Doobie Brothersの変遷

 何度も日記に書いてしまいますが、僕は洋楽が好きで好きで、その中でもSteelyDanやDoobieBrothers,Prince,TOTOなどを好んで食しております。オヤジ趣味言うな。
 その中で、今日はDoobieBrothersのことをふと考えてしまいました。
 DoobieBrothersは大きく分けて、前期と後期に分かれてます。
 前期は泥臭いアメリカンロックバンド、後期はスマートなAORバンドとしての顔。全然違う曲調と曲風を持ってます。
 ひとえに、ここの差にはマイケルマクドナルドと言う歌手の加入以前/以後に分かれてしまいます。
 DoobieBrothesはマイケルが加入した後、Doobieと言うよりは「マイケルのバンド」になってしまいました。その路線がAORであり、都会派バンドだった訳でして。それが嫌だ、と言う人も居るけどね。
 一人の存在が、その場所を大きく変えることはあるわけでして。
 マイケルは遅れてDoobieに加入したけど、実質的にバンドを纏める立場に立ったのですね。
 もちろんプロのバンドなんて、「仲良しグループ」な訳ではないですから、そこでは様々なしがらみ、葛藤も含めて、最終的にマイケルの色にたどり着いている訳です。
 その色に染められる人は、信賞必罰、メンバーを甘やかしていていい場所に仕上げられる訳がありません。メンバーを甘やかして結果が残せるような世界じゃないしね。
 全然音楽の話と関係なくなってますが、Doobieを聞きながら、いつも気になるのはこの部分なのです。
 どうしても最近、統制や甘え、と言うものが気になってしまうのです。その一例として、Doobieを聞くと「ああ、バンドのカラーも牽引されるもので全然変わるのだなぁ」と思ってしまうのです。
 ある意味、Doobieはマイケルのバンドになった。
 それはマイケルがバンドを甘やかしたから人がついてきた訳じゃない。むしろ、統制をとっていたからこそ、皆から「マイケルのバンド」と言われてしまうようになったんだ、と。マイケルの本意でなかったとしても、ね。
 でも、どうなったってDoobieはDoobieです。マイケルが居なくても、ファンは見捨てる訳がないんです。
 そうじゃなきゃ、結果なんて残してないのだから。
 さて、明日は学生時代以来、10年振りにバンド練習でスタジオ入りです。Doobieの目立たないベース”SKYLARK”になりきってきます。

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