某所にて、AIについて研究内容を報告する機会がありました。これでも使ってるんですAI。
どこで話している…とは今のところ申せませんし、資料の配布などは行っておりませんが、様々な形で「22世紀メディア概論」を語り続けています。
いつもそうだ。僕は遊んでいたら、その内容について聞きたがってくれる人がいる。僕は偏執的に遊ぶので、大量のアウトプットと概念論まで落とし込んだ説明をする。どうやら喜んでくれる人もいるらしい。僕はただ自分の自閉症語りをやっているだけなのに。…



株式会社WADAYAがなければ、今の僕は存在しない。
もちろん、株式会社彌榮も存在しない。
そう言い切って過言ではない。
WADAYAが会社として創業するよりずっと前、和田社長が個人事業として「和田家」を行っていた時から、ぼくは横浜にある和田氏の自宅兼事務所に出入りしていた。
ずっとずっと、和田圭介氏の丁稚として、様々な現場にアシスタントとして連れて行ってもらったり、何日も泊まり込んで映像を編集させてもらったり、夜を徹して酒を飲みつつ映画話に花を咲かせたり…和田社長と一緒に映像を作り、見た人に喜んでもらう体験を重ねるたびに「映像で生きる」というスタンスに憧れた。
2014年末、僕が会社員としての進路に悩んだ時、和田社長は言ってくれた。「僕も独立する。会社辞めて、一緒に何かしないか?」と。
「一緒に」とは言っても、友人と雇用被雇用の関係になるのは僕も彼も望んでおらず、僕は個人事業主として独立し、和田氏は株式会社WADAYAを立ち上げた。
時は2015年。小人数で映像を仕上げる。まだまだ分業化が当たり前だった時代に、WADAYAと僕は、二人で現場に行き、僕が編集して仕上げる、そんな日々が続いた。
今思い出すだけでも何十案件あるだろう…いや、百を超えている可能性もある。とにかく、嵐のような数を、和田氏の審美眼に適うクオリティで、高速に出す。手を抜いたところは一瞬で見抜かれる。説明できないところも見抜かれる。
僕はとにかくこの場所で鍛え上げられた。
和田氏は言った。「ここは時と精神の部屋みたいなものだ。ここを出た時、輔はスーパーサイヤ人みたいになってくれてたらいいな」と。
少しづつ、僕が自分の仕事を引き受け始めた時、基準は常に「WADAYA」だった。彼なら、WADAYAなら、どこまで仕上げてくるだろうか。どこまで追求してくるだろうか。
その指標を基準に僕は映像を作ってきた。
その結果…僕はスーパーサイヤ人になれたのかどうかはわからないけれど、少なくとも10年間、僕は映像制作でご飯を食べている。そして、サイヤ人ならぬ変態紳士になってしまった。こればっかりは和田氏も想像外だったんじゃないかな。
その後も、会社は違えど共に歩みつづけ、時にはWADAYAスタジオでラジオを収録させてもらったり、一緒の現場で仕事をしたり…今も「映像で生きる」術を共にさせてもらっている。
「輔のクオリティじゃまだまだだよ」「そんなものは作ってない」と言われることは承知の上で。
「変態紳士」というブランドの僕も、WADAYAが作ってくれたコンテンツの一つだよ、と。
10周年、おめでとう。

創業10周年を迎えました。 – <映像制作会社を横浜でお探しの方>動画の企画制作・撮影スタジオ|WADAYA STUDIO
今日は多面体の日。
午前には経営者としての顔、。決算含め、今後の企業方針を自ら決断を下す覚悟を求められる。
午後イチにはモノづくり屋の顔。PremiereやAfterEffectsと戯れて、自分が生み出したものでクライアントの喜んでくれる顔を想像する。これもまた、至福のひと時。
午後の後半には卒業生の制作受注相談。講師の顔。こういう話に声をかけてくれること自体が有難い。何かお役に立てることがあれば本当に幸いなのです。
夜はイベント、ハッピープレビューにて、コメンテーター/フロントに立つ人の顔。最前列に座って一番よく喋る係。僕はいったい何をやっているんだ。
本当にこれだ。僕はあの映画がどうだこの酒がどうだと「人生の愉快事」を深く語ることでお駄賃をいただいている。時にはその語りに応じた映像コンテンツを作ったりもしている。あまりに愉快だ。
ふと、朝の顔に戻る。
「愉快ごとを語る僕の世間における価値」は果たしてどれだけのものだったのか。
僕が人並みの事務作業をする。お金さんは逃げる。
僕が愉快な話をする。お金さんが寄ってくる。
なりたくてなった仕事じゃない。みんなが喜んでお駄賃を投げてくれることが、これしかなかったのだ。
さあ、僕はどうする。
もっと愉快になれるのか。愉快なものを作れるのか。
愉快になることで、お金さん…すなわち取引先に価値を提供できるのか。
これしかできない、これだけを求められてきた僕の、覚悟を問われる。
覚悟を持って、人前に立つ。




