仕事する理由

 この前、職場で「なぜ仕事するのか?」と言う非常に青臭くも根源的な質問をされて、自分の中でも気がついていなかった非常に重要な命題を発見しました。
 この問いには「なぜ働く、と言う行動をとるのか?」と言う意味と「何故この会社に属しているのか?」という両面の問いが隠されていて、その両方を満たす答えを僕は考えました。
 そのときは結構時間かけて考えたのですが、答えは簡単でした。
 その結論は「寂しがり屋さんだから」です。
 おいそこの気持ち悪い30代黙れ。と言う声が聞こえてきますが、気にしない。
 いや、消去法を使って検証していくと、こういう結果になったのよ。
 大学時代の僕を知ってる人はよくお分かりだと思いますが、根っから一人になるのが嫌で誰かと一緒じゃないと死んでしまう情けない生き物なのですよ。うさぎさんと呼べ。ちゃんと「さん」付けでな。だから年中発情期(略)。大学時代5年間(突っ込みどころではありません)の一人寝回数は多分10%未満です。友人とのオールナイトだったり、友人とのホットナイトだったり、同棲状態だったりと、とにかく何らかの形で一人時間を作らないようにしてました。強迫神経症的な部分もあったのでしょうね。それくらい一人が嫌いな時期がありました。それを仕事に求めるのはどうかとも思いますが・・・いや、逆に、仕事だからこそそれを求めているともいえます。一人黙々作業だめなんです。発狂します。僕が以前、フリーになったときに一番辛かったのはお金よりも真っ先に人の部分でした。再度フリーになったり独立を考えたりしない理由もそこにあります。(突っ込みを入れてはいけない)
 例えば…
 「もし仮に、不動産などで大ヤマを当てて大金が手に入ったら仕事をやめるか?」
 僕、辞めないんですね。多分。なぜなら、お金あっても一人で家に居ると満たされないのです。親指の爪を噛みながら流し目になります。お金だけでは満足できない熟れきった中年なのです。仲間が欲しいのです。家族の時間が大事じゃないかとも言いますが、多分家族だけだと僕まだまだ足りないのですよ。なんだこの愛情不足不安症候群な青年は。いや違うオッサンだ。うーん、心身的には満たされてるんですけどね。Why?
 若干ニュアンスを変えて
 「もし仮に、心許せる仲間がたくさんいて、幸せな仕事をさせてくれる会社(例えば今の会社)で、タダ働きになるとしたら会社を辞めるか?」
 辞めません。会社に居る理由はまさに「人」なんでしょうね。まあ、今の職場に限っていえば、環境は最高ですし、仲間意識は痛烈に感じますし、最高の場所なので、それこそお金で代えられないものがを頂いていると思います。様々な「学びの場」を提供してくれている、と言うのもありますし。寂しくない、と言うか、目標を持つ人々の中に居るのが好きなのです。もしタダ働きになったとき、収入はどうするのだ、と言われそうですが、その辺はまあモゴモゴ云々。何とか食べていきます。ええ。毛は抜けそうですが。
 だったらボランティアでいいじゃねぇか、と言われそうですが、目的意識の違いなのでしょうね。資本主義のルールで戦えるのが好きなのです。
 等しい目標を持った仲間と共に何かを作り上げる、と言う作業が好きでたまらないのです。「学園祭の前夜症候群」と言うのか、甲子園を目指す部活動に憧れていた、と言うのか(野球したことありません)・・・。
 そして、生活費を求めて、ではなく、その姿を求めて仕事をしている限り、僕はお子ちゃまなのだと思います。年齢に関係なく。
 そう、仕事をする理由は経済面だけでなく、未成熟な気持ちの問題だと気がつきました。
 むしろ会社に属する理由は経済面以外が大きいと言うか。
 成熟して、一人真正面から風を受けて立たないと、一人前の男にはなれないですね。
 まだまだお子ちゃまスタイルでがんばります。
 好きなだけニートやるのも、お子ちゃまやるのもいいじゃない。(開き直り)
 きっとそのうち大人になるから。というか、満足するまでお子ちゃまやったら、いわゆる「大人」的活動があると信じてます。我慢して大人になったところで…ねぇ。
 そんなピーターパンな35歳。夢を見るために寝ることにします。

