佐原旅行その3のはずが・・・

 それでね、僕のプロフィールに乗っている写真はね、富山県伏木の「けんかやま」で曳かれる6台のやまにのる「前人形」の一つなんですよ。(誰に語り始めたのだ)。
 今のトップページはね、その中でも湊町の所有する「蝶山」に乗った前人形です。
 こいつは毘沙門天とタッグを組んだ人形で、けんかやまの中でもチャンピオン的な存在だったのです。
 けんかの映像はこちら
 http://www.manabi-takaoka.jp/03/jpn/area/detail/317/1/videoRB.html
 「蝶山」は以前は総重量が10tあり、他のやまの挑戦をいつも坂下から待ち受けるその名も「ちからの蝶山」でした。元は網元や漁師が多くすんでいたこともあり、かなり力勝負には自信があったようです。
 七福神を乗せた合計6台のやま(一台は明治時代に焼失)は町の関係性から4町(本町、上町、中町、寶路町)と2町(湊町、石坂町)に分かれて、蝶山はいつも4台を相手に戦ってました。僕の中ではヒーローです。
 もー本当に誰もついてきてないな!よし、スピードアップ!(何故だ)
 今は市長が変わり観光資源的な意味合いが強くなって総当りとなってしまいましたが(伝統を重んじる僕としては今も大反対です)、本来は町同士の「見栄の切り合い」なのですから、華を持って町内でかっこよく戦ってもらいたいものです。
 ちなみに半強制的にかえてしまったうちのかみさん「ゆん」http://mixi.jp/show_friend.pl?id=1219997のページのトップは本町の前人形「和子三番叟操り人形」です。
 いやホント、正直な話、僕が彼女と結婚した一番の理由は「この子は本町の人形に似ている」と思ったところでした。結婚さえも祭りで決めてしまう、基地外です。でも本当に似てます(本人納得済み)。
 で、本町のやまですが(どこまで続くのだ)、弁財天を祭る、唯一の女神やまです。
 祭囃子も6台の中でもっともスピードが速くまた笛の音の倍音も豊富です。なかばヒステリックなくらいに。もっとも重厚な湊町と比べると、2倍ほども違います。
 もともと本町は「その筋」の方が多く、6台のやまの中でも非常にけんかっ早いやまだったそうです。幼少時には背中に弁天の刺青を背負ったおじちゃんのイナセな姿を何度もお見受けしました。
 特にうちのばあちゃんからも「本町のやまには気ぃつけられ」と念を押されるほど、やまの事故も多く、更にはなぜか長男ばかりが事故にあうという逸話もありました。「弁天様は長男が好き」というのは伏木の町の都市伝説です。
 でも僕が一番好きなのは「寶路町」の「千枚やま」です。
 この山の持ち主「寶路町」は実際には存在しない町で、旧三町が持ち寄りで作ったやまだと聞きます。花街的存在ですが、どちらかというとあまり裕福でなく(昔はね)、でもイナセな人たちの集まりですから、自分たちでやまを曳きたく、何とか捻出して作ったやまだそうです。
 そのため、彼らの法被だけ法被でなく、下半身が真っ赤な長足袋であり、実用に使っていたものをそのまま祭りでも使い始めたということです。いやー、でもこの赤さがまたかっこいいんだわ。時代を超えて染料がにじみ、深く紅に染まったこの衣装、将来絶対着てみたいと思ってます。
 さあこの勢いであと3台の説明も始めようか!
 その次は秩父の2台の笠鉾と4台の屋台を説明して…その後は佐原の23台の曳山の説明だ!
・・・あれ、周りに誰も居ない。。。
参考資料:その他のやまはこちら
http://www.senmaike.net/kenkayama/kakucho.html
http://www.senmaike.net/kenkayama/ichiran.html

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