写真は心にしっかり焼きついています。因みに一橋大学は受けてません。
 今回、21年ぶりに一橋大学の校舎を見学。せっかくだからそのとき写真をとった校舎を見に行きました。
 
 うん、何も変わってない。21年前と全く変わらないたたずまいだ。
 そう思いながら、感傷に浸っていました。
 僕の心に刻まれている写真の風景と全く同じ、そのときの校舎が目の前にありました。
 上記の校舎が、それにあたります。
 この校舎の前に揃って立ち並んだ事、僕はしっかり覚えています。うーむ、懐かしい。
 帰宅後、古いアルバムを取り出しました。
 目的はもちろん、その時に撮った写真。
 写真を探して、そのときの写真を見つけたとき
Untitled
 どこだよココ。
 写真は間違いなくこれなのですが、僕の記憶にあった校舎とは全く違っていた模様です。僕の造形把握能力では、「なんとなく先がとんがった空間のある建物」という認識しかしていないようでした。自分の感じた見覚え、あれ、ウソ。デジャブは勝手に作り上げられるものの様です。
 というわけで、人の記憶は全くあてにならないというお話でした。いい話が台無し。

休養を経て、ここ1ヶ月を振り返り。

SNS(輔家)にご参加頂いている方には前もってお伝えしておりましたが、改めて。
先々週より2週ほど、休養をいただいておりました。
ご心配をかけた皆様、ごめんなさい。
少しづつですが、調子を取り戻してまいりましたので、改めて筆をとっています。
とはいえ、この1ヶ月に何があったのか。
改めて説明をしようにも、なかなか自分自身ではまとまりきっていません。
そんな折、妻の日記にこの1ヶ月の僕の状態について、まとまっていた文章が掲載されていたので、許可を経て引用します。
僕の妻だけあって、僕に負けず文章が長いです。
—-<以下、引用>—-
しばらく前の日記に、「夫が、夏頃からストレスまみれになっていて、その巻き添えでわたしも振り回されて大変」みたいなことを書きましたが、その夫のストレスが、先月の終わり、加速度的な悪化劇を呈したらしく、ある朝わたしが起きたら、夫の心が折れていました。
うつ病の家族(=わたし)をケアする疲れを軽減するために、夫はここ数年来、わたしの主治医と連携している臨床心理士にかかっているのですが、その心理士がいち早く夫の異変を問題視して、即精神科ドクター(=わたしの主治医)の診察→初歩的な抗うつ剤と眠剤の処方、という運びになりました。
あわせて、心理士からの進言書?のようなものが出たことで、会社を計2週間、休むことになりました。
夫の心を折った、ストレスの源に関しては(中略)、会社側としても、経緯もよくわかっていたし、健康を害させたと賠償責任を問われるようなことになっても困るし、みたいなことで、対応が早かったようです。
↑この辺の詳細は、わたしは外部の人間でしかないので、多分に憶測を含みますが。
※山本注:会社側に責任を感じることや賠償責任を問うなんて事は全く無く、むしろ迅速な対応に感謝する次第です。
今週は、夫は毎日半休で出勤しています。
休養を取る・服薬を始める、のタイミングが、至極迅速だったおかげか、夫も少しずつ元気を取り戻してきているように思います。
大変だったのは、彼の休養第1週でした。
文字通り付きっきりの看病をしていたら、1週間と持たずに、看病疲れであっさりわたしが倒れまして。
まーもともと、わたし自身、現在進行形の病人ですし、必然と言えばそうなんですけど。
あっけなくわたしも倒れたことで、逆に夫もシャンとしたのか、あるいは単に1週間休んで多少楽になったのか、2週目には共倒れしない形で、持ち直すことができましたが。
元来夫は、ああ見えて(どう見えて?)、決してメンタルの強くない人です。
ただ彼は、自分の弱いメンタルを守る術に長け、助けてくれる存在(それは必ずしも「人」ではない)に身を寄せることが上手い人でした。
わたしはその、彼の「自衛能力」をとてもとても信頼していました。
(人は、必ずしも強く在る必要はなく、ただ上手く自分を守れればよいのだと、彼の生き方をわたしなりに真似ることで、ここまでわたし自身の病を克服してきた部分も大きいです。)
今回彼が弱っていく経緯を、近くでずっと見ていましたが、今回にかぎって、彼がどこで何を誤って、あんな、にっちもさっちもいかない状況にまで追い詰められたのか、正直言って全くわかりません。
本人いわく、いろいろ運が悪かった、とのことですが。
不運な目に遭うのはわたしの専売で、夫はいつも必ず上手くやると、本当に信じていたので、心の準備がなくて参りました。
あ。
夫に失望したとか、そういう意味じゃないです。
ただ素直に、本当にびっくりしました。
もう立派に中年だし、一般的な体の病気には、いつ、かかるかもしれない、というのは思っているけど、彼は心だけは病まないと、勝手に思っていました。
彼は、わたしと違って、そんな目に遭うことにはならない、って、思っていたのですよねえ。
そう。彼はわたしとは違う、ということを、よい意味で、盲目的に信じていました。
そして実際、やっぱり違いますけれど(笑
わたしが日中当たり前に服用している安定剤よりも軽い眠気しか促さない眠剤で、ぐぅぐぅ気持ちよさそうに寝てるし。
抗うつ剤だって、わたしに言わせたら「笑わせんじゃねぇよ!」ってくらい、ちょびっとの量で「あー。落ち着くー」ってしあわせそうだし。
これだけ微量の薬で、これだけ元気が戻るなら、大丈夫だろうと、妻としての立場とは別に、うつ病患者の立場で思います。
(ただし、量は少なくても、依存性の強い薬らしいので、よくなってからも、減薬していくのに、多少時間はかかるかもしれませんが。)
そんなこんな騒動の中、この前の日曜に、夫は38歳の誕生日を迎え、同じ日にわたし達夫婦は結婚丸11年を迎えました。
当日はあいにくの雨でもあったし、こんなときだし、特に盛大なイベントはしませんでしたが、外に食事には行きました。
いろいろありながらも、2人の気持ちが離れることはなく、結婚11周年をまたぐことができて、きっとしあわせなことなんだろうな、と思います。
—-<引用 ここまで>———-
どうも。メンタルの強くない人です。
最終的にはいつも妻におんぶにだっこな僕(五歳児)です。
自らも、「心が病むことはない」と信じていたのですけどね。まあ、そういう盲信こそ根拠のないものなのですが。
とりあえず、快気ではないですが、少しづつ上昇過程にあります。
おかげさま、おかげさま、でございます。皆様ありがとうありがとう。
次回作にご期待ください。
今回、知ったこと。
自分の足だけで立とうとする人生なんて、つまらないし、不可能なのだな。
必ず、誰かの支えがあるのだと。人の援助を少なくしようと云う努力も、極端に言えば必要ないのだと、なんとなく解ってきたし。
大人になるってのは、自分で立つことじゃなくって、周りに愛されて支えられてることを自覚すること、なのかもね。
気がつくと結婚生活も11年。二人三脚の人生も、板についてきました。
背負って、背負われて。ですね。

