川崎 かなまら祭り

かなまら祭り 2013.4.8
会社の一大イベントの日。公休ではありましたが、やはりそれはそれとしてお手伝い。午前中の手伝いを終えてちょっと外出してまいりました。
祭り好きとしては一度は参加しておきたい天下の奇祭「かなまら祭り」(川崎市)です。
かなまら祭り 2013.4.8
かなまら祭り 2013.4.8
どんな祭りかは写真を見て絶句して頂ければそれに越したことは無いのですが、これだけ奔放で、明け透けで、皆様が人生を謳歌している空間はなかなかありません。宗教的自由やタブーの少なさと言ったことも含めて、これは本当に素敵な事です。
そしてラテン系の皆様の数の多さ。彼らの明るさとこの祭りは本当にマッチしている。
かなまら祭り 2013.4.8
少なくとも、日本のクリエイティブやグローバリズムに少しでも関わってるものとして。ハッピーである事。自由である事は本当に大事です。そしてどんな意味でも、マイノリティや思想的偏重者も皆公平に、お互いの存在を認め合える環境は何にも増して大事な事です。楽しく、生きていきましょう。
かなまら祭り 2013.4.8
かなまら祭り 2013.4.8

川越祭り

これも末広町。
 秋だ!祭りだ!曳山だ!
 春も夏も冬も曳山あるところに登場する山本ですこんばんは。
 最近、出不精になりがちで、5月にけんかやまを曳いてからというもの今年は他の曳山を全然見にいって無い事に気がつきました。こんなことじゃいかん。身体から曳山成分が失われて僕は枯渇してしまうではないか。
 曳山の華麗な姿。参加する方々のいなせな姿。太鼓と笛の音。にぎわう観客。心がうずく非日常の舞台。こういったものが無いと、僕の人生はあまりに色あせたものになります。この世に祭りがあって本当に良かった、と感じています。
 という訳で、突如思い立ち、10月21日には埼玉県川越市へ。関東三大曳山祭りの一つ、川越祭りを見に行ってまいりました。
関東の曳山は質実剛健かつ雅だなあ、と思う訳であります。
 曳山好きを公言しながら、恥ずかしながらも川越祭りは初参加でした。関東型の山車、前面に舞台があり、そこで仮面をかぶった演者が舞を舞う。粋と剛健っぷりが混在する素敵な祭りでした。確か秩父夜祭の屋台も、前面で歌舞伎を舞うんですよね。埼玉の曳山には舞台が備わっているようです。
連雀町の舞台。美しい。
 演者の美しい舞と囃子を響かせながら、町の中を山車がゆっくりと練り歩く。これです。これですよ。この美しさを何に代えられるというのか。けんかやま等しく、この山車にゆっくりと後ろからついて歩くだけで、胸の奥がじーんと響いてくるのです。僕おかしいでしょうか。いや、経験したことある人なら必ずこの気持ち分かってもらえると信じてます。
最高のポジション
そして、山車同士をぶつけあうのがけんかやま、坂を一気に上りきるのが秩父夜祭とするならば、舞台を重ね合わせて舞を競演するのが川越祭りの見せ所。2台の競演のみならず、3台、5台と重なり合って、お互いの舞をぶつけあう。この見所「曳っかわせ」、僕は今回初めて体験しましたが、囃子のリズムが多重に響き、舞がどんどん白熱するこのすばらしさ。とても熱く、心が震えました。
連雀町とはご縁があり、ひょっとすると僕がこの町の曳山を曳かせてもらえたかもしれなかった。そのご縁の方はもう他界されてしまい、叶う事は無かったのだが。
 そして、連雀町の曳山。
 実は、僕は川越祭りとは少しばかりのご縁がありました。
 その昔、知り合いだった方のご主人が連雀町の町内会に居りまして。僕が曳山好きである事を公言すると「曳山好きに悪い人は居ない」ととても可愛がってもらった記憶があります。そして、「法被も用意するから、是非川越祭りに遊びにおいで。一緒に曳山を曳こうじゃないか」と僕を連雀町の曳山に参加する段取りをしてくれたのです。
 結局、その思いは叶わず、間も無くしてその方は他界されてしまったのですが。
 今年、僕は自分の地元であるけんかやまを曳く事で、人生初の曳山体験をしたのですが、ひょっとするとその前に僕はこの川越祭り・連雀町 道灌山車に曳山バージンを捧げていたかも知れないのです。そう思うと、この町の曳山とのご縁を感じ、僕は今年ずっと連雀町の曳山を追いかけ続けていました。
曳山が街角から囃子と共に現れてくる瞬間が好き。
連の字を背負う男達。
 ひょっとすると僕もこの連の字を背負って、川越の街に立っていたかもしれない。そう思うと川越祭りがとても身近に感じます。
 いつもながらに暑苦しい僕の一人思い語りな祭り記事ですが、今回も、見に行って良かった。本当に良かった。これでまた曳山成分が僕の中に充填されました。これでまた次の曳山まで、頑張って生きていきます。
 合言葉は「祭りはすばらしい!曳山はすばらしい!」
川越祭り!

