コツコツ飛ぶウサギの恐ろしさ

この感覚。僕も大学生になったばかりの頃、実感した。
ウサギでなく、更に亀のコツコツさも持ってない僕は、それでも立ち向かう方法を自分で見つけないといけなかった。
年を重ねてくると、人との勝ち負けとは別に、コツコツやることの面白さや足跡の確認、亀より遅いなりの振る舞い方も少しづつ理解してきた。
興味のあることへの「瞬発的偽ウサギ」っぽい傾向はあるけれど、基本は寝亀。ゆっくりすすみます。
(以下引用)
僕,ウサギとカメの話って,実は信じてなかったんですよ。いくらカメがこつこつ進もうと,ウサギが本気を出せばあっという間に追い抜けるだろうと思ってました。ところが大学に行くと,特に東京大学法学部なんかには,コツコツ跳ぶウサギがたくさんいるんですね。もう誰も追いつけない
http://kuronekonotsubuyaki.blog.fc2.com/blog-entry-815.html
弁護士に限らず、どの世界にも「コツコツ跳ぶウサギ」は存在する。一つは「自分が限りなく『コツコツ跳ぶウサギ』に近づける世界」を選ぶこと。もう一つはウサギたちの中に一度は身を置き、同時にコツコツ亀の中にも身を置いてみること。自分の立ち位置がわかります。

L型大学について

L型大学について
この話の論点になりそうな「大学は職業訓練の場所なのか/なり得るのか/なるべきなのか」については僕は基本「否」であり「大学は学問の場である/あってほしい」の立場なのだけど、そう成り得ない現実も承知。全編入時代にはやっぱりどこかで切り分けが必要。国民の全てが学問の徒になるといろいろ大変だし、実務訓練者が一定数以上居なければ社会は回りません。
全ての事象には「実学・実務」と「学問・学術」と「芸」が含まれており、それらは個別に成立しているものと考えています(言葉であれば、実務記述、文学、文芸がそれぞれ別個に存在しているように)。
以前は「大学=学問」の場所だったのでしょうが、全員が入学する時代であれば、入学側も大学側も、実学と学問と芸のうち「何を学ぶのか」「何を教えるのか」が明確で、お互いに齟齬がおきなければ良いのかな、と。
また、僕はL型(実学)を強化すると共に、G型の先鋭化も一緒に必要かな、とも感じます。が、話すと長いのでまた今度。