この声は小さすぎて 君の元までは届かない

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明け方の渋谷。午前4時半。
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明け方の高田馬場。午前5時半。
いつまでこんな生活ができるのか。またいつまでこんな生活を楽しんでいるのか。
よくわからないけど、とりあえずお天道様に背く事はしてないので、楽しみ続けていいのかな、と。
動いたら動いたでプレッシャーになるし、じっとしていたらしていたで焦りを感じるのが世の常。
その中で、限りなくストレスのない毎日を送れていること自体、奇跡に近い、です。
僕は自分で自分を断定しない。
僕は楽しんで、我が身の大いなる責任を、適当に果たしていきます。
僕が成長してるかしてないか、大人になったかどうか、なんてものは、皆さんが判断してくれて、それに僕は従わせてもらえれば良いんだよね。
判断した方が、皆さんの都合がいいときに。本当に皆さんありがとう。
自分の責任範囲、できる範囲も、成果も、お天道様が決めてくれます。
だから僕はいつも安心して、精一杯、一生懸命なんですよ。

ALL THAT I NEEDED

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今日は横浜でクリエイターの仲間たちと定例の報告会。
や、定例ってこれは初めてなんだけど。これから毎月やろうと言うことで。
お互いに近況や状況把握をしながら、次の展開を考えていこうと思っています。
現場の言葉はやっぱり響きます。
ふと、遠い昔のことを思い出しました。
1997~99年。僕はある制作会社で「世界自然・野生生物映像祭」というイベントのディレクターをやっておりまして。
 このイベントは、世界中の野生生物のドキュメンタリーを一同に数百本集めて、審査して上映するという、とてもドキュメンタリー好きにはたまらないものでした。
 野生動物のドキュメンタリー映像というのは、映像の世界でも非常に特殊で羨望を集める世界だそうです。
 デビットアッテンボローを筆頭に、映像の知識はもちろん、動物学、地質学にも精通し、かつ「いつ生まれるか解らない卵の孵化」や「いつどこに出没するか解らない鳥」のワンショットを確実に収めるための、先回りできる知識と一瞬を逃さないカメラ技術と時の運(一度とりそこなったら1年待たないといけない画がたくさんあります)が必要。そして野生の凶暴動物を取るにあたっては安全性の確保や、何日もキャンプを続ける体力、もちろんそのクルーを纏め上げるリーダーシップと予算。エンターテイメントじゃないから、企業はスポンサーにつきません。世の中の野生保護に興味を持つ資産家から予算を引き出すプレゼン能力も必要になります。
 そんな知力体力時の運財力全てにおいてスーパーマンな映像作家何十人と同じ空気を吸えた、と言うのは今思うととてもすごい環境だったんだと感じてます。その頃はまだそこまで意識できませんでしたが。。。もったいない。
 イベントの運営を成功に導くのはもちろんですが、世界中のドキュメンタリーディレクターやカメラマンの生の声を聞けるチャンスとして、BBCやナショナルジオグラフィックの方々ともいろいろお話しすることができました。(ほんの少しですが・・・)
 その当時、世界一線級のプロが話していたことは・・・
・現場にどれだけ居られるか、それだけが勝負。
・お金じゃないんだ。ただ映像を作って人に見てもらう。その崇高さが僕に作らせるんだ。
・人としての愛嬌が大事。映像はみんなで作っていくんだ。(プロの仲間と言う意味での)サークルに入れない人は、出番が与えられない。
・知識、技術・・・あって当たり前。そして、ずっと勉強し続けなければならない。その姿勢こそが、プロなんだ。
・つらいことはたくさんあるけど、とにかく楽しむこと。現場の空気が映像に現れるよ。
 などなど。どれが誰の話かまではもう全く覚えてませんが・・・。
 で、話が元に戻って。
 今日、クリエイターの仲間たちと話をしていて感じたのが、上記世界のドキュメンタリー作家が語っていることと、僕らの仲間が語っていること、全く同じだということ。10年の年月を経て言葉の内容は風化もしていないし、プロの線を越えた人は、みな、同じ思いを持っているんだと再確認。そして僕はいつも、こういう仲間が側に居る環境に居させてもらっている、そのことに感謝。
 これからも、がんばります。
 久々に野生生物のドキュメンタリー見てみようかな。今見ると、またあの当時とは違った見方ができるかもしれない。
PS-YoutubeからBBCのWildLifeをみつけてきました。
 当時一緒に映像祭の現場に居た、くーたさん、Qaz…このアッテンボローのナレーション、懐かしくないですか?