長年の夢

 元気を取り戻し、大分時間が経過しましたが、その間にあった大きな出来事について。
 いや、まあ、大きな出来事、と言ってもあくまで個人的な大事件なのですが。僕の人生としては十指に入る位大きな出来事です。
 もう、いやになるくらいこのブログに書いてますが、僕は地域の祭り、神社、といったものが大好きです。特に曳山と獅子舞については、何をおいても駆けつけるくらいの大好物です。
 関東に住み始めて20年。休みの日にはあちらこちらの曳山をカメラ片手に見に行くと言った趣味もあり、今では僕の人生のフィールドワークの一部として祭りが根付いています。
 そんな僕の人生に大きな影響を与えた、そして僕が最も愛している、祭りの原風景ともいえる祭りがこの、富山県 伏木神社例大祭 通称「けんかやま」

6台の曳山を町中引き回し、その中ではお互いにぶつけ合って熱狂する「けんかやま」の名に恥じない喧嘩祭りです。
Links to けんかやま公式Webサイト
あまりに好きすぎて自分でファンサイトを作り上げるほどでした。
Links to けんかやまファンサイト
 毎年この祭りの日には地元に帰り、親への挨拶もそこそこに(親不孝モノ)、祭りを見に行って深夜まで曳山をおいかけていました。そう、この祭りは、厳密には僕の地元ではなく、祖母の地域、いわば隣町のお祭りだったのです。
 この祭りも200年近い歴史を誇る伝統祭です。地元民により継がれてきた行事であり、隣町の人間であっても、むやみに曳山に触ることすら、許されてきませんでした。
 さらには、女性が曳山に触れるのが許されたのはなんと2002年!200年間女人禁制のまつりでもありました。
 僕は昔からこの祭りが大好きで、隣町の住人にもかかわらず参加したくて堪らなく、「将来は伏木の町に家を建てて曳山を曳くんだ」と大きいのか小さいのかよくわからない夢を語り、その夢に向かって?まい進する人生を歩んできました。
 とはいえ、「伏木の町に家建てる」と言う事が夢としてはとても微妙で、愛媛出身の子と結婚したり、東京で職を見つけたりするうちに、人口数千でコンビニすらない(本当にない)伏木の町で暮らす、と言う事の非現実性に気がつき始め、いつしか「僕は曳山を曳くことは出来ない、ずっと見学者のままなんだろうなぁ」という気持ちになっていました。
 しかしながら、過疎化の影響から、幸か不幸か、伏木の町の祭り参加人数も減少してきており、外部の人を受け入れるようになってきた、という声が聞こえてきたのです。
 祭りを愛する人間としては、外部の人を引き入れなくとも、地元の人たちだけで継いでいけるにこしたことはないと思ってますが、それはそれ、これはこれ。僕にとっては朗報でした。
 とはいえ、東京での仕事が忙しかったり、何かと入用で、祭りに参加すること自体は「いつか参加できるだろうな」という安堵感とともに、大人のオトコの夢としては、どこかに置き忘れてきたような心持になっていました。
 が、去年、震災があったり、自らも病に臥したりと身の回りが変化しており、「自分の夢も果たしていかないといけない」と思いはじめ、祭りの実行委員会にメールで参加希望の旨を伝えてみました。
 答えはアッサリしたもので
「曳山をひきたいという件については、各町制限はありませんから大丈夫です。ただ法被がないとひけません。私の町内は湊町ですが、よろしければ準備させていただいてもかまいませんが。」
ええええええええ。法被?そこ?そこ問題なの?いいから、法被とかいいから。何着でも買っちゃうよ。法被用意して参加できるならいくらでも用意するよ!