都内散歩Vol.2

また行ってきた。
コレの続き。 
まだやってるのかよ、と言われそうですが、一度始めたらやりきらねば。
このペースだと10年掛かるけどね。
【前回までのあらすじ】
大学時代の同級生であるX-10とQZQYが、駄目な中年の休日を更に増幅すべく、単語帳に地下鉄の全駅名を書いて、それを2枚ひいてはその区間をひたすら歩く、という無為極まりないエンドレスゲームを繰り広げる。
ゲームのルール
・カードは二枚引く。
・一枚目がスタート地点、二枚目がゴール地点
・ゴール地点から次のスタート地点までは地下鉄を用いて移動。
・スタート地点からゴール地点までは、徒歩で移動する。
・全駅のカードがなくなったら終了。
・お昼はココ壱限定。(二人の趣味)
・ただし早稲田を引いたときは必ずメーヤウを食べる。
因みに前回丸一日(9時~6時)までで消費したカードは
・新宿三丁目
・中野坂上
・溜池山王
・青山一丁目
・北綾瀬
全5枚。
カード総数は135枚。
いつ終わるんだよ。
そして前回は青山一丁目~北綾瀬区間の途中、西日暮里駅でサスペンデッドしました。
今回は何枚のカードを消費できるのか。
間違っても和光~西船橋なんてカードを引いたりしないだろうか。
そして僕らはいつ飽きるのか。
朝10時。西日暮里
相変わらずグダグダの二人が顔を合わせる。
「・・・ああ」「・・・おお」
挨拶すらいい加減。駄目な大人。
西日暮里駅のパン屋で朝食をとり、いざ出発・・・
と思いきや、雨が大降りなので、一旦ゲームセンターに退避。
午前中からゲーセンでクダをまく30代中盤。みんなこんな大人になっちゃ駄目だぞ。
雨も上がり、改めてスタート。
【青山一丁目~(西日暮里)~北綾瀬】
西日暮里から新三河島を超え、ひたすらに歩く。
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そういえば僕、浪人時代西日暮里に住んでたんだった。
荒川を越えて
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商店街を越えて
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それにしても地域商店街は盛り上げていかないといけないな。
「地域振興」の言葉の重さを感じましたぞ。
商店街ではワンピスなんてものが販売されるらしい。
何だ。小便か。
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そして寺で一服。僕の個人的趣味。
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環七。ひたすら歩く。
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遠い。
遠すぎる。
何なんだこの北綾瀬って駅は。どこまで行っても見つからない。
だからこそ
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見つけたときは本当に嬉しかった。よかった。助かった。遭難者の気分でした。
今回、1枚もカード引かないで終わるかと思った。
到着しても小さな駅。
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そもそも北綾瀬駅は、綾瀬駅から一本脇に入った、3両編成の小さい駅です。
言ってみれば西武池袋線の豊島園駅のようなものです。
で、次の駅を調べる。
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どれにする?
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次のスタートは門前仲町。
そしてゴールは
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近い。近すぎる。
青山一丁目~北綾瀬の約50分の1である。
【門前仲町~京橋】
門前仲町到着。
お昼が未だなので、ルールどおりココ壱を食べる。
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余裕こいて寄り道。
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昼ごはん食べたばかりでお饅頭。
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メチャメチャ寄り道して、それでも到着まで1時間足らず。
なんだこれ。
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そして次。
お互い、スタートとゴールをそれぞれ引くのだが・・・
・スタートを引いたものは、スタート駅に着くまで相手にスタート地点を教えない。
・ゴールを引いたものは、スタートするまで相手にゴールを教えない。
というルールが追加され、お互いに闇の中で電車に乗ることに。
僕が引いたスタートは「葛西」
かなり東京の西のほうである。
これで、QZが和光など引いたものなら噴飯物である。お前何引いてるんだよ、と。全く不条理な怒りをぶつけることになる。
わかっていながら、無表情で葛西まで乗るQZ。
「じゃあ、行こうか」
葛西から歩き出したQZの足は西に向かう。
引いたのは
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二駅となりでした。
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【葛西~南行徳】
Vol.2は結局南行徳で終了。次は
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からスタートします。皆さんお元気で。