 

制作環境


 以前から、僕の家の制作環境に関して「見に行きたい」「どないなってんねん」「どんな変な自宅なんですか」「はげてますね」など、いろいろご意見を頂いておりましたので、ちょっとだけ公開。えい。
 前に写真アップしたときはまだ環境整ってなかったしね。
 見ていただいたらわかるように、ホント3畳内にコンパクトにまとまった環境なんですよ。自分の部屋の半分をこのように使ってます。見せちゃうと、ね。秘密が無くなって詰まらないものなのですが、シンプルなことがお分かりいただけるかと思います。
 PCマシンは足元にあと2台。同様に足元にベースアンプが一台。音響は2.1チャンネルです。普通に生活するとあまりに暑くなるのでクーラーつけっぱなしです。
 カーテンの地はいろいろ訳ありでこの紋様です。
 
 この環境にて、ゆっくりとファイアーエムブレムをやったり低音を効かせて祭囃子を聞いたり、肌色の画面を眺めたりしています。あれ?

パソコンスクール開始から10年

 あの日から10年が経ちました。
 Links to 2000.7.10の記事
 10年前僕はパソコンスクールを運営していました。
 7月10日はその母体となる第一校舎「武蔵が辻校」の開校日。
 この日から約2年、複数にわたる拠点で延べ人数だと数百人の方々にお世話になりました。
 そのころの写真。
 武蔵が辻校 正面
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 教室
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 第二校舎(ご迷惑がかかることもあるので名前は出しません。モザイクもかけておきます)
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 第三校舎
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 第四校舎
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 開講初日、初めに来てくれたお客様のことはしっかり覚えています。はじめのころは1日1人づつ増えて、少しづつ個別学習の時間が埋まっていきました。
 よりよい講座を提供すること、講師としてのスキル、広報戦略、人材の活用・・・いろんなことを学びながら、すぐに実践しながら、毎日を送っていました。
 そして、第二校舎開講の日、説明会には50名近くのお客様に参加していただき、そのほとんどの皆様にお申し込みいただけた、僕にとってはじめてのビジネス成功体験も経験させてもらいました。(その夜のKawakami先生とのハイタッチ、今でもしっかりと覚えています)
 授業そのものはきちんと、皆様に提供できたと思っています。
 今でも、当時の生徒さんから年賀状が来ます。このことは、未だに、僕の支えです。お客様に尽くすことができた、と感じています。
 でも、バックオフィスの部分では、統括兼主任講師なんてえらぶってましたが、結局それはヒトに任せることができない、マネジメントできない、経営できないということの裏返しだったのですね。
 朝から授業をやって教材作って面談やってマシントラブル直して企画立ててチラシ織込やってお金の算段やって・・・それは一人の人間ができる範囲ではないのです。
 制作会社に3年勤めた経験を元に、半ば勢いではじめたスクール、当時は(今もだけれど)マネジメントも経営も会計も何もわからないまま、全てを力技でこなそうとしていました。
 その結果は・・・家族を破綻させて、精神を病み、後始末もできないままにさまざまな方にご迷惑をお掛けするという結末。東京に逃げるように飛び出してきました。
 そのときの無礼、いつか詫びに行かねば、と今でも思っています。
 (早く結果を出して詫びれる状態になりたい、今がんばる理由のひとつにはそれもあります。)
 同時に、当時僕が身をもって・・・
 ・人間下手なことでは死なない。
 ・お世話になった方々への感謝が何より大事。
 ・入金は恐ろしいほど大事だけど、何のために稼ぐのか考える。
 ・自分の時間はちゃんと確保する。
 ・気持ちが一杯になるまで仕事することはただの不義理である。
 ・経営者であっても、仕事以上に家族は大事にしなければならない。でないと破綻する。
 などなどを、徹底的に思い知ることができました。
 当時特にお世話になったのは、近くの学習塾に勤める友人(先輩)です。息抜きをさせてもらったり、一緒にビラ配りを手伝ってもらったり、彼のおかげで何とか正気を保つことができました。彼が居なければ僕はもっと早く首をつっていたことでしょう。(kazuさん、お世話になりました)
 このこと自体を振り返ることができるようになったのも、つい最近のことです。
 いつかまた、僕は自分の看板で何かを始めることがあると思っていますが、以前のこの事をしっかり見つめなおすことができない限りは、同じ失敗をすると思っています。
 パソコンスクールRustyRed開講から10年、もう一度、自分の成功体験と失敗体験、お世話になった皆様を総括して考えます。
 それは仕事柄、今の仕事にリアルに反映されて、結果につながることでしょう。いや、そうじゃなかったら総括にならないだろう。
 ・・・それにしても、かみさんの病気といい起業苦労といい、自業自得とはいえ、この10年間、なんでわたしゃこんな苦労の多い人生を歩んでおるのだ。それを楽しいと思っているからか。そうか。うむ。自分で選んだ道だ。好き好んで進んでいる道だからこそ、僕は笑っていられるのだ。わはは。絶対負けないからな。
 苦労と人の辛さと悲しみを知った上で、優しい人間になりたい。
 強くなる、成り上がる、等には価値をあまり感じていないのです。
 僕の中で一番の価値は「慈忍」です。忍んで慈しむことのできる人間でありたい。理不尽すらも一笑のうちに飲み込んで許してしまう許容量、僕はそれが欲しいのです。
 そこから逆算すると、確実にこの10年間は、僕を鍛えてくれた。
 苦労は多いけれど、僕が自分で責任持って選んだ道なんだな、と体感します。
 本当に、ありがたく、楽しく、思います。
 また酔っ払ったような結論に来たので、この辺で終わり!

