学歴とは何か

なぜ10代に受験勉強をして大学に入った方がいいのか、何故学歴が必要か、と言う問いに対しては、僕はまさにこれで答える。

仕事ができるとか生涯賃金が増えるとか全くもってどうでもいい。

世の中の役に立つ人間になるとかの立派事も一旦置いておく。

自分と同じ知性、同じ視座、同じ価値観を共有できる友人に10代のうちに出会える事。同じ解像度でボケツッコミの会話ができる事。

知識が役に立つとか就職に活きるとか本当にどうでもいい。

同じレベルの知識と反射速度で会話してゲラゲラ笑える仲間がいる人生がどれだけ豊かなことか。

僕が大学に入学した際、まさにこの感覚を味わいました。

僕が高校時代まで誰にも理解されなかった無駄知識が「一般教養」として平準化されている集団に初めて入った時の感動を今でも忘れない。

そして…多分だけど、この「同じ教養/反射速度の会話」が成立する間柄の人間が属する集団がハイコンテクストで、それ故に社会的地位が高い人間が多い集団だとすれば…。

それは結果として学歴がある=社会的地位の高い共同体の中に居やすくなる=経済的に生き易くなる、という図式が成立する。

でも、これはあくまで結果論であり、社会的成功を求めて受験勉強しても、この集団に入る価値観は手に入らない。

僕はただ、くっだらない知識を死ぬほど持ち合わせた同級生たちと、一晩中「カノッサの屈辱的トーク」をしながらゲラゲラ笑ってた大学時代を思い出して懐かしむだけなんだ。

深呼吸でいく

楽しんで、生きている。

そればっかりはもう、間違いはない。

「人の役に立つ」「金回りは後でついてくる」「楽しそうなことに声をかけられたらやる」「嫌なことはやらない」これだけで人生はなんと楽になることか。

それを放言してしまうことでいろいろ感情を乱す方もいるのかもしれない。でも、他者の感情にまで僕は介入できるものじゃない。僕は僕だ。僕は楽しい。楽しく在らねばならないとさえ思っている。

不機嫌は罪だ。上機嫌は責務だ。

どんなにAIが発達しようとも、上機嫌であることだけで近づいてきてくれて、一緒にダンスを踊ってくれる方は確実に存在する。この場合ダンスという言葉には「楽しい仕事」が含まれている。説明すると色気がない。

先週末にはかみさんのピアノ演奏会(合唱演奏会)があった。

月曜日には旧来の戦友と博多地鶏を食べた。

火曜日には楽しく授業をさせてもらった。

水曜日には企業の部活動顧問、モーションデザイン4本と映像作品3本、YouTube3本、ラジオ収録を次々と作り散らかした。

木曜には、懇意にしてくださる某企業局長が「この事務所が好きだから」と遊びに来てくれて、共にモーゼを食す。

金曜日にはお昼も夕方も次々と卒業生が語らいに来てくれる。

いや土曜日もだ。本当に人に恵まれている。

その後24時間近く寝た。

日曜日には声優をやった。その後はレコードを聞いて楽器を弾いて、楽しい時間を過ごした後に仕事に戻った。

月曜からは執筆活動。今日もあしたも執筆活動。

今日は今日とて撮影現場と、モーション企画の打ち合わせ。

明日は表彰式。

狂ってる。本当に狂っている。

別に大きなことをしたいと思ってない。世界を変えようなんて思ってない。社会も変えない。ただ僕を変えようとする人からは断固として頑なに拒否をする。だまれ僕は今の僕が好きなんだ。

これだけあちこちに喧嘩売りながらそれでも愛されてる僕が好きなんだ。

そんな中でもどこまで僕は生き抜いていけるのか。

上機嫌に生きる僕は、その他の社会性がない。

ゆえに税金だなんだと「普通にできることができない」

気がつくとスカンピンなんてことが良くある。

そして7月8月は閑散期だ。

楽しく一緒に過ごせる人、なんか一緒にやりましょ。

モーションも映像制作も企業研修もYouTube運用もAIセミナーもなんでもこなしますよ。良くも悪くも僕という個性/タレントが前面に出ちゃうけどね。

でも、誰でもできる仕事したくないからね。(わがまま)

ともかく、上機嫌で行きます。

「深呼吸でいく」は東野純直の名曲です。

Hanare

フリーランス稼業は本当に大変なものである。

仕事がなければないで大変だし、あればあるで慌ただしくなる。

新宿区に引っ越してきて4年、中野区に事務所を構えて2年。冷静に考えると、僕はこの4年間、一度たりとも「24時間連続で自宅で過ごしたことがない」。

決して自宅を顧みないわけではない。はずだ。きっとそのはずだ。でもご依頼ごとがありその思いに応えるためにバタバタしてると「東中野秘密基地」に閉じこもっていないとなかなかそのお役目が果たせない。まあ、身体が持つ限りはそれを続けていこうと思っているけれど。

