カラオケ

 ここのところ、生活がおかしい。



 
 まず、今日は平日だが、休みである。去年一年間は土日と言えど休みは無く、平日と言えど休みは無かったわけだから、365日仕事に支配されており、非常に健全な仕事人生を歩んでいたわけであって、今日のようにひがな一日を過ごすことは無かったのである。会社から電話の一本も無い休みなど、ここ一年ほど経験したことが無かった。今日の着信件数は0件。非常に驚いた。びっくりした。


 更には来週に向けての制作物のストレスもなく、胃も痛くならず、快眠快便。良く眠り、良く食べ、良く出た。花粉症もそれほどひどくない。何たることだ。このままでは大変健康なジャパニーズ・サラリーマンになりかねない。どひゃあ。社会に出て8年。そんな一日を過ごしたことがあるだろうか。いや、ない。


 人間、慣れない環境には体がびっくりするもので、なんとかいつものストレス環境を取り戻そうと、珈琲をがぶ飲みしたり、煙草をくゆらせてみたりするのだが、それでも何か物足りない。ストレスのある自分を演出したく煙草を飲むのだが、どうにもこうにもゆとりを感じる。煙草も美味い。


 そんな一日であるから、天気も驚いて雨を降らせた。にも拘らずウチの嫁は外に出たいと言い出し、あろうことかカラオケボックスに行きたいと言い出した。


 カラオケが如何に嫌いかは以前述べたとおりだが、それにしても苦手である。駄目である。一度は嫁の意見に対し拒否権を発動しそうになったが、しかし待て、良く考えてみろ。これは天から降ったような配剤ではなかろうか。我が身にとってはすばらしいストレスである。カラオケを歌う。これはストレスだ。仕事でミスをして、クライアントに怒られるくらいのプレッシャーではなかろうか。おお、いつもの精神状態に戻ることができそうだ。よし、行こう行こう。カラオケに。


 これまで自分は、大のカラオケ嫌いであった。いや、ただ単に嫌いというのではない。あんなものは世の中に毒を蒔いておくようなもので、一刻も早く法律で禁止すべきだと考えていた。人民が一日の疲れを癒すべき酒場で、周囲に対する顧慮など一切なしに恥ずかしげもなく阿呆声を張り上げて騒音を撒き散らすなどというのははっきり言って国辱。したがって自分は、よく知らないで入った店でカラオケをやっていた場合は、即座に店を替え、また、同行した人がカラオケをやろうといいだした場合は、ときに情理を尽くしてカラオケの弊害を説き、ときに脅迫まがいの暴力的言辞を用いて、これを思いとどまらせるなどして、身辺からカラオケを遠ざけてきた。しかし、背に腹は代えられぬ。ここでカラオケを歌わなければ、平平凡々とストレス無く平和に生きる雇い人として自分の一生は確定するのである。歌おう、カラオケを。と決意して入ったカラオケ屋で、気がつくと自分は、ヨメと一緒に歌いまくっていた。最初のうちはおとなしく、「浪漫飛行」などを歌っていたのだが、終いの方になると、及川ミッチーやサンボマスターなどを手踊り付きで歌っていたのである。はたしてカラオケとは実に愉快なものであった。知らなかった。


 と言うわけで途中から町田康「耳そぎ饅頭」の文章が混じってきたが、気にしないことにする。結局何が言いたいのかと言うと、今日は良い一日であった。ストレスも発散し、非常に良い加減であった。小生はとても幸せだ。うくく。

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