映像とWebの親和。セルフブランド

 今日の一日。
 夕方からDommuneを見て、
 (Dommuneとは→http://www.dommune.com/)
 夜にはRadio365を聞いて、
 (Radio365とは→http://www.radio365.net/)
 深夜にはUstreamを見る(因みに見てたのは「アンジェラの戯言」)。
 (Ustreamとは→http://www.ustream.tv/)
 その合間合間に、「Youtube」と「ニコニコ動画」を見ている自分が居る。
 (とりあえず説明は今回省きます。ごめんね)
 インターネットで映像を見る、というのがとても普通に、当たり前になってきた。
 それも、マスメディアが流す映像ではなく、だからと言って個人・・・と言うにはちょっと大きい、自らメディアを持ち始めたパーソナルブランドな人たちの流す映像を見ている。
 ネットで映像が見られるようになったのはもう今から10年前のことだったと思う。
 10年前のある日、RealPlayerで「NewYorkCityBoy / Pet shop boys」のプロモが240×320の画面で出てきたときの衝撃は未だに覚えている。(その後は肌色の多い動画をもごもご)
 それからもずっと映像とWebに近い場所で仕事を続けてきた。どちらについても、それなりに流行を追い求めてきたつもりだった。
 でも、今年に入ってからの急激なWebインフラ上配信の変革は、10年前のインパクトに近いものを感じている。
 何がって、配信システムが出来上がったこと以上に、その上でコンテンツが集まってきて、更に見る側もiPhone、PCと選べる環境、ボタンひとつでスタートできる状況になってきたこと。
 僕はこれ、3Dテレビよりも大きな変革なんじゃないかと思ってる。
 セルフブランドというと綺麗に聞こえるが、誰もがインプット/アウトプットで対等な立場に立ったとき、単純に面白い人、中身のある人は要求され、そうでない人は淘汰される。とてもリアルな人間勝負になってきたと思います。
 それでも、先駆者利益は必ずあるはずで、今のうちにノウハウ、方法論を溜め込めば、キャズムを超えたときにリードした場所に居られるはず。大企業が予算を投下して勝負してきても、この分野でなら金額を押さえ込める可能性もある。
 僕みたいなフラフラしたサラリーマンには、吉とでるか凶と出るか。。。文章と映像がだれでも送ることのできるセルフブランディングな社会。もちろん、いい風が吹いてると信じてます。そうでなきゃやってられない。