まわるときはまわる

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ここのところ、また人と会う機会が多くなってきた。
自分の中の波があるのか、全くお声も掛からず、自分からアプローチもせず、ただひたすらに自宅で独り遊びにいそしむ日々があるかと思えば、ありがたいことに約束が次々と入り、いろんな人たちから薫陶を得て楽しい時間を過ごさせてもらう日々もある。
3ヶ月周期くらいで、そういう波が押しては引いて、を繰り返すものだと感じています。
そのどちらの時間も好きだし、「今僕は独りでいたいの!」とか「寂しいの!」といった感情はどちらも髪の毛同様薄くなったので、誘われればひょいひょいついてく尻軽男なうえ、独りにしておけばそれはそれで穏やかに時間を楽しむ術を心得ているので、楽しい日々を送ります。
多分僕を恨んで不幸にしたい、と思う人が居るとすれば、一番困るタイプだと思います。
特にこの半月は、クリエイター仲間、幼馴染にして起業仲間(?)、価値観の合う仲間、etcetcと様々な角度から自分のやることに切り込みを入れてもらっていて、刺激も多方面でとても面白い。
●6月頭はKatyと3ヶ月ぶりの再会。
いつも、会おう会おうといいながら会えないで時間が過ぎるのです。
Katyの勧めで横浜市野毛へ。それだけで察する人は察するでしょう。
ドヤ街。ゲイバー。楽しい人々。原色溢れる店内。スタイリッシュなママ。
僕はこういう生き方が、結局好きなのだなぁ、と思う。
朝まで飲んで、笑って、自分に自信をもって、愛をもらって、楽しく解散。
そして家に着くまでに往復三回乗り過ごした。
●その次の日はヒロポンと秋葉原ダイビルの1Fで歓談。
起業について。人事について。熱く将来のあるべき姿を語る。
今思うと、お互い本当に真面目なんだよな。2人で話して馬鹿な話になったことが無い。
3人目が居るといきなり気違いになるが。
●そして先日はいずみっとさんと会食。
 この方とも半年振り。なかなかお忙しい方でお誘いするのも申し訳ないのですが、自分の周りのアイテム(文学、音楽、デザインなど)の話、人生観、仕事観の話など、何を話しても尽きない会話が出来る素敵な友人(憚らずも友人と表現してしまいましたが、以前の会社でのクライアントです。失礼しました。)です。
 以前の約束で高田馬場を案内する約束でしたが、さすがに自分の学生時代とは店並びが全然違う。自信もって勧められる店を探すのが大変でした。
 というか、美味しかったあの店、良く使ってたこの店、鍋の店、養老の瀧、大勇、みんななくなってるのね。
 相変わらずあるのは清龍と鳥やす。
 残念ながら君らには女性をお連れできない。
12日はとある仲間とBBQに参加。
肉の焼き方といい会話の中身と言い、君ら本当に酷すぎる。大人として。男として。
廻りのカップルが逃げているじゃないか。何が臓物だ。何が肉汁だ。
厭らしい食べ方をするんじゃない。投げ合うんじゃない。
といってるがコレを書いてる現在、このBBQはまだ未来の話である。
間違いなく上記のような会話内容になることを加味して先に日記にしたためておく。