というわけで、なんと、38年の夢が叶い、僕は曳山を曳く事に。祭りに参加させてもらう事になったのです。これを幸せと言わずに何という。僕にとっては夢の舞台です。これ以上の幸福はありません。
けんかやまの写真
 いや、もう、祭りって本当に素晴らしいですね。ドーパミンやらアドレナリンやら、脳内物質が出まくりました。曳山を曳いているだけで胸にじーんとこみ上げるものがある。曳山のぶつけ合いをしていると生きてる実感が沸き起こってくる。もう多幸感溢れる、本当に素晴らしいひと時でした。38年生きてきて、今が一番幸せなんじゃないかと思ったくらい。曳山の上で舞っている時、真剣にそう感じました。(写真の「この人」と書いてあるのが、一番イっちゃってる時の私です。)
けんかやま 夜への情熱
 地元の公民館で食事をしたり、着替えをしたりというその一つ一つの所作がもう嬉しくて仕方ない。何度も書くけど、ここまで幸せなひと時はそう感じたことが無い。
 今、東京に帰ってきて、放心状態です。とはいえ、充実感満ち溢れていますので、明日からも元気にがんばります!

福岡町第二区獅子方若連中!

 世間は911がとても印象的な一日になっておりますが、僕には910が更に思い入れ深いです。
 9月10日は、富山県福岡町で秋季例大祭・獅子舞が行われる日なのです。誰も聞いてないって?
 高校3年まで、毎年僕も舞ってました。
 でも、大学に出てくると共に、僕は全く実家に戻らない駄目息子となり、獅子舞からも疎遠になりました。
 それから20年。夏休み後の9月10日なんて、社会人にはなかなか実家に帰ることも出来ません。ずっとずっと、20年近く、獅子舞は目で見ることも耳で聞くことも出来ない、遠い世界のものになってしまっていたのです。
 あ、前提知識として。
 富山県にはその数1万3千を超える獅子頭があり、数千に渡る獅子舞が伝承しています。
 県外の人に言うとキチガイ扱いされますが、富山県民にとって獅子舞は日常なのです。
 
 富山県には、オフィシャルに「富山の獅子舞百選」なんて選別がされていたり(百に選ばれるのは本当にごくわずかです。)、地震速報のごとくgooglemapによる「獅子舞状況一覧」なんてコンテンツが存在したり、30年以上も前から獅子舞大競演会なんていう天下一武道会的なものまで開催されていたりする地です。香川のうどん以上にフュージョンしてます。それくらい皆さん獅子舞が大好きです。大好きというか血であり肉であります。
 で、
 そうなると、たくさんの獅子舞コンテンツがYoutubeにも存在することになり、自分の地元の獅子舞をネット上で見つけること自体が逆に難しくなるのですね。知らない人から見たら「どれもいっしょやん」といわれるかもしれません。でも、金蔵獅子、礪波獅子、氷見獅子と様々な種類がある上に、囃子を聞くだけでどれがどこの獅子舞かわかるくらいではないと富山県民は名乗れない世界(僕が決めました)。その中で、やっぱり自分が舞っていた獅子舞をきちんと見たかったんです。
 この10年間。僕の在籍した獅子舞団体(青年団)による獅子舞の記録は、広大なインターネットの世界の中でただこの一ページ。いつか僕も記録に残したいと思っていましたが、けんかやまの記録保存を先に充実させてから、という思いもあり後回しになっておりました。
 が、
 今回、僕の属していた青年団を、Tweetcastでライブ中継してくれた人が居たのです!
 alovesunさん、ありがとう!
 獅子舞は朝6時半から丸一日かけて廻りますが、一番のクライマックス、深夜0時の「獅子殺し」、1時間に渡る長演目をしっかりとiPhoneで撮影してくれました。
 ・・・それも、とても熱い解説付きで。富山弁丸出しの、でも僕の琴線鳴らしまくりの。

