Trapped in Toyland

公開し始めたのである。

映像作家 / ディレクター 山本輔 プライベートワークシリーズVol.01

「Trapped in Toyland」(2分40秒作品)

作品のコンセプトは「楽器からパソコンからPS5から色鉛筆からカメラから、おもちゃに囲まれた自分の作業部屋大好き!お外出たくない」の一つです。

昨年は「たすく塾」を始めた。来月で一周年だ。おめでとうありがとう。

となると、今年も何か始めなければならない。論理整合性はない。

が、動いていないと死ぬ性格な上、動いていないと死ぬ職業である。

それが経営者兼フリーランス兼モノづくり屋と言うものだ。

と言うわけで「仕事抜きに好き放題作る」のだ。

もちろん仕事の合間を縫って。

作って表現してないと仕事はやってこないのだ。

営業的側面というより、単純に運気が悪くなる。

YouTubeもチャンネルを改めて改変した。

「たす通信」である。

https://www.youtube.com/@taskyamamoto

これからはこのように自己作品の発表(Vimeoとともに)していくとともに、

僕の身近にいるBYND卒業生の方々やPrince界隈の仲間の方々、ブラマジ界隈富士フイルム界隈ほか様々な「直接お会いしている方々」に向けて発信していく僕の個人私信チャンネルとする。

簡単にいうと「僕の独り言を聞いて僕の自閉症作品を見ろ」ということだ。

今後もライブ配信「夜の生たすく」は続ける。

通年番組「おしえてたすく先生」「山本輔のビブリオフィリア」含め世の中は僕が出てくるコンテンツがあちこちに散見されることになる。喜ばしいことだ。

作品を作る。発表をする。

もう、その道で生きるしかないところまで来てしまったのである。

であれば、真正面から突き進むしかないのだ。

大丈夫。うまくいかないな、と思えば、また作ればいい。

すごくうまくできた、と思えば、もう一回作ればいい。

人生の中で、●個しか作品を作ってはいけない、というルールはない。

自分が納得するまでたくさん作ればいいじゃないか。

というか「作らないでまま、納得したふりをしてるほど僕は大人じゃない」

楽しく五歳児の様に、上機嫌に生きつつ、

楽しく五歳児の様に、おもちゃで遊びつつ、

楽しく五歳児の様に、いろいろな物を作り上げて壊していこう。

たすく塾

今日もたすく塾であった。

BYND卒業生限定無料勉強会。今回は飲食付きなのでその分は会場料理代として実費頂きました。

今回は神田ISOLDEさんを借り切り「夜のたすく塾」として決行。AEの思い出し講座からVJ実演、解説、実体験コーナーと、飲食付きで開催してみた。ISOLDEさん全面協力本当にありがとうございます!

僕は操演中、iPadでDJしながらVJを行い、マイクを持ってMCと解説をしつつ、料理を食べつつ両隣に来たVJへの質問者、DJへの質問者に答えつつ酒を飲みつつという千手観音モードで対応した。死にそうになった。と同時に我ながらこの「多動極まる」大道芸こそ自分の武器だなと改めて実感した。普通の方はやらないし、しなくていいことである。

金は取らない主義のたすく塾だが、今回はVJの流儀にも則って「おひねり飲み代(いい操演ができたらチップを頂く。まさに大道芸)箱」を設置していただいた。入ったチップ分飲み代に溶かすつもりだったが、あまりのチップに急性アルコール中毒になりそうになったので次回の飲み代に取っておくことにした。悔しい。アルコール耐性がチップに負けた。悔しい。

しかしとにかく楽しかった。これからもやろう。

次回のたすく塾はついに1周年記念である。こんな阿呆な催しをよく一年も続けてるものだ。そしてついてきてくださる方がいるものだ。

みんなありがとう!