そしてまだ続く

 昨日のブログでまた思いついた事があります。今日も暑く行きます。いつこのブログの閲覧者が0名になるか楽しみです。
 おとといのブログで、『ツイッターのような「短く小さく」であることをメリットとするメディアでは僕は満足しない』と記載しました。いや、ツイッターの文句ではなく、実際にはこの世の中の流れ全般に対して思うこと、なんですよね。
 例えば携帯。日々進化するにつれて、どんどん小さく薄くなってます。うん、そりゃ、持ち運びに便利だし、もっと軽いほうが楽だよね。わかる。
 でも、全社がそれに向かって進まんでもいいと思うんですよね。
 今は携帯にパソコン的な能力がどんどん取り込まれてきて、例えばiPhoneのようにほぼパームウェアとしての機能を完璧に備えているものが登場しています。
 でも、僕としては小さなものに機能詰め込まれることを期待してないのです。大きいままでええやん。大きいものは大きいままでいいじゃないか。僕は大きいものに憧れるのです。
 むしろ、パソコンに携帯の機能を詰め込むような漢な発想をするメーカーはないのかしら。別に僕、渋谷の街中でノートPC抱えて電話してもぜんぜん恥ずかしくないぞ。変な中年がいるぞ、ぐらいに見られてもぜんぜんかまわない。「大は小を兼ねる」といった格言はどこへ行ったのだ。丸大ハンバーグはいつから「大きくなれよ」と言わなくなったのだ。
 大きくいこうよ。こういう時代だからこそ。
 一畳くらいあるiPhoneが出たら買ってやる。どう使うのか知らんけど。その上で這いずり回って操作するのかな。それはそれで楽しそうだ。
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更にブログの文章について

 昨日暑苦しい文章を書きましたが、今日も続きます。Googleアナリティクス見てると、どんどんこのサイトを見てる人が減っていくのがわかります。そんなにみんな暑苦しいのが嫌いか。(嫌いです)
 僕はこうやって文章にすると冗長なのですが、基本的にしゃべるとそんなに長くない、はずです。だと勝手に思ってます。思いっきり反論も聞こえますが、気にしません。
 しゃべるとそんなに長くない僕が、何で文章だとこんなに長くなるのか?
 えー、しゃべると長くない、と言うより、しゃべること自体あまり好きでないのと得意でないのですよね。頭の回転が鈍いので。即興で言葉が出てこないからしゃべってても言いたい事を伝えられないのですよ。
 更には、しゃべる場合、目の前には別の人がいるでしょ。まあ、たまに誰もいない部屋で僕一人でしゃべることありますが。誰かいるということは、その誰かがしゃべりたいことがあったりとか、聞く余裕が無いときもあったりしますので・・・そんなことを考えてると、僕がしゃべってるといけない気持ちになるのです。ええ、元来コミュニケーション不全な人間なので。生きててごめんなさい。
 そのため、僕は自分の伝えたいことを恐々と伝えながら、途中で相手の顔色を見、興味がなさそうだったらすぐその話を取りやめ、その人の興味のありそうな話に摩り替えるという日和見主義な迎合軟弱人生を歩んでいるのです。
 ですが、文章だと言いたいだけ自分のペースで言えるじゃないですか。読む読まないは自由。途中で誰にさえぎられることもなく、ひたすら僕の思ってることをオンステージで伝えられるじゃないですか。それが文章の良さなのです。僕にとって。
 僕は傲慢なので、自分のペースで自分の伝えたいことを伝えたいように伝えるのが好きなのです。どの方面を切り取っても生きてる資格なさそうですねごめんなさい。よよよよよ。
 と言うわけで、僕の鬱屈した口下手な分、このブログで全部を伝えているのです。そのために長いのです。わかったら読め