42歳までに知ることになる、22歳の自分に教えてあげたい12のこと

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 元ネタはこちら
 僕がよく読むブログの紹介で知った回訓ですが、どうもそのブログが非公開に切り替えてしまったので、備忘録含め。自分でも22歳の自分に言い聞かせてみようと思い、こちらに記してみます。タイトルは42歳から22歳に向けたメッセージだけど、まあ37歳も42歳も世の中じゃたいした差じゃないよな、とりあえず37歳の自分から22歳の自分に向けて、と。また5年後に改めて見直して「馬鹿書いてるんじゃねえよ」と自分に叱りつけるのも一興だ。
 ここから書くことはあくまで22歳の自分に向けた書簡。過去の自分への伝達。本当にだらしなかった自分に向けてのみ記します。
1. 学校を絶対にやめないで継続する
 22歳と言えば大学4年生か。あー。これは22歳の頃、自分で大事にしていた気がします。とにかくできるできないじゃなく、自分の在籍する環境には、極力自ら降りようとしない姿勢は、良し悪し関係なく子供の頃から自然と身についてたね。
 あまり自分の居場所に疑問を感じない人間ゆえ、「学校辞めたい」とか思わなかったね。無意識に、「自分の流れに逆らって起こした行動はうまくいかない」とその頃から感じていたし。あまり有為無為で物事を計らない若造だったから、特にこの項に関して、君に言うことは何も無いや。ごめん22歳の僕。
 転職歴も多いのだけど、自分で職を変えようと思ったのは一回だけだし。じゃあ後は何だ、クビだったのか。そうか。
 まあ職まで話を広げなくても、学校で身に着けるべきは、とにかく「素地」だったんだな。と思います。それはすぐ役に立ったり、金銭に転換できないものだけれど、あの頃だからこそ吸収できた栄養素です。
 ただ、本ね。そのときも沢山乱読していたのを知ってるけど、もっと読んでおきな。社会に出たら解るけど、ちゃんと会話できる人は君よりももっともっとたくさんの本を読んでる。君の居る大学・君の居るの文学部はどちらかと言えば力量のある読み手が多く在籍してる場所だけど、世の中に出たらそんなもんじゃないから。そりゃもう比較にならないくらい。
 そして、読んでる量は実はそれほど重要じゃない。大事なのは、「活字や情報を浴びても咀嚼できる力とスピードが身についてるかどうか」、そして「基盤となる知識が身体にしみこんでいるかどうか」だ。本を読んで無くてもこれが身についてる人はごく稀に居るけど、そんなに多くない。だけど、本を読むことはどんな時代になっても最も効率的な訓練だ。そんなことを考えて本を読んでる訳じゃないし、ただ好きで読んでる君のスタンスは間違ってないけど、それならば嫌いになるくらい浴びてみるのも良いもんだぞ。本を読むことは食事みたいなもんだ。もっと胃袋鍛えておけ。消化できない身体はすぐに餓死に繋がるぞ。
2. お金は腐らずに残るもの ─ 投資は早く始める
 コレは君にはっきりいっておきたい。その金遣いの荒さとだらしなさは一刻も早く改めたほうがいい。嫌なものや借金から見えない振りして生きるその癖はその後思いっきり自分を苦しめるぞ。
 別に40近くなっても投資に興味持たないから、早くはじめるもへったくれもないけどさ。
 そもそも君、お金に全く興味ないでしょ。
 どういうお坊ちゃん育ちすればそうなるのか、今の僕から見ても22歳の僕は不思議で仕方ないのだが、金に執着しないその性格はどうやったらできるんだ。そんなに金持ちでもないくせに。
 そもそも金で買えるものに全く興味ないし、金持ちになる夢も持ってなかったんだよな。将来の夢は作家で名声と信頼があればそれで満足、後はみんなから庇護をもらえればいいという正真正銘のヒモ気質だし。
 でも今だからちゃんと言わなければいけない。ただ生きてるだけで金は当たり前に出て行くし、金が無いことで失う信頼や行動範囲は本当に大きい。22歳の君がそれだけの行動範囲で動けることはあくまでお金が無くてもできてるのではなく、両親や誰かが補填してくれているからできているだけで、その分は自分で得なければならないのだ。その後も自由に動けている気はしているが、それは偶然の幸運が重なってここまで来てしまっただけ、本当ならなにもできなくなっておかしくなかったんだぞ。
 そして何より(この記事を教えてくれたブログにも書いてあった言葉だけど)、人は簡単に死なないから。君は30歳から、仕事もそっちのけで生きる死ぬと言った事をいやでも徹底的に考えなきゃいけなくなる。生きることに苦しむ人と毎日毎日禅問答を繰り広げなきゃいけなくなる。生きることって22歳の君が考えるほど簡単じゃないし面倒だからって辞められないキッついものだって解るよ。その分楽しいことも沢山あるけどさ。
 人は簡単に死なないし、生きてる限り、人に迷惑をかけ続ける、と言うことをイヤになるくらい知る。更には、「とてつもなく大きな被害を与えてしまう」迷惑をかける日が来る。生きてれば必ず数回は来る。その時に被害を最小限にとどめる、リスクヘッジに最も効果的なのは、金なんだ。別に楽しんだり遊んだりする為に金がある訳じゃないんだ。その辺良く知っておいたほうが良い。君が22歳でコレを知ってたら迷惑かける人も少なかっただろうよ。
 そしてその時に、人間は逃避しないといけない。全然悪いことじゃなくて、どこかで自分を再生しないとやっていけないし、そういう余裕はみんなに与えられている。だけど、自分の傷を癒したり、閉じこもる場所を確保するためにも金が必要だから。家に居れば良いなんてもんじゃないから。この世界から逃げることはできない。自分の場所をきっちり作っておくためにも、金の使い方は若いうちに覚えておいてくれ。頼むから。
 3. 第一印象で家を買わずに、近隣の住宅環境に恵まれた安い家を買う
 あなた家買わないから。でも買うときには第一印象で買いそうだからいっておく。きちんと考えろ。
 あと、26歳のときに車買うのだけど、そのとき第一印象で決めただろ。なんで販売店に初めて行ったその日に買うんだよ。CDコンポが付いてたというだけでトヨタのサイノス買うんじゃない。いや、今思っても間違った買い物してないんだけどさ。
 そもそも結婚も第一印象だし。どれだけ人生のターニングポイントをフィーリングで決めてるんだ。
 あなたはインスピレーションで動いた行動に対して、それを絶対真、正しいと思える能力が高すぎる。
 地図も見ないで道を選んで堂々と誤った道を突き進む性格、そしてねじくれたロジックで正当化する能力、あんた、すごいよホント。それは個人としてはすごい幸せな能力だと今でも思うけど、周りから見たらただの馬鹿だから。
 崖から転げ落ちても「正しい選択と行動だ」と信じ込めるその発想力は、われながらすごいと思う。自分ひとりで教祖と信者を同時に演じてるよ。ほんと、お手軽なセルフ宗教にしてセルフ狂信者だと思うよ。でも、それはもっと頭使って行動する人間のもつべき信念だからね。適当にフィーリングで決めた道をいつも絶対真理と思って歩くのは、ただの「誠実すぎる馬鹿」だぞ。
 打算的になれとは言わない。だけど、ロジックを考案して、それから行動する能力は圧倒的に欠けてる事は早めに理解しておいたほうがいい。
 人は君がおもうよりずっと考えて生きてる。考えてないの君だけだ。僕の知る限り。
4. 予算内で生活をする癖をつける
 2番とつながるけど、あなたこれも全くできてないし。今でもできてないし。
 でもね、君はこれから会社やったり会社員になったりフリーランスやったり、それこそ想像してなかったほどにジェットコースターロマンスな人生を歩むのだけど、どこでどんな仕事してても予算と決算はついてくるからね。順番は逆になっちゃうけれど、できれば会社に属している間に、予算の勘所をしっかり身に着けておいたほうがいい。どこの会社にも、予算と決算に鼻がきいて、年度にぴったり抑えられる人が居るから、その人の行動をしっかり見ておくことだ。
 あと大きな予算の使い方を見ておくこと。これ、早めに見ておかないと本当に後悔するよ。面白いもので、フリーだろうが会社だろうが、その人に扱えるだけの予算しか割り当てられないから。大きな仕事をしたければ、大きな予算をしっかり扱えるようになっておけ。生活だけじゃなくて、仕事のためにも。やりたいことのためにも。
長いので、とりあえず4番まで。5番から先はおって。

