10年の歳月と成長

ブログを10年続けると、当たり前だが10年分の蓄積があるわけでして。
 丁度10年前の今日、僕が何を考えていたかも、このブログの中にしたためられているわけです。
 ●2000年3月28日
 うむ。成長してない。
 26歳にして社会的に欠落した事を言っているが、36歳にしても全く同じ状態にある。これを不成長と取るか、達観と取るか。

千鳥が淵散策

 武道館行ったぞ。
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 と、リンクを貼っておいてなんだが、武道館に用事があっていってきた訳ではない。
 たんなる花見散歩、物見遊山と決め込んで、軽装ひとつで遊楽坊主と参りました。
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 東京に住んで(ちょっと嘘。千葉だけど)はや18年。人生の半分を花の都大東京での生活、上京物語の親不孝モノとして暮らしているおいらではあるが、そのほとんどを引篭もりとして暮らしているので実は都内の花見処を全然知らぬ。花見処はおろか歓楽街や有楽街も全然知らぬ。わはは。誰か連れてけ。
 そんなわけで、自分の定期券通勤内、更には学生時代の徒歩圏内に、こんな花見処があるというのは全然知らなかった。
 今日はまだ花見をするには底冷えのする天候で、絢爛花を見ることはできなかったけど、それでも広い公園内をふらふらとかみさんと二人で散歩する中で、また夫婦会話を楽しんでまいりました。
 丁度今日は卒業式日和。
 千鳥が淵内、武道館では明治大学の卒業式が。
 いや、大学の卒業式といえば、僕は本当に申し訳ない親不孝ものでありまして。
 情けない思い出に胸をえぐられて参ったのでございます。
 ご存知の方はよく存じておりますが、不肖山本は大学に5年行っております。はい。ええ。単純に留年でございます。仏語を一単位落としての。
 3月、卒業証書発行の日まで全然そんなことは露知らず、卒業見込みが出ているので当たり前のように就職活動をし、内定を取り、あまつさえ発表の翌日からはタイに卒業旅行に行く予定となっておりました。
 更には卒業を喜んでくれた祖父母。卒業式にお招きし、家族総出でお祝いと相成る予定でございました。
 ところがぎっちょん、蓋を開ければ仏語の試験で赤点をとり、卒業見込み取り消し、親に超絶ヘッドバンキングで詫びを入れ、で翌日からタイに飛び立ってしまったため、計画的犯行とまで疑われてしまいました。いや、本当に、自分でも想像してなかったのです。嘘じゃないんです。
 ともあれ、本当にこの事は今でも心に悔いているのです。
 祖父は一昨年に他界し、この代わりの孝行をできなかった責めは背負っていかないといけないと思っております。はい。
  そんな中、唯一の救いは、内定をもらっていた会社が「卒業なんかどうでもいいから、4月から来い」と行ってくれて、ちゃんと働かせてくれて、あまつさえ卒業まで授業の時間を勤務からはずしてくれたこと。新卒時代の会社にはいろんな意味でお世話になり過ぎております。
 卒業決定の段階で、真っ先に社長にお礼を言いました。
 そんな訳で、履歴書を見ると、97年4月から職歴開始なのに98年3月卒業という僕らしくもややこしい人生履歴を残しているのでございます。
 あまり人前で吐露する話ではありませんが、まあ、隠し立てるものでは無し。
 そんなわけで千鳥が淵を散歩し、未来科学館を堪能し、帰りは大手町で博多水炊き地鶏を食し、自宅に帰ってDVD鑑賞。まあ何たる満喫休日。花粉さえ無ければ本当に素晴らしい一日でした。びえくしょい。
 語りたいことは他にもいろいろあるけれど、とりあえず今日はココまで。

futurism

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「未来派」に凝っています。
 ●Links to 未来派
 20世紀前半の未来派は、動作、動力、変化を基調に、動力をパワーアップさせるという点でメカニズムや産業の発展、果ては戦争をも無条件で賛美していた思想ですが、果て21世紀にこれを考えたとき、何が「20世紀の『動き』」に値するのだろう。
 産業の発達と言う意味では、20世紀に負けないほどのスピードで今も発達しているはずなのに、20世紀と同じスピードで僕らは豊かになっているのだろうか。豊かになるための素地にあたる環境、知材は手に入れているはずだけど、20世紀のようにリアルに衣食住には反映されにくい時代になっているのだな。
 画像はモンドリアン作であり、未来派の絵ではないけれど、未来派野郎な方ならご理解いただけるかと。
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思考が現実になるor夢は適うのか

