大人の男

先日の日記でちょいと記載しましたが、10月14日、地元(富山県)の祖父が亡くなりました。
 享年89歳。安らかな寝顔でした。
 そのため一週の間、職場を離れて実家と祖父の家を往復しながら通夜~葬式~法要と参加して、祖父を弔って参りました。
 内容についても色々書き連ねたい事は有るのですが、まあそれはそれとして。
 ああいや別に葬儀の内容について不満があったりするわけじゃありません。
 むしろ厳かで、親類の皆様と語らいの場をゆっくりもてた一週間でありました。
 
 まあ、そんな中で、まず僕がこの一週間に思ったこと。
 お金をちゃんと稼がな。大人の男として。
 なんでまあそんな卑俗な結論に至ったかと言いますと、元来僕は冠婚葬祭をことのほか重要視しています。というか好きなのです。ちゃんとこういうものに対してきちんと向き合いたいのです。周りの皆様と礼節をもって付き合っていきたいのです。
 冠婚葬祭の知識を有し、礼節、社交のマナー、等等をきちんとできる男に成りたいのです。
 そうすると、お金が無尽蔵に必要になるのですね。どうしても。
 ぶっちゃけた話、お金がないとちゃんとマナーを保てないし、礼節を外すし、着る物にだって困るわけだし、誰かが困ったときにもヘルプする事さえできないのですよね。礼節を守るためには健康も必要だし、そのためにも自分自身に節度をもたなければいけないし、そこに対してお金を使う必要も有るのですよね。
 いや、正直、あまり僕はお金に頓着が無く、夫婦二人分の衣食住が足りていればそれ以上要らんかも、というかめんどくさい事してまで稼がんでも幸せかもわはは、なんて思っていたのですが、その気持ち自体がまだまだお子ちゃまであるのだこのたわけ者、と思い知りました。
 礼節を保ち、人ときちんと接するためには、お金は幾らあっても足りませんね。男の器量とはこう言うところで出てくるのだと思います。
 ただ仕事ができる、稼げる男が全て格好いい、とはなかなか思えません。いや負け惜しみじゃなくって。そして、稼げるというだけで格好いいと思えない理由はここにあります。礼節のために要り様の懐を常に用意しておく、そういう男こそ僕が憧れる男です。
 派手な身なりは要りませんが、ちゃんとした身なりと健康、いざと言うときの懐をもっときちんと考えなければならないと感じ入りました。はい、男33歳、まだまだお子ちゃまです。

気がついたら10月も終わり近く

あれま。何もしないで気がついたら10月終わりに近づいてしまいました。
 10月中は祖父の逝去などいろいろあり、ばたばたしてましたね。ええ、書きたいこと、書くべきこと、本当に本当にたくさん僕の中に溜まってきています。でも、最近はあまり自分では言葉を発信しなくなってしまいましたね。…発信することになにか恐れおののいているのか、小さくまとまっているのか。
 今まで僕は、発言は自己責任として何でも言いたい放題言ってたところはあるのですが、最近はそれがしにくくなってきたなぁ、と感じています。
 僕が伝えたいこと、僕がしたいこと、と言うのは、常識に唾すること、天下国家に意見すること、王様は裸だと言いたいことばかりであり、それはそのまま僕自身の生活を脅かすのです。何かに脅かされるほど、誰かに守られた生活になってしまったんですね。弱くなったなぁ。へらへらしてると体力は弱るものですね。
 それでも、僕はブログと、発言を続けるつもりです。