5月、祭りの季節

今月もひと月、生き延びることができました…。

これを繰り返して、指折り数えるとフリー89ヶ月。保証されたお給与もない中、よく生きていられると我ながら驚く。

そしてあと半月で、年に一度の楽しみであるお祭りの日が来る。

ここまで生き延びたら満足。

祭りを曳いて「また来年参加したいな」と思えば、また生き延びるだけ。

そしてどうせ生き延びるなら、楽しく生きた方がいい。

やりたいことをやる。やりたくないことをやらない。

好きに生きて、それで人様のお役に立てるなら本望。

…というのは、ヒトリ事業、一人経営者の根っこにあるものじゃないかと勝手に思っています。

今月もまた月末まで生き抜いた。それだけでもう満足なのです。

そして今月末は大きな変化が。

4月末をもって、事務所として残っていた市川邸を引き払い、ついに21年住み続けた市川から、完全に退去いたしました。ありがとう市川。こんにちは中野。

自宅と住民票は昨年新宿に移したとはいうものの、それから1年かけてゆっくりと市川の事務所移転計画を進めました。ありがたくも東中野に素晴らしい居を構えることができ、わたしゃ幸せ者でございます。

この移転を彌榮制作的には平成3年に行われた伏木曳山の山倉移転になぞらえて「新山倉移転計画」と名付けております。誰も聞いてない。

同時に…この月末を持って、僕は最も長く勤めたDH社の勤務日数を超え、社会人期間の中でフリーランスの期間が最長になりました。それでこれだけストレスがないというのは本当に水があっていたとしか思えない。(だからと言って誰かに勧めたりはできない。これは本当に向き不向きの問題です。)

5月、またもや祭りの季節です。

みなさま良きゴールデンウィークを。

PrinceTribute

直前告知で申し訳ない。

明日はPrinceTribute

プリンスを敬愛するバンド「Pringo and the Confusion」のバックでVJします。

こんな状況でもなんでも、舞台に立たせていただけるのはありがたい限りです。

こんな僕でも呼んでいただけるならどこへでも。

「ひとにできることはできない、よくわからないことができる」

「役に立たないことができるが役立つことは一切できない」

そんなこんなのやまもとたすく、呼ばれて笑顔で遊ぶことだけが世間に提供できる価値でございます。

2022年4月26日 (火)

(OPEN) & DJ start: 18:30〜

Live start 19:30

前売り:2000円、当日:2500円(+order)

横浜 THUMBS UP 

横浜市西区南幸2-1-22 MOVIL 3F

リスタート

いつの日か、お役御免になる日が来る。

誰でも。いつでも。

それはとても健全なことだ。自分のポジションにしがみつくよりも、笑顔で去りいく方がよっぽど凛々しい。

「ここまでありがとう。じゃ、次は何をしようか。もう一度最初から」

いろんなゲームを毎回最初から楽しめるなんて、最高じゃないか。

中毒

僕は視聴者を「中毒」にするような映像は作らない。

そもそも「人を中毒にする」ものをばら撒いて皆が求めてくるようなビジネスにしようとは思わない。それは品格の否定だ。

ちゃんと判断して、必要な人が必要なだけ求めてくれて、ありがとうといってもらって、その方の人生がプラスになるものだけ作りたい。手に入れられないとマイナスになって渇望して、場合によっては手に入れるために治安を崩すような状態の人を作りたく無い。

でもそんな清廉潔白なものを作りながら、継続的に組織を維持できる、何十年も収入を作り続けるのは難しいともわかっている。これまで様々な経営者が、賢い方々が、大志を抱きながら、良い社会を作る大望を抱きながらも、生き延びるために中毒性のある商品を作ったり、ブラック企業になったり脱税しなきゃいけなくなったりする状況も、情緒的に理解する部分はある(肯定はしないけれども)。

結果、僕の自分ごととして判断できることは…組織を作らない。個人で、食えなくなるまでやる。求められなくなったら、それまで。

…そう言いながら自分が生きるために何かやっちまう可能性もないわけじゃ無いが、小さな立場でなるべく世界に影響を出さないように、ひっそりと生きていきたい。

従業員の飯種を常に生み出し続けることはとても偉大なことだが、そのために消費者を中毒化させることは下品だ、と思う。

それでゴーイングコンサーンとかふざけたこと抜かす経営者は大嫌いだ。この言葉も大嫌いだ。

役を果たしたら終われ。永続性を元にした会計も変われ。税金も変われ。資本主義よ変われ。もう21世紀だぞ。

たかだか400年の歴史しかないビジネスなどいつかは終わる。歌と踊りと恋と酒、そして祝祭が残る世の中だ。

今!だから!GH4!