悪玉君

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 昨年の9月から12月に引き受けた、友人の結婚式の演出や結婚式撮影やあれやこれやの映像をまとめて一つのDVDに収録。時々こうやってラップアップしていかないと、自分が何を残しているのかわからなくなります。
 ワンポイントには、僕と苦楽を共にした悪玉君をフィーチャー。
 イラストを描いてくれたイラストレーターの方には未承諾。ごめん。
 

Illustration

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10代のころから20代前半にかけて、描きためていたスケッチブックが出てきた。
 画材問わずいろいろ描いていた。
 予備校時代が一番描いていた気がする。
 あの頃から、既に画翠檸檬は御茶ノ水にあったし、喫茶ミロも裏路地にあった。よく通った。
 大学時代、イラストを描くサークルに居るわけじゃなかったし、画を描くのが趣味の友人も居なかった。
 どちらかというとコミュニケーションを取るためや、自分を理解してもらおうと思って画を描いていたことはあまりない。ましてやそれを職業にしようとか、自分の役に立てようと思ってたことも無い。
 でも、気がつけば多数のスケッチブックにイラストが残っている。
 僕の友人にもあまり見せたことが無い、と思う。
 (一時、数枚だけ自分のサイトの背景に使ってたことはあるけどね)
 なんとなく、描きたい、という感情があった時期があったのよね。
 うん、もう、生活に追われてそんな気持ち萎れていましたが。
 でも、カメラを持ち始めて、その辺りも喚起されたのかもしれません。
 自分の画が好きかといえば、当時は好きじゃなかった。
 専門的な勉強をしたわけじゃないし、巧拙は言うまでも無く、下手の横好きもいいところ。
 でも、オッサンもいい年になり、再度見直してみると、結構好きになれるものだ。
それにしてもタッチが無節操だな。
何かを模写したり、真似をしながら描いてるのだと思うが、もはや誰の影響を受けてるのかもわからぬ。
バスキアとミロとデ・キリコ、キース・ヘリングは確定的だが。
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 いいじゃん。こんな捻くれてねじくれた、全うに悶々とした思春期を送ってる画を描く十代、僕は嫌いじゃないぞ。
 さあ、それに対してネジくれたまま、社会人から足を踏み外しそうな三十代!
 久々にスケッチブックを持ち出してみようか、画を描いてみようか、と思った。
 因みに、僕が画を描くときは、今まで
 ・浪人時代で自分に自信が無かったとき
 ・あまりに超絶に貧乏だったとき
 ・女の子に振られて自信をなくしているとき
 だった。てーことは、今の僕は・・・?
 慰めの言葉や優しい抱擁、お待ちしております。
(いや、今は生活心身ともに全然穏やかなのですが。)

得物

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 得物を手に入れる週間。
 別名、物欲週間とも言います。
 物欲っちゃ失礼だ。ちゃんと仕事のために環境を整えているだけなのだ。
 てなわけで、先日のブログから、制作環境を改めて更新。
 ミキサーとスピーカーを一新して音系の環境を揃える。
 スピーカの位置はまだこれから検討中。今のところ並べておくしかないのです。
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 そしてこれからの僕の得物。人生初ビデオカメラHVR-V1Jを購入。
 得物は、買ったときではなく、完全に使いこなして、手足になったときこそ得物。これから修行のたびに出ます。
・・・
 かみさん「ねえ」
 X-10  「なんだ」
 かみさん「あなたはカメラマンじゃないわけよね」
 X-10  「いかにも」
 かみさん「で、なぜそんな業務用カメラが必要なのかな」
 X-10  「愚問である」
 かみさん「意味がわからない」
 X-10  「今日は何日だ」
 かみさん「4月17日」
 X-10  「すなわち、例大祭、けんかやままで後30日を切った訳だ」
 かみさん「だから何」
 X-10  「そろそろ祭りの準備をしなければならぬ」
 かみさん「だから何」
 X-10  「今年の祭りは今年しかない。すなわち、金銭をはたいてでも、心に刻み込む準備をしなければ仁義に悖る。」
 かみさん「心に刻むのにカメラ要らないよね」
 X-10  「(聞いてない)もっとも美しく、今年の祭りをとどめておくのに、なぜカメラ購入ごときで悩まねばならぬ」
 かみさん「いや、生活とか、考えてますか」
 X-10  「生活と祭りとどちらが大事なのだ。
 X-10  「祭りに分別など要らぬ!
 X-10  「何のために生きる!何のための祭りだ!
 X-10  「わが祭り人生に一片の悔い無し!
 X-10  「 祭り or die!
 という訳で、これからの僕の得物V1Jです。がっつり使わせていただきます。
 4月中にいろいろ設定をいじり、実験撮影をし、5月15日の祭りで実践投入。その後撮影現場に同行できるようにしていきます。これからよろしく。
 明日は趣味でのカメラを購入予定。同じカメラでも、お金の出所が違うのよ。

