人生はケーキのように

これから伸びる業界や、伸びる会社なんてない。伸びる人間が居るだけだ。
そして伸びる人間とは「好きなことを好き放題やって、努力を努力と思わない人」だ。そういう人間が集まれば、その集合体は伸びるし、そうじゃなければシュリンクする。
たまたま政治判断で景気が上回ったり、たまたま油田が発見されたりして伸びる業界、ラッキーパンチが当たる会社はあるかもしれない。でも、そんな不安定なところに頼るのは不安でたまらない。好きなことやってる自分が一番信頼置けるのだ。実績も自分そのものだしね。
と、妻の誕生日にケーキをドカ食いしながら、僕ら夫婦の未来を明るいものにするため、今の行動を自己正当化するのでした。
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悔しい、など

僕は悔しいという感情があまり無い。
年下ですごい人に出会っても、「すごいなぁ」と思うくらいで、チキショーなんて気持ちは出てこない。
でも、それでいいと思ってるし、この感覚自体、二十代に自ら望んで手に入れたものだ。
「悔しい」という気持ちは、他者に自分の心をコントロールさせる隙を与える。
それが嫌なのだ。
「悔しいと思わないのか」などといわれた瞬間に、僕は頭を切り替えて「自分の心を忘れないように」と冷静になる。自分の行動が、望まない方向に圧迫されていないか、考えるのだ。
他人の言いなりになるほうが、よっぽど、悔しい。
それが誰であっても。
「悔しさをバネに」等も言うし、それ自体は否定しない。それが活きる人もいるのだろう。
少なくとも、僕は違う。
やりたいことをやりたいように、やりたくないことをやらないように。
如何に他人と違おうと、劣っていようと。関係ない。
自分の好きなことだけやるのだ。そこに「悔しさ」が入る余地は無い。
もちろん、他者にコントロールされる隙も。
・・・多分、コントロールされてるフリでもできた方が「かわいげ」が有って生き易いのだろうけどね。この社会。