 ソーシャルメディア、ってすごい。です。
 全世界に配信して、一体どれだけの人がこの獅子舞を見るのか。
 はっきり言って、10数名も見たら御の字ではないでしょうか。
 でも、僕は一人で千人分以上見ます。数字で計算できない「思い込み」というものを付加して。
 この笛と太鼓のトランスを感じながら日々深夜の生活をがんばるのです。
 コストベースで考えると、どうしてもビジネスシーンには乗らないし、そのために記録も放送もされてこなかった。でもその人にとって大事なものを伝えたい人が居て、受け取りたい人が居る。すると、そこには「価値」と「喜び」が生まれる。
 それがソーシャルメディアの本質ではないでしょうか。TwitterやFacebookという仮面が問題ではありません。僕にはどんなテレビ番組より、この放送に価値を感じるのです。
 多分このブログを見てる人の一部しかこの動画をクリックする人は居ないと思いますが(そもそもここまでこの獅子舞話を読んでる人も居ない気がする)、見てもらうと獅子舞がどういうものか、わかっていただけるのではないかと思います。さあ、見て。ほれ、見て。そして僕と語りましょう獅子舞のその熱さを。造詣の美しさを。囃子のグルーヴを。伝統の重厚さを。民俗伝承の素晴らしさを!(誰かとめてくれ)
 おほん。
 とはいえ、いきなりこの福岡町第二区獅子方若連中 演目「獅子殺し」を見せられても何がなんだかわからない方も居ると思います。基本僕のノスタルジーだけで語ってますので。
 ですので、僕のYoutubeファイルから、「良くわかる富山県獅子舞」をいくつかご紹介して、今日のブログを締めくくりたいと思います。日々獅子舞の動画を沢山集めてますので、僕のチョイスには相当自信ありますよ。ふふふ。(ニーズは無いですが)

 高岡市立野の氷見獅子。非常に忠実。お手本のような獅子と剣持の舞です。剣持のつま先から獅子頭の噛み方まで、とても勉強になります。富山全体に伝わる囃子「ぎんばやし(ところによってげんばやし、きんばやし、とも)」を演じています。

 その筋では有名な「六渡寺」の獅子舞。独特のうねる低音グルーヴが響きます。
 天狗が獅子頭に刀を取られてうろたえ、悩んだ末に仲間と共に一計を案じ、刀を取り戻す。そして退治。これは壮大なオペラです。この演目、氷見獅子の中でも貴重なものではないでしょうか。少なくとも僕の地方にはありませんでした。

 重要文化財としても保存される、伏木一宮の獅子舞。また伏木か!と言われそうですが、曳山も獅子舞も、どちらも伏木は一流なのです。各家への舞い込み、1分40秒辺りからの身体のキレ、小天狗の動き、赤獅子の朱塗りの色。どれをとっても最高です。

 もう一つ有名どころから、辰の口の獅子舞です。天狗と獅子頭が生み出す舞いの美をお楽しみください。天狗、剣持の動きに特徴があり、剣の扱いが綺麗です。長く、シャープな剣さばきです。