東横イン the millor

今日も安定の東横イン。明日は現場だ撮影だ。

明日から撮影授業ラジオVJタスク塾撮影撮影アカデミー編集撮影アカデミー編集ラジオYouTube 授業VJとここまでで来週日曜日、忙しい自慢じゃないの忙しいなんてなんの自慢にもならないの。

人様にオヒネリ頂いて現場や登壇といったお座敷を頂いている身、お呼ばれには精一杯応えていかないとバチが当たります。

お呼ばれ頂いてるのは純粋に血反吐塗れて生きてる故で、そんな処を人様に見せるものではありませぬ。

そしてそれはカネの為でもないのだけれど…畢竟、最近は「自分の大事な人たちのためにパッと出せる懐に持っていないと誰も助けてあげられない」という意味で、カネをきちんと扱う様になってきました。

投資とか一攫千金とかどうでも良い。豪奢な暮らしも興味ない。

でも、五十を超えた爺として、僕を助けてくれた世間や若人が困っていた時、ちょっと見得を切りたいじゃないか。

それが出来る格好良い大人になりたいじゃないか。

自分のケントク〜見得〜のためにカネを掻き集めるのも悪くない。

全然集まってないんだけどね。これじゃ全然見得切れない。千両役者にもなりゃしない。

というわけでガンガン仕事するわけであります。

東横イン代は僕の健康保険料です。

映像作品作り

先日、仲の良いディレクターと焼肉を食べた。

世界で活躍する彼いわく「映画なんてマスターベーションだ」と。

誰かに言われてやるものでもないし

人に見てもらって喜ぶものでもないし

やりたいから勝手にやっているものだし

金を得る為にやるものでもないし

(たまに人様の役に立って金になったりするけれども、それは結果論)

どうせやるなら「面白くやる」方が楽しいし

そして

「いつか映画作る作る言ってるよりも、今日シナリオ書いて明日撮影して明後日仕上げてを10回繰り返している方が面白いものを作れるに決まってる」

僕は素直だ。

言うことにすぐ感銘を受ける。

ただ同時に、言いつけも守る。

家族曰く「貴方はワンマンプレーもしくは少人数部隊の方が性に合っている」

なるほど。

結果。

先週、5人ほどのメンバーを集め、場所を抑えて、昨晩脚本を書いて、今日、僕が監督を務めてショートムービーを撮ってみた。

そう、マスターベーションだ。

楽しかった。

終わった後の酒も美味い。

またやりたい。

気持ちいいからに決まっておろう。

この後、この素材を編集するが、これもまた本職として最高に気持ちいいに決まってる。

脚本を書くのが好き。

撮影現場が楽しい。

編集はお手のもの。

合成だって得意分野。

…やらない理由はないんじゃないかな?

うちなる心が言う。

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「もし駄作ができたらみんながっかりするんじゃないかな」

→そもそも何にもできないお前に誰が期待していると言うのだ奢るな。がっかりされないかな、と恐る恐る生きるより、思い切り「がっかり」されて、思いっきり喜んでくれる人を大事にしよう。

「もし駄作になったら『こんなのしか作れないんですか?』と仕事に影響が出るんじゃないか?」

→その「こんなのしか作れない」でこれまで飯食ってきたのだろうが。自分を大きく見せようとするな等身大を見せろ。等身大が小さければそれを大きくしろ。

「出費ばかりじゃないか」

→一緒に撮影したい人!と言ってこれだけすぐに集まってくれて、ちょっと大きな酒盛り1回分くらいの金でとっても面白いことできてるじゃないかこれ以上良い金の使い方あるなら言うてみい。