3月11日

 この日を語る言葉は持っていない。
 何を書いても、うまくまとまることはない。
 その日は公休日で、友人夫婦と新宿にてんぷらを食べに行く約束をしていた。
 我が家としては非常に珍しく、(リハビリを兼ねて)家内が一人で先に都内に出ていて、僕が自宅に一人で過ごしていた。こんな状態は年に2,3度あるか否かだ。かみさんが外に出るときはほとんどの場合僕が付き添っているし、僕が仕事に言っている間、かみさんが家から出ることは滅多に無い。
 僕は一人で自宅に掃除機をかけたり、映画を見たりと過ごしていた。
 2時46分に何をしていたか、はっきりと覚えている。PCに向かってメールチェックをしていた時だった。
 iPodからは最近愛聴している「Snowbound / Donald Fagen」が流れていた。
 
 揺れた瞬間は、よくある、いつもの地震と思っていた。
 が、次々と大きくなる揺れに、恥ずかしながら一瞬にして怖くなった。
 生まれて初めて机の下に隠れた。PCの載っているラックを必死につかんで、震えていた。
 棚から段ボール箱やテレビ、荷物が数多く落ちてきた。
 スピーカーから流れるDonaldFagenの声、美しいフレーズが一層クリアに聞こえた。そのゆったりしたハーモニーが、余計に怖かった。
 揺れが収まってから、少し深呼吸をして、机下から出た。
 