 そして氷見獅子の本場はやはり氷見市。野蛮という無かれ。これは日本における「闘牛」なのです。

 最後、ここまで見てくれた方へのプレゼント。こんな長文ブログを読み進めてくれた方は、獅子舞の魅力を理解してくれた人だと信じています。なので、非常にレベルの高い獅子舞を(ここまでもレベルが低いわけでは決して無いのですが)。獅子舞百選にも選ばれる、江柱の獅子舞で締めくくりたいと思います。冒頭の笛の音、たいまつの輝き、天狗の身のこなし、ご覧になってください。獅子舞天国の富山県で、百に選ばれるレベルが一体どういうことなのか、感じてください。
 ・・・紹介したものが全て「氷見獅子」になってしまいましたね。富山にはこれ以外に様々な獅子舞の種類が存在しております。今度僕にあった方には熱く語りたいと思います。逃げないでください。
※注 – 今調べましたら、立野も六渡寺も伏木も、皆百選に選ばれた獅子舞でした。すみません、僕の不勉強でした。

秩父夜祭

ここのところアクティブに外出してたら引きこもる時間が足りなくなりました。このままでは死んでしまいそうです。
 まだブログに書ききってないこととしても・・・
 ・日光に一泊してきました。
 ・都内を一日かけて延々30km歩きました。
 ・WADAYAに参加してきました。
 ・新婚の旧友に会ってきました。
 ・表参道でまた楽しいご相伴。
 ・なぜか真女神転生(SFC版)を始めてプレイ中。
 エトセトラエトセトラ。よく見たら引きこもる時間も確保してますね。いやいやこんなもんじゃ足りないのですが。
 そして12月3日はもちろん秩父にも行ってまいりましたよ。ええ、祭りです。行かなかったら即死ですよ。エネルギー切れで。
 このブログを閲覧に来ていただいている皆様には説明するまでもないかと思われますが、秩父神社の大祭、秩父夜祭の一番のクライマックスがこの12月3日にあるのでございます。
 2台の笠鉾と4台の屋台、それに神輿と神馬、打ち上げられる冬花火。僕個人としては一年間の祭りの総決算です。もちろん秩父の皆様にとっては、地元の大事な一大行事でございます。
 金曜の夜と云うこともあり、今までの秩父夜祭の中では一番の人だかりでした。なんだ午後6時から10時まで交通規制って。全くどこにも動けない状況での祭り見物でしたが、ええ、まあ、その、スネークばりに出没しまくりました。多くは語りませぬ。
 今年は7Dという相棒も得ましたので、久々に夜祭記録をどんどんと。
 でも、一番の見所はどうしても自分の目で焼き付けたいために、カメラを降ろしてしまうんですけどね。
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 秩父神社。出発直前の宮路屋台。笠鉾二台を見送った後に登場する一番屋台です。
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 出発直前。盛り上がる人だかり。このぞくぞくした感触が大好きです。
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 そして出発。歓声が上がります。
 イマジナリーラインを思いっきり無視してあちこちから撮りまくる僕。
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 上町屋台。後幕の獅子。
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 駅前の上町屋台。
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 見事なまでの屋台屋根。上町と中町は特に見ごたえがありまする。
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 中町屋台。グレーテスト!
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 と、相変わらずな僕です。何にも成長しておりませぬ。
 自宅に帰り、写真を整理していたら、かみさんからは「どの写真も甘い。愛情が足らん」と説教されました。本気で戦場カメラマンならぬ祭りカメラマン兼ルポライターとして育成されている模様です。それで食べていけるなら本当にそうしたい。
 誰か僕と本気で祭りについて語り合ってください。仲間が居なくて寂しいです。

