今更隠し立てする事も無いのですが、精神的な病を患って久しい家族と二人暮らし、発症したと認められてから既に6年が経ちました。
その間、ずっと病院に通ったり、私が医者と面談したり、いろいろ行ってきましたが、まあ本当にそれこそ世の中の「見てこなかった」一面をいろいろと見ることになったわけです。
本当に、この世の終わりのように泣き叫ぶ女性や、いきなり倒れこむ女性、そういった悲鳴を聞きながら待つ診療室。
どこまでも果てしなく絶望の淵から出てくることのできない思考方法が人の頭の中に存在する事。
愛されず育つと云う事がどこまで重い事なのか。
救いを求める糸をほとんど断ち切った後、一人で背負い込む事の難しさと自分の非力さ。
この国の体制。一切こういった精神の病の部分を切り捨てて繁栄してきた国家。
救いの無い怒りを毎日背負い込みながら、全ての生活事象を行う日々。
なんなのだろうか。この世と自分のことが理解できなくなってきます。
あまり具体的な事象を語りすぎると、涙が止まらなくなるのでこの辺でとどめておきます。
闇を覗き込むとき、その闇もまた自分を覗き込んでいる、とは良く言ったものです。
病って、怖いね。
さみしいと死んでしまう、ってホントだと思う。何がなくとも愛されてさえいれば、たいていのことは乗り越えられます。人間に必要なのは愛につきると思います。
私の言っているのはきれいごとでしょうか?
僕にとって、大事なところで楔になるような言葉をくれるのは18歳の頃からずっとこますけでした。どうしてどうして、地球の裏側ほども離れて生活しているのに、必ずこういうときに僕を救うコメントをくれるのでしょうか。
愛という存在の影響力の大きさと重要性、年を取るにつれて解るようになって来ました。きれいごとじゃなく、愛で解決できる問題は沢山あります。