ツイッターについて

 ツイッターと言うサービスがあります。
  Wikipedia ツイッター
 ようするに。なんだ。あれだ。チャットほど即時性は無いけど、ブログほど文章整合性、論理性を求められない、そのときの気持ちを吐露するのにベストなメディアツール、と言う位置づけらしい。
 なるほど。以前より僕の師匠であるKamaさんが使ってたり、会社でも話に出たりとその存在は知っていたのですが、僕個人はずっと使ってきませんでした。というか、多分今後も有効に使うことが出来ないツールだと思っています。コレを使うと簡単につぶやきを共有できますよ。等々教えてもらうことが多いのですが、それは難しい、と思ってます。
 理由は簡単。
 僕のつぶやきは暑苦しすぎてこのボリュームで語りきれないから。
 このブログをご覧の皆様はよくお分かりだと思いますが、僕の文章は無駄に長く暑く太いです。男性的なコンプレックスの裏返しだと言ったやつちょっとこっち来い。顔文字も何も使わず、ただひたすら文章の羅列のみで延々とそれこそ日々無駄なバイト数をサーバ上にアップし続けています。そこまで言わんでも解る解ったから黙れ。と言われても気にせず延々と文章が続きまくるこのブログこそが僕にとってつぶやきのメディアであり、これ以上短くなど出来ないのです。つか、むしろ逆に、これより少ない文章量で言いたいことみんな言えてるな。凄いことだと思うんだわ。いや、全部言い切ってるわけじゃない、全部出してない、という人もいるかもしれないけど、それはそれでストレス感じないのかな。ちょっとだけ出したら、全部出したくなるじゃないか。さきっちょだけ、ってのが一番ストレスフルじゃないか。
 大学時代から、短い文章で端的に言葉を選べる人を本気で尊敬してきました。
 日本語の語彙の力をちゃんとわかって、その場に最も適した言葉を選び出して、且つ聞く側の言葉センスに合わせてもっとも近しい用語を選べる人が僕にとってもっとも尊敬すべき人なのです。文芸、と云うジャンルにおいて、ね。
 今までも言葉に敏な人になりたい、と言う気持ちは強いです。美しい日本語が好きなのです。泉鏡花、中島敦、山口瞳、大岡信、ちょっと間違って江戸川乱歩、etcetc…中島敦の山月記を書き写してた時には、一言一言に萌えてました。変な20代でしたね。
 話逸れました。
 でもって、言葉に敏な文章を書こうとすると(でもって、と言う接続詞の段階でダメだけど)、どうしても抑揚、演出を含めて言葉が間延びしてしまうんだよね、僕の場合。修行不足なもので。そのため、ツイッターを使って何か書こうとすると、大体何も書けないまま時間が過ぎてしまいます。
 なので、僕にとっては、このブログに叩きつけてる分が普通にいつも頭で考えていることであり、これを取りまとめるのは面倒くさいので、そのまま叩きつけてアップしているのです。 
 
 そうそう、よく聞かれるのだけれど、「ブログの記事、あれだけのボリュームにどれだけ時間割いてますか?」。僕は全然時間掛けてません。長いもので10分です。いやね、どうだ速いだろう、と言うわけではなく、逆に短くまとめようとするとその方が時間かかるのです。ええ、脊髄で書いているもので。
 そんな訳で、結局今日もマッチョイズムの暑苦しい吐露になりましたが、ツイッターのような「短く小さく」であることをメリットとするメディアでは僕は満足しないということが今日の本題でした。もっとブッとく、濃く、暑苦しいメディア求む。僕が100行つぶやいたら、1000行の反応が確実に帰ってくるような、そんなメディア無いかしら。
 

シューティングゲーマー

 先日の日記の素敵な自称オタク女子さんから「東方」を借りたよ。
東方
 これ、何かといえば、「Windows版のシューティングゲーム」です。
 いわゆる20世紀型弾幕シューティング。僕の中ではスターフォース~1942~イメージファイト~究極タイガー~達人~ソニックウィングス~怒首領蜂云々と脈々と受け継がれる、灰色の高校時代を僅かながら彩ったゲームセンターの思い出です。当然上記は全て経験済みです。最後までクリアしてないのもたくさんあるけどね。
 以前もこのあたりに僕のシューティングゲーム愛を書いた記事があったな。とにかく好きなんですよ。
 嬉々として僕にシューティングゲームを袋詰めで渡してくれる彼女と、嬉々として受け取る僕(35つ)。
 一般には何かが間違っているが、腐食系男子には正解なのです。
 早速家に帰ってパソコンにインストール
 
 
 あ、そういえばコントローラーがないや
 
 
 
 
 そりゃそうだ。「シューティングゲームをパソコンで行う」なんてこと、うちの事務所では想定するわけが
 
 
 
 
 
 
 
 
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 してました。
 しかもファミコン型。何でこんなものが家にあるのだ。誰が買ってきたのだ。僕しかいない。
 それにしてもファミコン型コントローラーの手になじむこと。僕の成長はこのコントローラーと共にあります。
 そしてひたすらプレイプレイプレイ。シューティングゲームは年季が違うぜベイベ。インベーダーからリアルタイムでやってた世代を舐めるんじゃないぜオゥイェイ。(インベーダーは幼稚園時代です)
 えーと、
 今のところノーマルで最終面までしかいけません。特訓が必要です。
 そして今まで、「東方神起」と「東方Project」の区別がついていませんでした。
ついてないだけならまだしも「東方神起」はシューティングゲームだと思ってました。
 情報って偏るところでは偏るんだよな。僕は悪くない。世の中が悪いんだ。言いたいことも言えないこんな世の中じゃ。裸で何が悪い。