It's a 目白台
 いやね、ちょっとこの前家の前を散歩してまして。
 僕の自宅は住宅街であり、様々な家やらマンションやらが立ち並び子供が公園で遊んでいるイカニモな空間です。高級住宅街かといえば決してそうではないのだけれど。
 そんな町並みをフラフラと缶コーヒー片手に放浪していたときに、ちょっと思ったことがあったんですね。
 「ああ、20歳の若い頃は、30代になるとこういう住宅街に一軒家でも建てて、子供の二人くらいと一緒につつがない家庭を築いて大きな会社で中堅社員としてがんばりながら生活をすると思って・・・」
 と、この辺りの家を眺めながら、自分の人生を悔やむように告解してみようと思いました。ああなんて僕は全うな生き方をしていないんだろう。30代後半に差し掛かると言うのに。全然駄目な大人でごめんなさいああああ。と後悔してみようと思いました。むしろたまにはそうやって絶望してみるのもオツなものです。酒の肴にもいいですね。ウィスキーに合います。
そうやって懺悔に対してまでも斜に構えるのが僕の悪い癖です。
はいごめんなさい。
 と、自己憐憫を感じようとしたそのときに
 「ああ、20歳の若い頃は、30代になるとこういう住宅街に一軒家でも建てて、子供の二人くらいと一緒につつがない家庭を築いて大きな会社で中堅社員としてがんばりながら生活をして・・・」
「・・・いたいとは思ってなかったな。」
 と、自分の過去を振り返って、いわゆる「全うな人生を希望しては居なかったのだな」と自分の中で自己矛盾を起こしてしまいました。「そしてそんな僕が過去に居たから、今のように泥だらけで七転八倒な人生を歩んでいるのだな」「むしろ、当時考えていた生活に今とても近い生活をしているのではないか」「なんだ。夢って結構簡単に適うじゃん」というむしろ逆に幸せなハッピーライフに気付いてしまいました。
 うん、思考していたことって結構適うものだと思います。
 夢の大小はあるけれど、二十歳の頃あこがれていたライフスタイルには非常に近いポジションに居ます。そして、向いているベクトルはその当時の延長線上に確かにある。全然目標には届いてないけどね。でもまあ、その頃の自分とズレたことはしてないな、と思いました。
 僕がどういう夢を描いていたかは・・・内緒。うん、でも、こういう仕事をして、かみさんと一緒に、トラブルの森の中をドラマチックに駆け抜ける人生は結構期待してました。もちろん終わりはハッピーエンド期待。ちょっと思いのほか体力が続かなくなってきたけど。
  と言うわけで、僕は明日から世界征服を夢見ることにします。もし半分しか適わないとしたら、女性が沢山居るほうにしてください。お願いします竜王様。取引には応じますので。
(写真は先日の散歩の際に撮ったモノ。昔済んでた近所であって、今の近所じゃないよ)

故郷散歩

 最近50の恵シャンプーを使い始めた山本ですこんばんは。結果は一ヵ月後の頭皮にて!
 正月があけて、また相変わらずふらふらとあちこち散歩をして日々を過ごしてますが、「正月といえば里帰りであろう」とうちら夫婦が東京の中で故郷としてる場所をあちこち散策。
 うーむ、言葉で表すのはすごく難しいが、やはり家族が同窓(例えば高校とか、大学とか、DHとか)と言うのはいろいろと根っこを共にできるという意味で、とても安心感がある。共感できる場所が等しいというのか、連帯意識が高まるというのか。その意味で、同窓でメオトになれたのは本当に幸せなことなのだなぁ、と感じてます。
 懐古趣味っぽいけど、そうじゃないのよ。スタートするときはいつも足元の場所から思い出すようにしてるのです。
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 同窓と言ったばかりだけど、僕にとって4年間ほとんど通いまくったのはこの場所。かみさんは入ったことがありません。僕にとっては南門前早苗大学が思い出の場所です。
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 既に建物は立て直されてしまったが、旧八号館で僕らは育った。家といっても過言ではない。うちら夫婦が所属していたサークルがあった場所。
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 第二学生会館。なんだこの建物。うちらの学生時代はオンボロビルだったぞ。所々に学生運動の残骸が残る、歴史ある建物だったのに、こんな建物建てられるくらいに金持ちになりやがって。生意気な。卒業生に寄付しなさい。
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 そして旧マイ部屋。場所特定は今の居住者にも迷惑掛けるのでちょっとぼかし。別名「ホテル目白台」のべ百人以上の友人が泊まっていった。ここを引き払ってからも十年経つんだよな。そりゃ長生きしてるよ。つい先日までここにいた気がするぞ。とはいえ、まだ存在してることにありがたい気持ちになったりして。
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 そして神田川。僕の住んでたのは「都電沿い」「神田川沿い」「一人暮らし」。どう見ても70年代学生だよな。一応90年代学生なのですが。93年~97年の学生時代。計算合わないのは気にするな。
 そしてこういう記事を書くとが反応する。「はげがまた回顧的なこといいやがって」とか言われるのを先読みして「回顧だろうが何だろうが更新するだけマシじゃこのもじゃもじゃ野郎」と返しておく。

