自分で自分を卑下するわけでなく、本当においらは自他ともに認める「間抜け」である。
かぎをどこに置いたか忘れたりするのは日常茶飯事。時には財布を自転車に置き忘れたり(この3ヶ月間で2回。一回は大家さんが持ってきてくれた。もう一回は出てこない・・・)、風呂を入れてる最中に寝てしまって水浸しなんてのもよくやっている。この前もちょっくら地方でバスで団体行動をすることがあったのだが、気づいたら全然別の集団についていっていて、バスに見捨てられて置いてけぼりを食らってしまった。一応これでも大の大人だぞ。「おおう。困ったちゃん」なんて悲哀の言葉を発するのは一日3回までと決めているにもかかわらず、5回から10回は心からこの言葉を発してしまう。迷惑な奴です。はい、すいません。
ところで「馬鹿」や「阿呆」と「間抜け」の違いはなんなのだろうか。「同じでもいいじゃないか」というなかれ。各人が共通に何か違いを感じているみたいだぞ。
こういうときは毎度おなじみ、岩波の広辞苑によると
馬鹿-すなわち痴の意。(そんな露骨にいわんでもねえ・・・。)
mahallaka(魔珂羅)、すなわち無知の意からか古くは僧侶の隠語。馬鹿は当て字
あれ?中国の古典によると馬と鹿をいい間違えることから生まれたって聞いたことも有るんだけど・・・どうなんだろ。
おろかなこと。また、その人。愚。愚人。あほう。
阿呆と同じなんだね。関西では阿呆、関東では馬鹿が生まれたって聞いたこともある。
間抜け-間の抜けたこと。することに抜かりのあること。また、その人。とんま。
んでもって「とんま」を調べると「まぬけ」と書いてある。この説明自体が「間抜け」に思ってしまうのだが・・・。
ということで「馬鹿」「阿呆」と「間抜け」の違いはなんとなくわかっていただけだかと思う。ではその上で、その違いの活用方法を見ていただこう。
よくおいらは友達と酒を飲む。酒の席では当然いろいろみんなの話が出るのだが、その中での話。
X-10「おいら馬鹿だからさあ・・・」これも本気でそう思っていっているのだが、皆さん心優しい人ばかりで、
「いやいや、そんなことないよ。ははは」とフォローを入れながら話が進んでいく。皆さん経験することも多い話の流れ方だろう。阿呆も同様。「おいらアホでねえ」「いやいや。」ありがとねみんな。でも本物のX-10はみんなが思っている以上に阿呆です。
そして。
X-10「おいら間抜けだからさあ・・・」「ははは・・・」
???フォローはどうした?みんな日本人だろう。本音は隠すものではないのか?「間抜け」じゃないとは言わないが、フォローすらできないくらい間抜けなのかおいらは。みんなこれだ。10人に実験し10人が誰一人としてフォローしなかった。これは正真正銘、「X-10は間抜けである。」ということがグローバルスタンダードで認められているということではないか。マイクロソフト級間抜け。間抜け界のビル・ゲイツ。うれしくないぞ。中にはフォローもせず「そうだね」と真正面からきりこんできた強者もいる。本音を語らない日本人の匂いがまるでしない。いいけどさ別に。間抜けと思われたくないわけじゃないし。しかし会って2日目くらいの奴にまで平気で「間抜け」といわれてしまうのには参った。そんなに間抜けなのだろうか?自分でも認めちゃいるけどさ、それにしても・・・(ふて寝)。