佐原の大祭

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 はい。行ってきました。小江戸佐原のお祭りです。
 京都ではもちろん「曳山総大将」でもある祇園祭が開催されているのは承知してますが、今回は千葉県佐原市の本祭を見てまいりました。そのうち日本中の曳山制覇してやるからな。
 因みに佐原は川越や栃木と同様、小江戸として発達してきた側面が強いため、江戸文化を根とした祭りが主流になります。なので、「山車(やま)」ではなく「山車(だし)」なんですね。ええ。川越祭も同じく山車が出ますが、非常に似ています。上人形が大きくクローズアップされていたり、車輪は内車輪だったりと、文化圏の違いが見えますね。
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 夏に10台、秋に14台、更にそれぞれ3日づつと言う、山車マニアにはたまらない町ですね。年に6日と言うことは、2ヶ月に一日曳き山が出ている計算ではないですか。
て、ついてこれるひとー。おーい。
 なんでみんなこの話についてきてくれないのだろう。僕一晩中でも語るのに。
 お囃子の皆様
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 鯉。説明無用。
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休憩中も粋なものです。
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うちのかみさんも佐原では神様扱いされてた様です。
こんなに巨大化してるとは。
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見せ場。のの字回し。交差点で大きく回します。
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 この力強さが祭りの真骨頂です。
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応援する女性陣。僕も応援されたい。
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2体乗りの名物だし。金時山姥。
 
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彫り物も見事
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夜が更け、さらに風流が増します。
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タケミカヅチを背負った男の気概。
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 そして手踊り。
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3年ごとに交代する年番(当番町)の提灯。
この重責、この提灯に祭りの伝統が込められています。
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仁井宿。鷹!博多に出張しても喜ばれそうです。
でもこの3年は年番を務める区なので、出張どころではないですね。
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手踊りのベストショット。仁愛。
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神は細部に宿ります。
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やっぱり曳き山は夜に限ります。提灯の明かりが映えます。
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そしてこの祭り、僕が一番感動したのは、「川沿いを進む夏の曳山の風流」と言うこと。
いや、伏木のけんかやまも秩父の夜祭も、町の中に川って無かったんですよね。川面に浮かぶ曳山のシルエットの美しさは、この祭りの一番の見所だと思います。これを見れただけでも、僕はこの祭りに来た甲斐があった。本当に感動した。
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ついつい川まで降りて撮影。
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川の両岸を曳かれる山車。こんなシチュエーション初めてです。
川岸で夕涼みをしながら、川面に浮かぶ曳山の姿を眺める夏。
こんなプレイを楽しめるなんて僕の人生はなんて幸せなのでしょう。
これにきゅんきゅんくる僕は何かおかしいのでしょうか。
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 そんなこんなで曳き山三昧な金曜日でした。
 日曜日まで佐原の大祭は行ってますので、これを見たみなさん、本日、佐原へGo!
因みに、いつもの佐原はこんな感じ。町中央を流れるこの川が本当に風流です。
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明日は佐原に居ます。探さないでください。

 明日は佐原市まで遠征します。探さないで下さい。
 理由は簡単。明日は祭り、しかも曳き山です。僕が行かない理由がありません。
 Links to 佐原の大祭- Wikipedia
 見に行くの、初めてなんですよね。同じ県内の曳き山をまだ見たことが無いなど、曳山マニアとして恥ずかしいことこの上ありません。明日は相棒のEOS 7Dと共に佐原の街中を闊歩する予定です。
 もうなんでこんなに曳き山が好きなのか自分でも説明がつきません。
 ただもう、街中を曳かれるやまに連れ立って歩くだけで僕は心から幸せになるのです。もうなんだか変な病気の域に来てると思います。
 明日以降のブログには写真と共に暑苦しい僕の祭り駄文が並ぶことになるでしょうが、気にしないでご熟読ください。隅から隅まで舐めまわすように。
 明日はいい天気になりますように。みんなが楽しく、地元を愛する人たちが誇れる祭りを無事に開催できますように。
 