つながりたいのは男のサガ

 昨日、「朝会社に行ってから昼過ぎまで休憩」と言う状態で勤務した話書きましたが、まあシフト制の仕事上、こういうこともあるわけです。むしろ、朝仕事があって、そのまま会社にずっと居たら夕方には煮詰まって仕事にならなくなるので、意図的にもスイッチオフの時間を確保するようにしてるのです。
 しかし、その中でも昨日は特殊な事情がありまして
 まあ、特殊と言うより、単純に携帯を忘れただけなのですが。
 要は外に出るともう誰とも連絡が取れない状態になるわけです。
 これがねぇ、結構革新的で究極的な休みになるのですよ。
 当然ながら僕は会社に属しており、そこで勤務することが一番の趣味任務になっているわけですが、それ以外にもあんなことやこんなことがあり、且つ家に戻れば主夫と言う任務を背負っていて、その全てが「他者と自分とのコミュニケーション」から成り立つものばかりなんですよね。
 そして、携帯電話やインターネット他、様々なコミュニケーションツールが揃っている現在、会社に居たら他者が居て、家に居ても他者が居て、それ以外の人とも携帯でいつでも連絡が取れ、自由にメールが打て、好きなときにWebを閲覧できると言う常に何かがつながっている状況で生活しているわけですよ。それこそ寝てるときも含めて。
 で、そんな毎日に慣れ親しんでしまっているのですが、昨日ふと携帯を忘れて青山に外出したときに
 会社の人からは決して連絡が取れない。かみさんとも連絡取れない。ネットも見れない。メールも打てない。
 すんごい孤独感と不安感と安心感と自由感が同時に身に染みこみまして。
 まあ「連絡が取れない!」と会社から見たら迷惑かもしれないのですが、そもそもそんなに緊急の事を起こさないようにすることこそが仕事であり、及びいつも連絡取れると思って仕事する自体が危険な兆候だと思うのです。特にこんな時代だからこそ、携帯とメールなしで仕事できるスキルは必須だと思います。
 なんつーか、誰も「山本輔」を知らない群集の中で、知ってる人は誰一人僕を捕まえられない世界で、僕からも誰とも連絡が取れず、知ってる人が存在するネットワーク(いわゆるWeb)とも接続されない世界で独りになる事の貴重な時間、と言うものを心から素晴らしいと感じました。いや、特に既婚者の皆様、これは重要ですぞ。携帯に「今日の買い物 水菜 納豆2パック 豆腐2パック 冷蔵庫入れといて。」と管理者命令が来ることも無い、名前も忘れられる自由な時間は本当に自らを開放します。僕は生活に煮詰まっているのだろうか?
 4月、僕は名のない禿中年へ誕生した。
 寺山修司的に表現してみましたが、かっこよくありませんね。
 時には、携帯を捨てて街に出よう。名刺も持たないほうがいい。ノートPCなどもっての外だ。見るもの、建物、過ぎる人々全てが鮮烈に彩ります。
 今度はその状態で房総半島あたり一人旅行してみようかな。カメラも持たずに。
 因みに昨日、家に帰って携帯を見たら、「着信0件 メール0件」でした。それはそれで寂しい。泣いてやる。僕寂しがり屋なもので。
 旅に出ます。探してください。

美術館巡り

 先日、仕事で朝イベント準備をした後、お昼過ぎまで休みを取って表参道をぶらぶらしてました。
 渋谷のサボり男。元来僕の得意分野は「昼行灯」。仕事しないことこそ仕事。本業が久々に復活してきましたよ。今までちゃんと仕事してたから調子が悪かったのだ。うむうむ。
 岡本太郎記念館に立ち寄り、その後BlackFlagで買い物。スパイラルホールの美術館に行ってから出勤。
 仕事の日は、こういう一日じゃないとね。