今日は、演奏会でした。
かみさんがステージひとつをまるごと担当して、ピアノを弾いた。
この一年間、ほぼそのために生きていたと言っても過言ではない。
食べて、寝て、手芸をして、また楽譜を開く日々。生活のすべてが「音楽」を向いていた。(後は手芸)
僕がかみさんと出会ったのは1995年のことだ。
その時すでに、彼女はピアニストだった。合唱の伴奏者として、大学では毎日8時間、鍵盤に向かっていたらしい。
付き合い始めの頃は、僕もその「熱」の真意をちゃんと理解していなかった。いや、理解しようとさえしていなかった気がする。
彼女の本当の「腕前」に僕が驚愕したのは、ずっと後。2013年のことだ。
大学時代の演奏を記録した古い音源を、後輩が偶然データで持っていて、それを送ってくれたのがきっかけだった。
1995年、和光市アゼリアホール。
曲は《そよぐ幻影》。
再生した瞬間、空気が変わった。
言葉にすると安っぽくなるが、「響き」が研ぎ澄まされていて、何かが鳴っているというより、**何かが“在る”**という感覚だった。
——こんな音を弾く人と、僕は一緒に暮らしていたのか。
目の前の妻が、そのときだけ少し遠く感じた。
病をきっかけに、彼女は10年以上、ピアノから遠ざかっていた。
でもその音を聴いたときに僕は、はっきり思った。
もう一度、この人にピアノを弾かせなきゃいけない。
たぶんその思いが、僕が独立を決めた一因になっている。
「家族を守る」とか、そんなドラマ的な理由じゃなくて、もっと勝手でわがままな衝動だ。
あの音がまた聴けるなら、それでいいじゃないか。そういう感覚。
…
小説家・山口瞳は言った。
「作家はちゃんと遊ばなきゃダメだ。読者はあなたが遊ぶために金を払ってくれるんだから。遊んで得たものを提供するのが、作家の仕事なんだよ」
もちろんここでいう「遊び」は、呑む打つ買うじゃない。
哲学書を読み、美術館で立ち尽くし、最高のウィスキーを舐めるようなことを言っている。あ、結局飲んでるか。
僕は作家なのか、なんなのか、よくわからない生き物だけれど、
映像や色や物語について語り、作り、それで日々のお駄賃をいただいて生きている。
自分の仕事を「芸事」と言っていいなら、それなりの覚悟と代償を持ってここまできたつもりだ。
ただ、どうしてもそこで——自己完結してはいけないと思っている。
誰かもう一人、「酔狂人」を世の中に生きさせなきゃいけない。
それはビジネスでは実現できないことだし、従業員にも要求できない。
強いて言うなら、それは「パトロン」だ。
——自分で芸事をしながら、他人の芸事も支える。おかしいだろう。正気の沙汰じゃない。
でも、それが僕の最後のプライドだ。
「文化に貢献する酔狂人(あえてそう言う)」を自由に生かしているという自負。
しかもその対象は、クラシック音楽という最も贅沢な文化に、少しでも触れている人。
その人に「どうぞ、ピアノをお弾きなさい」と言える贅沢。
これ以上に報われるお金の使い方があるだろうか。
…
僕はかみさんに、こう言っている。
「仕事なんてしなくていい。家事も一切かまわない。
毎日ピアノを弾いてなさい。手芸でもなんでも、自分の世界に没頭しなさい」
これは甘やかしではない。
僕たち二人がこの世界で何を成すかを、25年かけて検証して、導き出した最適解だ。
とはいえ——
かみさんは結局、仕事もしている。
それはつまり、
・僕をつまらない方向に進ませないよう、矯正すること。
・付き合ってはいけない人や案件を、直感ではなく、第三者視点で判断すること。
・そしてクライアントと喧嘩になりそうなときは、一緒に矢面に立ってもらうこと。
正直、同席してもらうだけで「たすくなら御せる」とタカをくくっていた相手が、静かにビビる。あれは痛快だ。
…こうして書いてみると、結構、仕事してもらってた。
でもそれは、「労働」の対価ではない。
もっと深いところで、人生の価値そのものになっていく。
…
母は言った。
「あなたを労働者にも社会人にも育てた覚えはありません!」
妻は言った。
「あなたが真人間になったところで、いったい誰が喜ぶんですか?」
これらは、駄目人間の言い訳として使うものではない。
むしろ、僕がこの社会でどんな形で貢献するかの、コンパスのようなものだ。
僕は、自分で稼いだお金を、自分の欲望には使っていない。
ピアニストを育てるために、芸事を支えるために、文化という名の火を絶やさぬために、使っている。
だから最後にこう言いたい。
「僕以上に、私利私欲なく文化に投資してると堂々と言える人だけ、僕に石を投げなさい」
「とりあえず全員お金を投げなさい」


わかる人にはわかる、みたいな物言いは好きではないのだが。
実家の片付けが進んでいる中、僕が40年近く前に本棚に貼っていたシール。
音楽好きの方であればお分かりであろう。Live Under the Sky’90のステッカーです。
ミュージシャンはジャックデジョネット、ハービーハンコック、パットメセニー、デビッドサンボーン、ハイラムブロック、トムバーニー、オマーハキム、佐藤允彦、梅津和時、ウェインショーター、アルジャロウ、ジョーサンプル、スティーブガッド、フィリップセス…
えーと…今見るとなんて贅沢なラインナップなのだろう。これを一夜にして、高校生が富山の野外で聴いていたなんて夢のようなライブだったんだ…。
音楽は素晴らしいです。なんでこんなに素敵なものに溢れているのだろう。

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