そして「このような楽しい金の使い方をして良い笑顔になってる人に、お金は寄ってくる」のだ。間違いない。

「映像仲間から『輔の作品は下手だよね』と言われるのが怖い」

→もともと下手なのだから何も問題ない。このあと作り続けていけば、講釈垂れてる連中なんてすぐ追い越せる。悔しかったら作り続けたら良いのだ。

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うん、来週も撮影する。

仕事じゃない。好き放題やる。

「作った映像」を納品して仕事をしているように見えるけれども、

僕の本質は「やる姿」を見せて飯を食っているのである。

ただの露出狂ではないか。

これこそ変態紳士の真骨頂である。

エイプリルフール2024

エイプリルフールの戯言だ。すなわち全部嘘だ。

そして写真にも関係性はない。

そして「自我において、言葉にしてはいけない」と思っている部分。後ほど消してしまうかもしれない。

ここ10年、ずっと仕事に追われてきた。

この「仕事に追われる」という感覚は、勤め人の時とは大きく異なる。

「与えられる仕事を続ける」「周りの人と調和する」のではなく

「何か次のニーズを見つけ出さないと、今日と同じことをしていたら来月飯が食えなくなる」

「嫌いな人とはさっさと縁を切って大事にしたい人のために時間を割く」

「無駄な作業はさっさと辞めて違うことを始める」

「何がうまくいくかは自分の『嗅覚』を信じるしかないし、それが間違ってても怒られない代わりに誰も責任は取ってくれないので自分でやる」

という精神的な追い詰められ方と開き直りを併存させる精神生活を10年送ってきた。

このメンタリティにおける日々、様々なものを犠牲にしてきた。

自分のPCの中に、ほぼ10年間開いてこなかったフォルダがある。

「10_novel」という名前のフォルダ。

PCのフォルダはそれぞれ連番をつけ、01が仕事、02が経理、03がBYND、04がPhoto、等々、自分に必要な役割に応じてファイルの整理整頓を行なってきた。

その10番目に、PCのリストアごとにコピーをしながら、ほとんど開くことのなかったフォルダ。むしろ開くことを拒んでいたフォルダ。

僕は文章を書きたかったんだ。物語を紡ぎたかったんだ。

そして、ちゃんと物語を書いていたんだ。

フォルダを開くと、中には僕の言葉がたくさん詰まっていた。

それらはほぼ2014年までに書かれたものばかり。

なんだ。たくさん書いていたんじゃないか。

自分の中では、2~3作品しか完成させていないつもりだったが、改めて見るとプロットだけでも50を超え、仕上がった作品も多かった。もちろん時代性を鑑みると、再読してそのまま使えるものは少ないのだけれど。

この10年、自分が望んだ形とは異なる姿で、自己実現を重ねてきた。

仕事に追われる中で、社会からの承認欲求はいつしか満たされて、筆が遠ざかっていた。

気がつくと、自分の夢は「もう、いいかな」「いつ死んでも構わない」と思うところに達していた。

だけど、改めて。

自分の小説群、文章群が「ちょっと待ってくれよ」と声をかけている。

これらを仕上げていかないと、いけないじゃないか。

良い文章もたくさんあるじゃないか。自画自賛。

彼らがかわいそうじゃないか。

もちろん、自分の若き日の承認欲求から出てきたエゴは、これから盆栽のように切り落としながら整えなければならないけれども。

書くのだ。書かないといけないのだ。

僕は書く人なのだ。

p-kraftお花見

お花見だ。

つぼみだったけど。

我らがP-kraftの20年来恒例行事。東中野にての神田川沿いお花見会である。

我らがと言いながら僕は初参加だったけど。

いつも良くしてくださる変態先輩紳士監督が創立したクリエイティブ集団P-kraft。お仕事でもいろいろお世話になっているが実際どんなピーをクラフトしている方々か実は存じ上げず、会社なのか財閥なのか実存なのか概念なのかも分からぬままにお付き合いしていたのだが、これを機会にリアルを知ろうじゃなろうじゃないかと缶ビールを買い込んで川沿いに向かいました。事務所から3分。

俳優、制作、プロデュースに技術とあらゆる映像造詣人が集まってお酒を片手に飲み語り。僕も毎年参加していたかの如く図々しく振る舞って皆様の輪に勝手に入り込んでまいりました。

その後はBarけむりに移動して改めての飲み語り。楽しい1日を過ごしながら月末期末を超えて今日から新年度。これぞ正しい大人の過ごし方。

そして花見を70mmマニュアルオールドレンズオンリーで参加するものではない。酒が入ると顔面アップかピンボケしか撮れぬ。