草食系男子

 僕は草食系男子ではありません。
 「地球は回っている」レベルで当たり前の発言をしてしまいましたが、僕は草食系男子どころかそもそもオッサンであり男子とは呼べない年齢です。
 まあ、それはほっといてですよ。僕は自分の思考嗜好志向指向からして、草食系男子になりえないわけでして、「清く正しく欲望を果たすことこそ生きる意義」「食べろ寝ろいたせ。話はそれからだ。」と信じて疑わない僕は淡白な毎日など送れないのです。暴走機関車こそ理想。女性を見たら口説け。マッチョイズムが根底。ロッキンポ殺し。ちょん切ったれ。
 とはいえ、かみさんという伴侶ができてから10年近く、まあそれなりに節制した毎日をおくっています。いや、確かにね、節制生活の間にへろへろぷうの意気地なしになっていると自覚しているのですが。いや、本当に最近の僕は以前にまして駄目男ですよ。本当に。何とかしてください(誰が)。
 で、ひとつ気づいたことがありまして。
 僕はもともと草食系ではない。されば肉食系なのか、と問えば、決してそうではなく、ガツガツと女性を求めに行くこともほとんど(ちょっとだけしか)しないわけです。志向に反してハンティングにはあまり興味ないのですよ。ならば雑食系か?まあうちのかみさんを見ていただければ(略)て(略)がん(略)命の危険にさらされたのでこの話いったん打ち切りです。
 そう、草食系男子、肉食系男子、という言葉が生まれると、僕はニュージャンルにカテゴライズされることに気がつきました。
 僕は昔から オタク女子好き。生まれつきの 腐女子好き。
 僕は腐食系男子、ハイエナです。
 先日も、とある自称オタク女性と御相伴に預かる機会がございましたが、いやこの楽しいこと。色恋を抜きにしても、素敵な自称オタク女性と語らう夕べはすばらしいです。いや草食腐食以前にこの方は魅力的な女性ですが。つかこの話題で名前が挙がるのは非常に失礼なのじゃないかと今更ながらに思いました。ごめんなさい●●さん。(名称伏す)
 通常男子が見向きもしない(場合が多い)腐女子を狙って、それこそ狩もしないで獲物が腐るのを待つ。なんて卑怯なハンティング。男の風上にも置けません。だからいつも風下から狙います。
 
 たぶんこういう嗜好の男子は数%いると思うので、草食系男子という言葉がある間に、腐食系男子というジャンルも生まれてくると思います。先に使ったもの勝ち。だからって何も得しないけど。
 てな話をかみさんにしたら
 「あなたはハイエナというより、ハゲタカよね。頭皮的に。
 獲物を求めてペルーあたりに飛んでいこうと思います。エルコンドルパーサー。

逆流性食道炎

 相変わらず逆流性食道炎です。
 相変わらずと言う表現が正しいかわかりませんが、治す努力をしてなければ当然ながら治らない訳で、その意味では相変わらず病気の身体です。病気なので休みを取りたいと思います。今までありがとうございました。山本先生の次回作にご期待ください。俺たちの戦いはこれからだ!(食道炎と)
 今までのお話を知らない人に前回までのあらすじを伝えますと、僕は2月の人間ドックで逆流性食道炎と診断されました。どうやら胃袋と食道の間の弁が緩いそうです。頭のネジとサイフと精神とズボンのチャックが緩いのは知ってましたが、どうやら体内からして緩みまくってるようです。駄目じゃん。人として。
 そんな訳で、時々胃酸が逆流してくるようで気持ちが悪いようです。「ようです」と言うのは、自分では全然自覚が無いからなんだよね。神経も緩んでて、自分の身体のアラートにも気づいていません。人様に迷惑をかけないようには気配りしているつもりなのですが、自覚がない分だけなんとも・・・。
 まあ、そんな訳でかみさんに心配されてようやく病院行って薬もらってきました。
 僕本人をご存知の方はよくお分かりでしょうが、山本はルーチン業務と言うか決められたことを決められたとおりにすることが出来ない最低最悪社会人でして、それは生活にも現れています。薬に関して、決められた量を決められた時間に飲めません。自分の身体を危機に晒してでも治らないのかこの注意力。かみさんが居てくれるからなんとか平時のバランスをとってますが、自分の注意力だけでは人間的生活を営めないほど落ちぶれています。
 と言うわけで、今日はかみさんが疲れて寝てしまいましたので、間違えて薬3倍飲みました。飲んでから2時間後に気づきました。どうりで薬が効き過ぎてハイテンションな訳です。明日はひっくり返っているかもしれません。
 いやもちろん、かみさんは何も悪くなく、僕の駄目さ故なのですが。ああ自己責任。
 因みに食道炎の薬はテンション上がったりしません。気分的なものだと思います。