 事の重大さに気がついたのはそれから15分ほどしてからだった。
 連絡が取れない。電話が繋がらない。メールも不通。テレビもtwitterも各種メディアも、混乱してて良くわからない。とにかく、なんだか大変な事が起きていた。ただ、それが何なのかは解らなかった。
 阪神大震災の時、僕は大学2年生だった。
 西武柳沢に借りていたワンルームで、当時の彼女とテレビを見ながら、現実の事と感じられないその「メディアの先の混乱」をどのように自分の中で消化するか、別の意味で混乱していた。
 どちらかというと「湾岸戦争」や「ベルリンの壁崩壊」をテレビの先で見ていたときと同じ感覚だった。
 申し訳ないのだけれど、関東に住んでいて、大阪や神戸に一度も足を踏み入れたことも無く、人生の経験値も少なく、想像力も貧困な自分には、あの当時のことを現実のこととして受け入れることができなかったのだ。
 今回は、明らかに肌でその威力を感じた。自分の肉体と繋がっている場所で何か大事変が起きた。多数、繋がっていることを当たり前と思っていたメディアやツールが混乱した。自分は何もできなかった。
 ただとにかく、人間として、組織人として、家長として、やるべき事をPCの前でやるのが精一杯だった。
 一つは、かみさんを安全な場所に誘導すること。
 一つは、会社と連絡をとりながらでき得る対応を行うこと。
 できることを全部できたかどうかは解らない。とりあえず、かみさんは友人の家に避難することができた。(宿泊させていただいたYさん、とても感謝してます)
 
 それから先の一週間は、数多くの日本人の総意とほとんど変わらない。得られるニュースも、その中で考えることも、できる対応も、変わらない。今はただ、日本人の一人として、できる限りの支援をしながらも、平時と変わらずに、復興のため、次の繁栄のために精一杯がんばること。
 ありきたりな結びだけど、できることをやりきる。しかない。
 今自分の居る、この状況を、ありがたく受け入れて。
 日本に生まれて日本で育った、社会に属して生産と消費を行う一人として、がんばります。

Snowbound

 以前、ふとtwitter上で、あるお方と、Donald Fagenのソロアルバムの会話を交わしまして。
 アルバム「Kamakiriad」にある「Snowboud」という曲のよさを改めて再確認。思い出して今週のヘビーローテーションになっています。
 僕自身も忘れておりましたが、このサイトの主旨は「スティーリーダンのファンサイト」です。
 決して山本輔の個人露悪趣味ブログではございません。
 下のYoutube動画はオリジナルではなく、FourPlay演奏のもの。
 Guitarはラリーカールトン御大。軽やかで歯切れ良い音色。

 本当はこういう曲が似合う30代になりたかったんだよね。
 今はマキシマムザホルモン的30代になってしまってます。
 それはそれで好きなのだけど。ノーメイク風呂へ 気分はスター・ラメ 。
 かみさん曰く「似合いたいのであればスマートさが1500%足りない。とにかく痩せろ。12kgほど」。

 今日は以前から懇意にしていただいている方と3年ぶりに再会。大手町でランチ。
 3年ぶりの再会のどこが懇意なのかと言われそうだけれど、今はこのブログ含めコミュニケーション手段がたくさんあるからね。本当にいつもお世話になってる方なのです。
 この方は、ずっとこのブログも読んでくださっていました。そして僕も、この方のブログなり日記を読んでいて、常に共感をもって日々を過ごしていました。
 この方のブログも「自分の言葉で語っている」事がよくわかる文章が連なっていて、本当に楽しく読ませていただいていました。(僕のは言わずもがなの駄文ですが)
 この「自分の言葉を語る」文章をお互いに読んでいると、旧知のように思えてきて、ほんの2時間ほどの語り合いでしたが、とても優しい時間を過ごせました。久々にお会いしたとはいえ、そこまでに積み重ねてきたこの言葉群が、お互いの心象を近づけてくれるものだと、改めて実感しました。
 佐々木俊尚というジャーナリストが、新書で「キュレーションの時代」を謳ってましたが、お互いに「自分」というコンテンツをもって共感で繋がる、この小さくも固いつながりの連続性と重要性を感じます。
 そう、僕がブログを続けている一つの理由は、これなんです。
 デンマークの友人こますけのときにも書いたけど、長年の物理的空白を、ブログが埋めてくれているのです。(ただこの話は今日の本題で無いので割愛。)
 久々にお会いしましたが、素敵な女性です。
 気風がよく、感情を受け入れて、これまでのヨシナゴトを含めた自分を愛情で満たしている方との会話、本当に楽しかったです。
 人見さん、本当にありがとうございます。