得物

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 得物を手に入れる週間。
 別名、物欲週間とも言います。
 物欲っちゃ失礼だ。ちゃんと仕事のために環境を整えているだけなのだ。
 てなわけで、先日のブログから、制作環境を改めて更新。
 ミキサーとスピーカーを一新して音系の環境を揃える。
 スピーカの位置はまだこれから検討中。今のところ並べておくしかないのです。
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 そしてこれからの僕の得物。人生初ビデオカメラHVR-V1Jを購入。
 得物は、買ったときではなく、完全に使いこなして、手足になったときこそ得物。これから修行のたびに出ます。
・・・
 かみさん「ねえ」
 X-10  「なんだ」
 かみさん「あなたはカメラマンじゃないわけよね」
 X-10  「いかにも」
 かみさん「で、なぜそんな業務用カメラが必要なのかな」
 X-10  「愚問である」
 かみさん「意味がわからない」
 X-10  「今日は何日だ」
 かみさん「4月17日」
 X-10  「すなわち、例大祭、けんかやままで後30日を切った訳だ」
 かみさん「だから何」
 X-10  「そろそろ祭りの準備をしなければならぬ」
 かみさん「だから何」
 X-10  「今年の祭りは今年しかない。すなわち、金銭をはたいてでも、心に刻み込む準備をしなければ仁義に悖る。」
 かみさん「心に刻むのにカメラ要らないよね」
 X-10  「(聞いてない)もっとも美しく、今年の祭りをとどめておくのに、なぜカメラ購入ごときで悩まねばならぬ」
 かみさん「いや、生活とか、考えてますか」
 X-10  「生活と祭りとどちらが大事なのだ。
 X-10  「祭りに分別など要らぬ!
 X-10  「何のために生きる!何のための祭りだ!
 X-10  「わが祭り人生に一片の悔い無し!
 X-10  「 祭り or die!
 という訳で、これからの僕の得物V1Jです。がっつり使わせていただきます。
 4月中にいろいろ設定をいじり、実験撮影をし、5月15日の祭りで実践投入。その後撮影現場に同行できるようにしていきます。これからよろしく。
 明日は趣味でのカメラを購入予定。同じカメラでも、お金の出所が違うのよ。

祭りに行く。

 12月3日は埼玉県秩父市で、「日本三大曳山」のひとつ、秩父夜祭が行われました。
 Links to 秩父夜祭
 もちろん、行ってまいりました。片道3時間、土砂降りの中。
 「もちろん」とは言ってますが、かれこれ6年ぶりなのですけどね。

 基本的に、「祭りは神事であって観光でない」というスタンスのため、あまり見に行くということ自体に行楽気分は無いのですが、この祭りに関してはいろいろご縁があり(仕事で祭りに携わった)、なるべくご縁あるものには義理を通しておきたいという気持ちで、見にいけるだけ見に行ってます。義理っつっても、単純に僕が愛着がある、というだけなのだけどさ。また、非常にエネルギーをもらえる祭りであるので、祭りが少ない冬の季節に、すこしでも自分の熱量を集めておきたいと思って参加してます。
 11年ぶりに雨の中の祭り開催。
 ずぶぬれのまま曳山に連れ立って歩くこの快感、誰かわかってくれる人が居るでしょうか。
 12月の雨は相当に冷たいですが、それを超える熱気があります。
 心地よい太鼓の音色からエネルギーをもらい、気持ちよく帰ってきました。
 今年は下郷の笠鉾が途中で帰ってしまったため、計5台の曳き回し。
 上町屋台と中町屋台を見送って、今年は秩父神社から出発する中近笠鉾を追いかけ続けました。
 言ってる意味がわからない人は手を上げてください。後ほど5時間ほどかけて説明に伺います。
 美しい冬の花火と曳山のコントラスト。もうたまらん。

 もうなんでこんなに祭りが好きなのか自分でも解りません。
 生涯祭りのことだけ考えて生きていきたい。

神社参り

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 祭りマニアであるということは、すなわち神社マニアであることです。
 そうあらなければならない必要は無いのかもしれないけれど、神社は好きなのです。
 今日は神社参りのために根津神社~上野の弁天堂へ。
 天気もよく、気持ちいい参詣でした。
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