今日はちょっとばかりお昼間に時間が取れた。

自宅…ならぬ、通称「離れ」という名の「新宿秘密基地」でレコードとピアノ、ベースと戯れるひととき。珈琲を自分で立てながら、ゆったりとレコードを鑑賞する。

こんな時間があっても良いよね。また夜から仕事なんだけど。

大音量を浴びて大声を出して、ストレス発散して気持ちを入れ替えて頑張ります。

Happy Preview

今日は京都に撮影出張だ。

オーケーベイビー明日の夕方には東京で授業だそこまでには帰る。

いろいろこの先を思い悩む中でも、僕は人前に立つ。

いつまで立ってるんだよ小さい社会のお山の大将やめなさいよみっともない、という感情と、呼んでくれて喜んでくれる人がいるならば、やってていいんじゃないかな、という楽観。この二つに苛まれながら生きている。もう一つ必要なものは「この先に何ができるか」を考えておくこと。

でも、みんなの前に立って、ビールを飲んでマイクを持てばそんなことは関係ない。

僕の演じる「たすく先生」の完成です。

ハッピープレビューVer.13、ユルオシャに楽しむ映像発表会。今回もコメンテーターです。

相変わらず、皆様の素敵な笑顔、作りきった顔、楽しんでいる姿、それらが皆眩しくて…。

それをただ見守るだけでも幸せなのに、なんで僕はこんなわちゃわちゃした立場に立たせていただいているのだろうか。

最近、僕は、映像の世界から足を洗おうかと少し思ったこともあった。

基本、ビジネスは何年か周期で入れ替わる。多くは7年くらいだろうか。その間に次のビジネスを仕込んで、スライドしていく中で企業は永続する。

映像、確かに好きだ。そして人様のお役にはまだ立てているようだ。

だけど、ビジネスとしての(僕の周囲の)山場を超えた…かな、という感覚はわずかながらにある。

ビジネスでなくとも、映像は作るだろうし、そこから派生する何かで生きていくことは間違いないのだけれども、講師業、ものづくり、人懐っこくどこでも入っていく姿勢…これだけの要素が揃っていたら、ここから先の仕事観設計は神様がやってくれるさ。突然のゲーム配信者になってたりしてね。

とはいえ、交流してきた方々の姿を見ると、やっぱり映像を作るっていいな、と思えてしまう。

結果、二つも三つもやることを走らせなければならない。結果、健康に気を使わなければならない。

なんか普通の結論になってきた。

いやそんな結論にはさせない。僕は「たすく先生第二形態」になり、よりおどろおどろしくも妖怪のように愛嬌あるたすく先生に生まれ変わって生きていこうと思う。

そんな京都の夜に、ハッピープレビューを思う。

ご盛会、おめでとうございます。

創業1年目

なんか一年経ってしまったみたいだぞ。

フリーランス満九年、会社満一年、おめでとうありがとう。

潔く、気持ちよく、軽やかに。

しぶとく、たくましく、したたかに。

愛情や敬意には誠実に、

無礼や非礼には利益度外視で毅然とした態度を。

社会の公器くそくらえ。

僕がまだそこまで大人になりきれてないんだ。

「会社が公共のもの」と僕が腹落ちしたときにはちゃんとその通りの活動をするよ。そこまで僕は意固地じゃ無い。

ただ、納得してないことに易々諾諾になりたく無いんだ。

どんなに常識的なことであっても。

みんなに幸せになってもらいたいし、目の前の利益ばかり考える社会にしたく無い。

お金のことに耽溺せず(稼がないとは言わないむしろみんな稼ぐ)、音を奏でて、光で遊んで、本を読んで悦楽の時間を過ごしつつ、未来のために尽力できる「豊かな人」を少しでも増やしたい。

意地っ張りのひねくれ者のワンマン会社、これからもどうぞよろしくお願いします。

Morishita Creators

僕は基本的に「何をしているか」「何をこれから始めるか」「何を頑張ってるか」では語らない。

「何をやったか」で語る。

作品を作る。人前に出る、喋る。書く。

出来上がったもので勝負する。

負けはない。なぜならずっと作り続けるから。

そして作ったら意地でも見せつける。

笑われても見せつける。

そこに狂気がある。

何を言われてもゾンビのようにしゃべり続け作り続け、その上で僕の周りに人が居続けるのである。

インタビューで「本来やらないこと」を詰め込んで遊んでみた作品。

いや、やってみて思う。全然、遊べてない。

もっともっとできることがあるよな。

よし、やろう。

意見は自分の中にあり。

僕会議で僕が次を作る。

作り続けると、いろんなものが近くなる。

仕事に影響…あるかと思ってたけど、意外にない。

むしろ「作り続けると宣言して」作ってるだけで信頼してくださる声がある。

Director:taskyamamoto

No client work vol.2

架空のインタビュー

-存在しない空間-

Morishita Creator