 大人になって、ヨシナゴトを受け入れていくと言うことの重さを、時にふっと考えます。
 大人になると言うことは背負うものが増えてくると言うこと。自分自身、気がつけば不思議と背負ってるものが増えている感があります。へらへらしてたのに。(へらへらしてたから増えたともいえる)。
 Snowboundは、「大雪に閉じ込められた」と言う意味。
 Snowboundの心持さえも、上記の曲のように、軽やかに美しく表現していきたいです。
背負うものと面と向かうと、閉じ込められたような心持になるときもありますが、そういうときこそ、歩んできた道を笑い飛ばせる強くて優しい仲間達とともに、軽やかに飛びぬけていきたいです。
 
 やっぱりこの曲がBGMに映えるオトコになりたいです。
 なぜ皆さん首を横に振ってるんですか。

酷い会

先日、「あまりにも酷い大人たちの会(通称:酷い会)」というアラレもない名称の会に参加してまいりました。
 参加してきた、というか、いつの間にかメインメンバーに入れられていた、と言うべきか。
 昨年末に、僕の知るお仲間方が5名ほど集まって忘年会を開いたところ、あまりに一般社会人らしからぬはっちゃけぶりをしたらしく、非常に皆様満足されたそうなのです。
 で、その会を再度開催するにあたって、一般社会人らしからぬ人ということで僕がその場にいることになりました。何故。平均的サラリーマンのはずなのに。
 ええ、朝まで飲んで非常に楽しい時間を過ごさせていただきました。
 暗くならず、深刻にならず、良識を蹴っ飛ばせる無頼の気持ちをフトコロに持ちながら、大人としてのヨシナゴトをつらつらと、腹を割ってお互いに身の上を語り合えたと思っています。
 ただ、酷い酷いと言いながら語りましたが、その実そんなに酷くないというのが実感です。
 ここに集まっていたのは様々な業界でのフリーランサーやクリエイター、制作会社勤務の方々。
 こういった方々って、本当に根が真面目で、良識的な方々が集まってると心底思います。
 まあ、僕自身がこのような業界(制作人)の方々と、反り具合が似てるという心情もありますが。
 ある意味、自分で自分を律してないと、とたんに足元が揺らぐバランス感覚の中で生活をしている方々だと感じています。
 その方々のバランス感覚の中で、非常に研ぎ澄まされたコミュニケーション、会話をすると、酷いといっていてもその実必ず振れ幅が自分の中でコントロールできている状態内での酷さなんですね。それがまた洒脱で、軽妙で、すばらしい。
 多分、一番バランス感なく、酷いところに突っ込んでいったのは、僕だったと思います。
 僕自身はバランスをとって軽妙に渡り歩いてるつもりなのですが、バランスの中央が人とどうにもずれているらしく、酷い話でいつもながらに周りをひかせてしまいました。ごめんなさい。
 「父さんだってな、若い頃は無茶を・・・」なんて台詞、吐きたくないのですが、皆さんの話をまとめると僕の若い頃は少しだけハッチャけ過ぎていたのかもしれません。
 僕は唯好奇心が旺盛だっただけです。今でもですが。
 

ご旅行

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 そういや、日光に旅行行ってきたのでした。カメラも持たず、不届きへらへらな放蕩旅路でしたが。
 写真は全く関係ない浦安の別国家です。
 華厳の滝や中禅寺湖を回って一泊、夜は19時ごろに宿についてのんびり温泉。次の日は日光東照宮といういかにもザ・日光というルートでした。
 ぼくら夫婦は which do you like 山or海という質問を投げかけられたとき、どちらも迷わず海と答える湿り気抜群の妖怪&日本人形なのですが、この旅行でもその嗜好はいかんなく発揮され、ひたすら水辺をゆったり廻るだけで一日が楽しく過ごせました。中禅寺湖、いいですね。
 僕自身は旅行自体嫌いではなく、あちこちに目的も決めずにふらふらするのですが、うちのかみさんはなかなか外出が難しいこともあり、二人で一泊旅行したのは本当に5年ぶりぐらいのことです。
 僕が好きな「駅についてからとりあえずどっち行くか決める」的旅行はうちのかみさんの病状をことさらに悪化させる要因にしかならないようなので、これは僕一人or次回ブログにも書く旧友QZQYとしかやらないことにしています。
 旅行に出て、何が一番嬉しいかと云うと、別の空気に触れることで自分の頭の中がどんどん膨れ上がること。いろんなアイディアがすっきりと整理される。だからって生産的な事はしないんだけどさ。
 旅行してから一ヶ月弱、生活の周りもいろいろ変わってきた気がします。いろんなことが廻ってます。
 こういう、運気が変わる、と言うのが旅行のいいところです。旅行っつか、行ってスッキリ→自分の心持が変わる→行動が変わる→なんだかラッキー。というものなのでしょうけど。
またモヤモヤしたら行ってくることにします。