自分の顔について

 イケメンでもない人間が自分の顔について語るのはいささか気が引けるのですが、まあ自分の顔を語ってくれる人間も自分しかいないのでちょいと語ってみます。
 というのもね、僕の顔、若い頃から表現が3パターンありましたが、そのパターンがだいぶ一つに偏ってきたなぁ、と兼ねてから気になっていた事があり、ついつい記録しておきたくなったのです。
 今まで、僕の顔を表現するのに
 ・爬虫類みたい
 ・両生類みたい
 ・妖怪みたい
 と、大体においてこの3パターンがあったのですよ。20代の前半から。
 若い頃は、それなりに自我もあったので「謂れが無いわ」とぷりぷりしておったのですが、ここ最近はこれも愛嬌、爬虫類も両生類も可愛らしい顔をしておるではないか。けろけろ。と結構この表徴、気に入っていたのであります。
 が、ここ最近、というかこの3年ほどは、両生類みたい、爬虫類みたい、と言われることが少なくなり
 ・妖怪みたい
 ・妖怪みたい
 ・妖怪みたい
 と言われることが非常に多くなってきたのであります。
 妖怪 イメージ画像
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 うむ、禿げ上がり具合といいAV監督っぽい胡散臭さといい、非常に似ている。
 妖怪、愛嬌があって好きです。
 そのように言われる間が華だなぁ、と感じてます。いや、本当に。
 僕は早く人間になりたいとか思わないし、むしろ妖怪仲間を引き連れてモノノケダンスを踊って楽しく過ごしたいと思う側の生き物ですので、その気分が顔にも表れているのでしょうね。今の世の中で人間になんぞなりとうない、って気持ちもその中に隠れていたり。
 ちなみにうちのかみさんは良くも悪くも日本人形に似ています。
怒ると神社に奉納されたほうがよろしい様なホラー祟り面になります。
 というわけで、これから僕ら夫婦の恫喝文句が決まりました。
 「てめえ、妖怪と日本人形が末代まで憑いて祟るぞ。
 やくざ者より怖い夫婦になれそうです。
 【おまけ】妖怪プロモビデオ
 僕も出演してておかしくない。と言うかどっかに出てる。
 前世はこういう世界に生きてたんだと思います。祭り好きだし。

10年はX-10の年

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 年が明けたといっても、何も変わることが無く、ごく普通の一日として1/365を捕らえていきたい、という青臭い気持ちもあり、また世の中と同じように、めでたき日はめでたがるのも世の常として捉えるがよろし、という心持もあり、今日の僕はそれとなく幸せです。皆様、今年もよろしく。

今年一年の取りまとめ(2)

 今日もダーツで皆さんにぼこぼこにされた山本ですこんばんは。職場のmoriが出したhigh-tonに打ちのめされました。正月中特訓することにします。
 さて、今年一年の取りまとめ、後半戦行きます。
【6】祖母の逝去
 伏木の街を僕のふるさとにしてくれた祖母が逝去しました。
 数年前よりずっと意識が無かったため、言葉は悪いですがある意味覚悟をしていましたし、その意味では心安らかに見送ることができました。
【7】両刀使い
 それは昔からだ、と言われそうですが、iPhoneとGoogleアンドロイドを持ったことで、一瞬にして自分の生活スタイルが激変しました。今まで10年間、自宅に帰ってPCを立ち上げなかったことなんて一日も無かったのに、いまやiPhoneがあればクリエイション以外は全て用立てられる。純粋に制作のみにPCを利用できるようになりました。生活そのものがかなり変わります。12月に購入したばかりなので、現在絶賛変革中。
【8】ポートフォリオつくってみた。
 そのときの記事
 長いこと映像制作的なことをちょこちょこやってると、さすがに気恥ずかしくもありますが、いろんな作品が残るわけでありまして。いったん作品をDVDに焼きました。
【9】逆流性食道炎になった。
 胃カメラ飲んだのも初めてです。もともと健康には絶大なる自信があったのですが、この年になるとそろそろ身体がやばいのですね。自重して進むことにします。気持ちは自重しません。おでこは自重するよう促します。
【10】安定した家族生活
 いろいろありますが、何より家庭の状況がこの一年間も安定していたこと、それ以上の幸せ、それ以上の事件はありません。
 4年前にこの状況が想像できたでしょうか。刃物と首吊り紐と借金と薬と脅迫と絶縁で彩られた日々。家族愛の強さ、家族愛の無力と切れやすさ、タフな精神力、生きてさえ居れば人生なんとかなるとの確信、本当の友人、様々な事を発見し、また手に入れました。ありがたいことです。もう二度と勘弁ですが。
 そんなこんなで2009年お疲れ様でした。また来年もよろしく。