New Machine投入

 またDell買いました。
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 順調に我が家の一角が変態的に成長しています。
2006年9月の段階
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 2009年4月の段階
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 どれだけ増殖しているのだ。
 今目の前でも4台のマシンがエンコードをガシガシ掛けてます。
 それにしても、Windows7のマシンを購入cs4でエンコードを掛け始めたら、
 本気で速い。
 なんだこれ。2時間作品がmpg化まで15分で終了する。今まで何やってたんだ。
 しかもデュアルモニタで且つそのうちモニタ一つをスイッチングできるようにしたので、片方の画面でエンコード状況をモニタリングしながらもう片方のマシンでWebを作ったり、またはPremiereとAfterEffectを同時起動させてガシガシ作業したりといった事が存分に出来る。
 これでまたハイスピード作業に磨きがかかる。本当に楽しい日々であります。

カメラ欲しい

 いろいろ訳あって、最近HDVの業務用カメラを物色中です。
 編集屋としては(へっぽこですが)それなりに年季が入ってきたのですが、その実カメラをいじった経験が余りにも少なく、自分の中ではかなりコンプレックスになっているんです。
 昔はそれなりにいじってた・・・とはいえ、それ自体がもう10年以上前の世界ですから。VX1000をもって走り回ってたユニコーン時代。
 と言うわけで、今は色々相談しながら、何を購入するかで悩み中。
 HDR-Z5J
 普通に考えたらこの辺りが有力候補。セミナー撮影やら現場撮影やらでは十分なスペックだと思います。
 僕の業務フローではどうしてもテープメディアを捨てられないため、AVCHDは選択できず、本日発表されたHXR-NX5Jは選択肢に入らず。いいカメラっぽいんだけどなぁ。
 HVR-V1J
 Z5Jの一歩手前の機種ですが、値段以上の使い勝手とのこと(知り合いの談)。だけど問題はワイコンがちょっとヌルいらしい。。。あんまり使わないとはいえ、それでいいのかどうなのか・・・ただそこだけの差のためにZ5Jにいくかどうするか・・・悩ましいところです。
HDR-FX1000
 その間をとってFX1000という選択肢もあるけど、実際にはあまり考えてないです。
 値段ならV1J、勝負に出るならZ5J、と言うところでしょうか。
 気がつけば全部SONY製。
 DSR-PD150
 はいすみません。これは全くHDVでない、旧時代のSDカメラではありますが、
 正直、めっちゃ欲しい。
2002年ごろ、僕の職歴の中で唯一技術職として入社した某FX社。この中で、相棒として活躍してくれたのがこのPD-150とDSR-70&50のレコーダーたち。見よう見まねではありましたが、かなりこいつのおかげで僕はカメラを怖がらなくなりました。その思いもこめて、むしろいまだにこれを相棒として使いたい。だからもうSD画質の時代じゃないと解っているのに。それでも欲しい。上記のように5万台なら即効小遣いで買う。
 一時代を築き上げたVX1000~PD150。保守的な僕はいまだにこいつらの時代に生きているのです。