The session

問題です。下記の中で、本当に僕が発言したものはどれでしょう。

1・2014年10月
「会社辞めてきた。これからはヴィデオグラファーで食べていこうと思う」
2・2015年1月
「天啓があった。これからはモーショングラフィックデザイナーで食べていこうと思う」
3・2015年7月
「ひらめいた。これからはラジオパーソナリティで食べていこうと思う」
4・2016年3月
「神の声がした。これからはVJで食べていこうと思う」
5・2017年1月
「私を呼ぶ声がする。これからはオペラ歌手で食べていこうと思う」
6・2017年2月
「雷に打たれた。これからはバンドマンで食べていこうと思う」

答え:全部正解 かみさんに聞いてみてください。

この日本の中で、40代男性がどれだけ自由に生きて許されるのかの被験者にでもなっているんでしょうかこの僕は。ありがとうありがとう。精一杯素晴らしい実験記録を残して後世に伝えられるよう頑張ります。

というわけでスタジオに入って遊んで参りました。素敵な皆様に囲まれて大変素晴らしいひと時でした。

音楽の素晴らしさに今年触れる機会が多くなり、生活が音楽熱を帯びてきています。
まあでも、僕の仕事柄どうしても音楽は切っても切れない関係です。どこまででも、機会あったことを徹底的に楽しんで吸収してやろうじゃないかと。

10年も経てば、若かったなって笑えるよ私なら。
その時はもう53だけどな!
多分その頃はヒップホップとラップで食べているに違いない。
風と空を感じながらCheckitOut!

祭囃子

夕方、うたた寝をして夢を見た。

とある町内の公民館で、獅子舞の準備を行っていた。僕はよそ者の扱いだったが、ふと目の前に和太鼓とバチが落ちていた。僕がなんとなく叩き始めたら厳しそうなおじいさんが僕の前に座り「やってみろ」という。僕は気迫に押されて8曲メドレー「フタアシ〜七五三〜モッタゲ〜スクズリ〜ゲンバヤシ〜八つぶり〜京振り〜相なし」を真剣に叩いた。

まるでやってることは「セッション」そのまま。ゲンバヤシのイントロを叩き続けるとお互いトリップしそうな状態で不思議な空間が生まれた。

 というわけで、うたた寝から起きたら両腕がとても筋肉痛になっている。なぜだ。

ちなみに、今でも上の8曲は全て叩けるし、舞えるし(体力は抜きに)、笛も吹ける。26年離れていても、身体が覚えているものです。

昨日は修了制作の発表会「ワークスプレビュー」。

昨日は修了制作の発表会「ワークスプレビュー」。

土曜日に自分自身が課題を提出して学びを修了したところかと思いきや、翌日には受講生の方々の課題を堪能する一夜。
(その間にはデザインの授業が4時間半挟まっているというとんでもないハードスケジュールなのですが)

 満席で開講した冬クラスの最後、受講生が作品を発表し、作品に講評という名の喜びの感情をぶつけ、そのままBYND NIGHT(懇親会)へ。

もう、何より嬉しいとしか言いようがないわけです。毎回同じこと言ってるけど許していただきたい。もうその言葉しかないのです。

その言葉しかないと言いつつも、語りたいことはもうどこまででも果てしなく。このままゴールデン街に行けば3日3晩は喜びを語り続けますよ。

ものを作る、誰かにその喜びを伝える。これはもう、砂場でお城を作り、その楽しさを母親に嬉々として伝える「幼児の喜び」そのものなのです。
「ほら、こんなことができるんだよー!貴方も作ってみようよ!楽しいよ!」というシンプルな感情の伝達から、皆さんの創造性が爆発する瞬間を味わえる楽しみと言ったら…それに比べたら僕にはもう大人の喜びとか、歓びとか、悦びとか要らないのです。なんか、こう、不純だし、卑猥じゃん。

そっちはそっちで「澁澤龍彦に憧れる方の山本輔」の側で存分に堪能するつもりなのですが。でも彼自身はものすごくピュアで知的好奇心の赴くままに無邪気に生きただけの人だと思うのよね。僕もそうありたい。

そして今日は、昨年1年間で受け持ったクラス卒業写真を壁に貼りだしてみたところ…壁一面が埋まりました。

誰だフリーランスは孤独だなんて言ったのは。僕はこんなにたくさんの素晴らしい方々に囲まれているじゃないか。少なくとも、僕自身は分不相応なほどに嬉しい人生を送っている。

ここの写真は全部、僕が墓に入るときに僕とともに火葬する予定です。
ご遠慮したい方は申し出てください。却下します。