編集屋視点から言うと、ハイスペックが必要なのではない。

「同じ色味同じレンズ同じトーン」のカメラが三脚上にたくさんあることが正義なのだ!

というわけで底値のGH4が追加。

うちのフジ軍団とパナ軍団は両方戦力を増強しております。

ソニーのα7iiiもあるけど孤軍奮闘…あんたは装備(レンズ)がいちいち高いんや…

さあ引越し順調進行中!

東中野に事務所を移して、彌榮制作まだまだ頑張ります。

今から13年前のブログに

http://www.zerokai.co.jp/royalscam/?p=3905

と書いておりました。

そう、部屋の中央に向かって仕事する。

これはモノづくりをする上で欠かせないスタンスだと思っておりました。

ただ、現実にそういう部屋を作ることは非常に難しく…。

今回、頑張って広いお部屋を借りて、自分自身が納得いくスタイルを作り上げました。部屋の中央に席を設けながら、3方をPCに囲まれた小室哲哉スタイルです。

数奇な人生

昨年、ここでも書いたけれども。

http://www.zerokai.co.jp/royalscam/?p=6802

僕は1992年4月10日に上京してきた。

あれから、今年で30年。僕は人生の半分どころか、物心つく前などを省いてくると、人生の大半、富山を出てからの時間で過ごしていることになる。

もちろん、富山の環境が僕の根幹になっていることは事実なのだけれども。

あの頃に憧れた自分になれただろうか、と言う問いに対しては「だいぶ斜め上の方向だけど、昔の僕が好きなタイプの大人になれたと思うよ。憧れに近い状態にいると思うよ」と答えられる。

こんな人生になり得たことが、何よりも、嬉しい。

30年前、僕は西日暮里の予備校寮にやってきて、初めての一人暮らしをスタートさせた。

あそこから僕はどんどん自分の人生を加速させて、今や訳のわからない変態紳士になってしまった。

今日は、BYNDワークスプレビュー。

また、僕は先生などという「僕が大嫌いだった」立場から皆様の卒業、門出をお祝いさせてもらった。

そう、先生なんて偉そうな、権威主義な、そんな大人にはなりたくなかったのだけれど。

でも、今の僕は「たすくせんせい」と呼んでもらえていることに喜びを感じているし、皆の成長を心から嬉しく思っている。

ひと月前にPCに触れることさえ難しかった方が、今日は晴れやかな姿で自分の作品を紹介してくれている。

せんせいという立場で、皆様を見送るのも、案外悪いものじゃないかもしれないね。

30年前の自分よ。君はこれから数奇な人生を歩むことになるからね。

クビを経験し、会社設立を経験し、倒産を経験し、売り飛ばしを経験し、大病を経験し、監禁を経験し、借金数千万を経験し、殺傷沙汰を経験する。同時に、意中の大学に入り意中の会社に入り意中の人と結婚する。順風満帆な上に暗礁にのりあげまくりの人生だ。その挙句、作家になりたい夢だけはまだ持ち続けたまま、訳の分からない変態紳士として自分のモノづくりと言葉にプライドを持って人様の役に立つ仕事を一本どっこでおこなっている。80年代サブカル文化人に憧れたまま20年代サブカル文化人の端っこっぽいことをやっている。

とっても幸せだからね。覚悟しなよ。

事務所移転

話半分に書いてしまいましたが、事務所移転は本当です。

4月より、彌榮制作のスタジオが市川市から東中野に移転することになりました。

これまで20年住み続けた市川市から一旦これにて離れることになりますが、ラジオや信金さん、代理店さんとのお付き合いは今後とも続け、より市川発展のために尽くしていきたいと願っています。

その中で東中野の事務所。

これまで倉庫として借りたワンルームを無理やり作業場にしていたのですが、今度は最初から事務所です。そして帰らない僕のための寝床です。

面積も2倍、自宅までも10分、BYNDまでも15分、それぞれ乗り換えなし。こんな素晴らしい環境に移れて幸せでございます。毎日ポレポレに入り浸ります。

引っ越し自体は4月後半に行いますが、また皆様遊びに来てくださいませ!

以前の市川の倉庫を、僕は祭りから名を取り「山倉(曳山を格納する場所)」と呼んでおりましたが、今度の場所は「新山倉」と呼ぶことにします。

平成3年に移転した山倉のイメージをもとに、心機一転、より末長く、永遠に栄える、彌に榮えることを願い、東西東西目録一つ、彌榮制作若連中にくださります。皆様ありがとうございます。