ボーダーオブライフ

恥ずかしい手記
僕の尊敬する先輩のブログに「中学高校のときの日記」というものについて記述されていたよ。
 とても甘酸っぱいものを感じながら、自分の手元にも膨大なノート群(約70冊)があることを思い出しました。
 そうそう、僕も中学時代からノートを書き連ねる癖がついてました。
 社会人になってからも、3年くらいはまだPCやインターネットのインフラが整う前だったので、ノートを使って議事やToDoを管理する時代だったため、学生時代から業務に至るまで細かい記録がアーカイブされていました。
 このブログといい、自分の言葉をアーカイブ/蒐集することに何か変な情熱を持っているようです。昔から。
 そんな中、先輩を見習って自分の中学時代を思い出し、ノートをめくってみると・・・
(淡い恋話が思い出される事などを期待しながら)
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(日付記録が無く、詳細不明)中学三年:1987年頃と思われる。
強靭な精神を
 抜け出すためだけの勉強は、新手の拷問を受けているみたいだ。
ほとんどが一瞥されただけで落とされていく。当然な事を考え、目の前に積み上げられた参考書や模試の結果を見ながら、若者の精神が急速にやわになってきているんじゃないかという危惧をもった。おそるべき無教養。限りある青春の無駄遣い。受験をなんでそんなにイージーに考えられるのか。偏差値ばかりが無責任な大人たちに過大評価されるものだから、惑わされているのかも知しれない。
(中略)
目的を見失うな。目移りばかりしてないで自己に深く潜り込み、息苦しくなっても耐え、ギリギリのところで水面に顔を出し、外の世界をコレまで知らない眩暈の中で発見する。その発見を高校に求めるのだ。鯉から吐き出されたあのヨナのように。学徒という職業は古代の哲学研究者の末裔でもあるのだ。
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えーと、誰?
 君、学徒だったの?
 一瞥って意味わかってる?
 眩暈って書いてみたかっただけちゃうんか。
 15歳の少年は「若者の精神がやわになってきている」かどうかより
 まず自分の頭と高校受験を心配しろ。
 いやあもう、驚きを通り越してショックですよ。
私にもこんな堅物真面目な(自分で言うな)時期があったなんて。
いつから私は目の前の日銭しかみない「へらへらクラゲ」な人間になってしまったのでしょう。
誰か教えてー!!
 うん、なんとなく芯は変わってない気がしますが、若い頃はやたらと難しい字を使いたがる中二病でしたな。というか、今読むと全く意味がわかりません。勢いと高尚ぶりたいためだけに書いてるなこれ。更に言うと、中学時代から村上龍の影響受けまくり。そりゃ捻くれるわ。
 そしてこの文章が延々と二ページびっしり埋まっている。若い頃から長文記述の癖が変わりなし。三つ子、じゃない、十四つ子の魂百までだ。
 上記のはまだ恥ずかしさに耐えられるレベルの文章でしたが、その他の文章は更にしかつめらしく何が書いてあるのか全くわからなくなっておりました。当時よりも頭悪くなってるんでしょうね。僕。
 先輩のブログでは90%が恋話とありますが、僕のノートはどこを切り取っても恋話無し。恋話無しでノートを書き連ねられるのは、むしろハイレベルなスキルではないか。僕の青春を誰か返してくれ。
 因みに上記のようなこと書いといて高校受験落ちました。倍率1.01倍で。
 1999年ごろの日記になると・・・当時社会人3年目
 10月13日
 佐賀出張:6:00新幹線
 起動プログラム入れ替え
 10月14日
 地下編集卓:VHSコピー
 大垣市○○検収
 花○しき:企画提案打ち合わせ
 18:30 ○○イベント打上参加
 21:00 角館行き
 10月15日
 プロダクションに声優確認
 見積・企画提出(Fax)
 10月16日
 朝出~富山
 プラネタリウム企画書打ち合わせ
 10月17日
 神楽坂
 銀行 融資相談
 10月18日
 田端 ロボット立上~車手配:工場へ
 ・・・・うん、やっぱり色気ない。
 というか、今と比較にならないほどエネルギッシュに活動してる。
 なんで銀行に融資相談なんかしてるんだ。
 制作から企画、経営にいたるまで、仕事の幅は今より全然広いんじゃないか。
 学生の頃といい、社会人はじめの頃といい、確かに何かを思い出させてくれる。
 そのほとんどが、今の僕が忘れていること、失いつつあるもの、です。
 当時はまだ書物の世界や閉じた世界しか知らなかった。その中で、でも「知らんものは知らん」と言える自信を持って世界と立ち向かってた気がします。もちろん、いろんな人に迷惑を掛けてきたけど、それでもタフに立ち向かってました。少しづつ世を知るにつれて(まだ解らないことは多いけど)、足が竦んだり捻くれてしまったりしている事は否めません。
 23年前も、11年前も、キラキラしてた、と言うと語弊はありますが、今よりは明らかにギラギラしていた。と思います。今はテカテカしてます。
 やっぱり、ギラついていないとね。
 当方枯草の様な既婚十年目。
 でも、枯草は湿気が無く、よく燃える、はず。と信じてる。