今年一年の取りまとめ(1)

 さあいよいよ年末。ぐうたらな日々の始まりです。まだ2日ほど勤務日は残ってますが。更に家にはDVテープが山積みですが。まあナントカなるでしょう。この連休くらいはゆっくり骨休めさせてくれ。
 今年一年を振り返る、てのは僕は非常に苦手なのですが・・・まあ一昨年もやりましたし。(去年はやってないのかよ。)いろいろとラップアップ(最近流行の言葉)しながら、先に進まないとね。ほら、僕もう大人だから。突進ばっかりしてられないのよ。
 そして今年も早い。早かった。
 未だにモー娘。はデビュー直後だし、TMRevolutionはネクタイ振り回しているし、ゲーセンはKoF98で盛り上がっているはずなんです。僕的現代は。それから干支一回り経ったなどとは信じたくても信じられません。あの時、僕は24歳だったのか。全く成長してないな。
今年の個人的十大ニュースは・・・(順不同)
【1】総合ProコースWebデザイナー専攻を受講する
 「学校で学ぶ」と言う経験が、非常に大きな転機でした。
 二作年前には妻にも同コースグラフィック専攻を受講させましたが、充分支払った額の元が取れるサービス、受講クオリティ。それを自ら実体験できる機会があるとは思っていませんでした。そして自分の糧とする。
 クラスメートという存在、そして気がつけば訳のわからない関係となった恩師やアシスタント恩師、お客様であり契約者でありクリエイター仲間であり先生。大学の友人たちもそうでしたが、関係がごった煮と言うのは僕の最も好むところです。
【2】軌道に乗る。
 多くは語りません。語れません。後ろ盾が無い状況になったとしても、自分の独力でも、社会に、まあ多少は通用させていただけると言うことが解りました。これ、男としてものすごい自信になったのよ。自信なくし気味だった夏場にどれだけ勇気付けられたことか。と同時に、クリエイティビティについては僕は全く勉強不足だなぁと言うことも同時に実感。創る、という事に関しては、今後突っ込むか引くかは一度線引きをしなければなりません。多分突っ込んじゃうんだろうけど。
 しかし来年の目処は全く立たず。継続の難しさを知る。駄目じゃん。というかそれ軌道に乗ったと言えんがな。
【3】けんかやまサイト作る。
 http://www.kenkayama.jp/ (ID/PWは僕の名前)
 上記総合Proコース受講と被るのですが、僕にとってこのサイトを作ることは6年前から生涯の予定に入っていました。自らのライフワークの予定です。これから、このサイトを元に、また大きな人生の転機を迎える予定です。乞うご期待!
【4】再会する人が多数
 エトさん、やまぶどうさん、yosi君、ナナさん(会えて無いけどよく連絡取った)、かずさん、etcetc…久々に会う人が多かった。つか、最近は1年ぶり2年ぶりに会う人だらけになってしまったと言うことか。
このまま行けば近日中にそれなり君やえんちゃん、人見さん、つつきたん、taekoあたりに会う事になるんじゃないかと期待してます。
 久々にお会いして、近況の語らいをするのは楽しいですね。日々会える仲間も大事ですが、なかなか合えないフィールドに居る皆さんこそ大事に思っていきたいです。皆さんあっての僕だからね。
【5】部屋の改装工事
 上記とまたクロスする話題ですが、自宅の部屋をスタジオに大改編しました。大型液モニタからクーラーからハイスペックマシンから椅子から買い漁り、机からキャビネからヒト揃えして、今年の案件としては一番大きな仕事一本分まるごと改装費にあたったと言うくらい大きな変更でした。おかげで僕はゆったりした椅子にくつろぎながらこのブログを書けてます。
 更に12月に入ってからはgoogleAndroidとiPhoneを活用して、ノマドワークスタイルにも適用。制作は自宅で、事務系は外で、と言う形でスイッチできるようになって来ました。
 とりあえず5つ、残り5つはまた明日以降!