廃業届を出してきました。
そうだ僕のことが嫌いな方、おめでとう。
僕は潰れたのだ。
…個人事業の屋号をね。
会社は益々人気永当永当、御酒肴、山の如し!
とっても元気に活動中です。
わはははは僕がそんなに簡単にくたばると思ったか。
僕はまだまだこの世に「自分が信じる価値」をバラまきまくって生き抜いていくのだ。潰れてなんていられないのだ。
「嫌いな相手こそ脳内にこびりつく」「SNSを超えて目障りに顔を出す」「僕のことを好きにならない限りその人は幸せにならない」「会議のたびに僕の名前を思い出す」ヤマモトタスクの参上です。
法人化した「株式会社彌榮」が一年経過し、決算報告書も出来上がりました。
僅かながら黒字も確定し(ありがとうございます)、改めて「一年休眠状態で、万一法人が危うくなったら戻ろうと思っていた」個人事業の屋号「彌榮制作」を畳んできたのです。
そのままにしててもいいんだけど、同じ業態だと税務署からいろいろ勘繰られたり、融資だなんだで「早めに畳んでおいた方が良いですよ」という意見を伺い、2015年9月10日の開業記念日になるべく近い本日、届を提出して参りました。
フリーランス丸9年(そのうち最後の1年は会社だったけど)。丸々40代を個人事業主稼業に捧げました。
一言で表すと「最高に楽しかった」。
まさに「こんな華燭の生き様があるものか」と我ながら40代の人生は最高この上ないものでした。
「誰の顔色を伺うこともなく、言いたいこと、言うべきことをきちんと発言する」
「言いたくないことを『大人の仮面』を被って発言しなくてもよい」
「『自分の看板』で勝負してる清々しさ」
「自分の作ったもので喜んでもらえる、更にはお代をいただいて生活している凛々しさ」
「食えなければ自己責任、のたくましさ」
「嫌いな人とは関わらないストレスの少なさ」
「会社の論理や人事、給与に振り回されない」
「好きな時に起きて、好きな時に寝る」
「稟議書も決済権も全部自分。好きな時に好きなものを買う」
「満員電車って何?」
「どれだけ日本各地、出まわっても撮影経費」
「一日中映画見てても、それも仕事」
「酒飲んで映像映したり、構図がどうだ色がどうだと喋っていて仕事」
「社会貢献?僕がニコニコしていることが一番の社会貢献じゃないか」
そして「こんな僕と一緒にお仕事(世の中の価値作り)をしようとしてくれる方がいる」
気がつけば、個人事業主時代にお会いした方の数は優に二千人を超え、ラジオだ学校だと発信の場が大きくなりすぎた。僕ものづくり屋なんですが。
…こんな幸せなことはあるだろうか。
もちろん不義理もたくさんしたし、たくさんごめんなさいもしたし、それでも、フリーの僕を叱ってくれる方もいたし、成長させてくれる仲間もいた。フリーは全く全く全く孤独じゃなかった。
ビッグバジェットのプロジェクトも参加させてもらった。国家プロジェクトにも参画した。大きな組織に属さずとも、大きな仕事全然できるじゃないか。
僕が伝えたいのは「こんな生き方もあるよ」と。
仕事で苦しんでいたり、上司にいじめられていたり、会社を追い出されそうになったり、お給与を下げられそうになっても「縋らなくていい。縋らせようとする相手に乗らなくていい。そんなもん全部蹴っ飛ばして生きる手があるし、そうしていいんだぞ」と言ってあげたいんだ。
10年前を振り返って、素直に言えるのは「会社やめさせてくれてありがとう」です。全く許しちゃいないけどな。いつか一矢(以下計画秘匿)まずは55億円ほど稼ごうか。
…
「辛い顔してるぞ。会社やめちまえ」
一番しんどかったときの、友人の言葉。
僕はその言葉を信じて、元気になった。確実にその頃よりはいい顔になった。
僕はこれから創業2期目に入り、よりもっと社会のお役に立たなければいけないと思っている。
ちょっとなぁ…人を雇い入れる「雇用」と言う意味ではあんまり価値を出せそうにはないから「会社やめちまえ」とはっきり言うことは難しいのだけど、何か作ったり喋ったり書いたりすることで、皆さんと一緒に何かやってみたいな、と思っています。
彌榮製作、ありがとう。
そしてこれからもよろしく株式会社彌榮。
僕が総代を務める我が町よ。いつか山車つくるからな。社用の。