お弁当

 かみさんの手作りお弁当を持って出勤するようになりました。
 
 いきなり惚気かこのぼけ野郎といわれそうですが、まあ今日くらい言わせてくれ。
 露悪趣味的嗜好を持つ僕は、こういった自分話が本来は大嫌いですが、ちょっとだけ吐露。
 
 かみさんがうつ病(及びBPD)で床に伏して約6年。手料理などと云うものからは全く縁の無い生活でした。手料理以前に、何も家事ができなくなっていた訳ですから。でも生活はしないといけないわけでして。必然的に、僕は家事もろもろ二人分+かみさんの病気をサポート+一般社会人モドキをする生活が続いていました。
 
 仕事が終わって終電で帰宅し、コンビニで弁当を買って帰宅。自分の服を洗濯し部屋を掃除をして弁当食べて家計を計算してetc.etc.で朝5時くらいにゴミ出しして就寝。そりゃはげるわけだ。まあ、その生活自体も慣れればしんどくはないんですが、「この生活がいつまで続くかわからない」という気持ちが大変なプレッシャーでした。
 
 もちろんその間かみさんがサボっているわけではなく、ここに書けない様な闘病生活を自室で繰り広げているわけでして。「生きていたくない」という思考回路と向き合って語る禅問答を繰り広げる毎日です。僕自身生きることの意味をどれだけ考えたことか。言葉にするのは憚りますが、心中も何度考えたことでしょうか。おかげさまで手塚治虫のブッダ読みまくりましたよ。ええ。
 
 更に家計面でも、もー大変。もう4年ほど前の話なので時効で話しますが、病気の性質にある「衝動性」と「感情不安定」からくる不安のため浪費に走る走る。いくら使いこんだんだろう。買い物依存で7桁はゆうにいってるな。自分だけで支えきれず、実家に大変ご迷惑をおかけしました。その山をこえ、今は様々な手続きから、病気の認定による補助があるのですが、これだって治療代で飛んでく飛んでく火の車。貧乏も一線越えるとなぜか普通に生活できるんですけどね。これがまた。経済の不思議です。
 そんなわけで、多くは語れませんが、借金はかさむわ親同士軋轢だらけになるわ絶縁するわ警察呼ばれるわ入院するわで、「落下しかないジェットコースター」に乗ってる気分でした。これって上らないと降りれないんじゃなかったでしたっけ?
 なんか苦労自慢みたいになっちゃってるけど、そうじゃないの。いやね、自分だけが苦労してるとは思って無くって、人間誰でも過去があるわけでみんな苦労なんてモノは皆さん二アリーイコールだと思ってるんです。まあ20代後半まで結構ふらふらぼんぼん皆様のおかげで楽させてもらって生きてきたと思ってますので、その分がんばる時期が来たのかな、と思っている次第です。生死と欝と家計と親類愛憎と云う言葉にまみれて転がってきた6年です。人生80年に換算したらまだまだ薄味の苦労です。だからってこれ以上濃くなるのはもう勘弁ですが。
 
 話を戻して
 
 
 そんな生活の中での今年の夏。暑い。暑かった。
 かなり今年の夏はしんどかったのですが、今年の夏の暑さが引くと同時に
 
 かみさんの心持と体質がすっと良くなってきまして。
 
 今まで生きる事に対して一切前向きになれなかったかみさんが、生活することに向き合い始めたのです。
 
 そして昨日ついに、朝ごはんと弁当を作ってくれました。約6年ぶり。2300日ぶりくらいかしら。
 朝は玄関でお見送りしてくれるなんて事も。これだって1500日ぶりくらいです。前にお見送りしてくれたときは僕が会社に行くのを見送った直後に服毒(略)。あの時、初めて救急車乗りました。今では笑い話です。会社で話したらドン引きされましたが。
 手料理を食べて出勤して、家に帰ったらお出迎え。
 
 
 普通に愛情溢れる家庭では当たり前のことかもしれませんが、僕にとっては涙が出るほど新鮮な毎日が始まってます。人生ハジマタよ。9月26日は弁当記念日です。
 そりゃもうクララも立っちゃいますよ。2刀流で2倍ジャンプして3倍回転して1200万パワーですよ。先生バスケがしたいですよ。クリリンの事ですよ。取り乱しましたすみません。
 
 部屋の掃除や台所の片付けにも取り掛かり始めました。少しずつ進んでいます。「無理しないで」とは言ってますが、少しずつ、少しずつ自分の納得がいく生活方法を模索し始めています。
  
 
 介護(と云う言葉は適切ではないですが)生活から少しずつ、二人の夫婦生活に戻りつつあります。
 授かりもの、にはこれから先もまだまだ縁が無いと思いますが、まずは自分自身落ち着いた精神状態と時間を取り戻してきています。
 
 
 
 
 これから、がんばるよ。
 今まで苦労させてごめんなさい。がっつり稼いで楽させるよ。
 家庭が戦いじゃなくなれば仕事で今まで以上に戦えるよ。
 でも仕事ばかりじゃなくちゃんと家に帰るよ。て今までも帰ってるし。
 家事もちゃんと手伝うよ。て手伝うどころか(略)だし。
 むしろ今までも模範的主夫生活だったと思いますが何か。
 靴下脱ぎ散らかしたり食器洗ってもネギ落ちてなかったりするけどね。
 
 BPDと云う病には、何もできない自分は見捨てられる、という「見捨てられ不安」が心の根幹にあるため、それを取り除く形で生活に向かえるようになるのが大変なのです。
 料理が作れなくても、お見送りできなくても、掃除も洗濯もできなくても、人と自分を愛することができなくても、親を憎み続けていても、子供を作れない気持ちになっていたとしても、そばに居ますから。(青山テルマっぽいな。)
 ここまできて、今さら見捨ててたまるものか。骨拾うまで僕は死にません。
 
 大体オトコは女に見捨てられることはあっても見捨てるなんてあってはならないのです。愛情が多ければ2人でも3人でも4人でも養える甲斐性が求められるのです。まあそんな僕のマッチョイズム男根思想なお話は今日の本題ではありませんのでこの辺で。
 
 34歳、ずいぶん遠回りしてきた感じがしますが、今から僕の時代です。むしろ時代が僕です。カミングセンチュリーです。
 
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 記念すべき約2300日ぶりのかみさんによる朝ごはん。白いお米とお味噌汁。塩味が効いてました。涙の分だけ。

「お弁当」への4件のフィードバック

  1. 涙なしには読めませんでした。そんな年月を過ごしていたなんて知らなかったよ。よく奥さんを支えてこられましたね。奥さんもよくがんばった。生きててくれてホントによかった。

  2. 今日という日があって良かったですね。
    ところで、
    そんな超貴重な写真をこんなところに出していいんですか?

  3. >こますけさん
     支えてこらえた、ってあーた、まだ過去形じゃないし、支えるのは甲斐性としてとーぜんでござます。17、18の若い頃と違って、ちょっとは強くなったのよ。
    >U1さん
     ご無沙汰ですが、君が息子になるのは想像つきません。
     毎日親子喧嘩やって楽しそうな毎日になりそうだな。
    >ねこさやさん
     たしかに超貴重な写真だけど、消えてなくなるものじゃないし、いいかな、と。かみさんからもお許しもらって掲載させてもらいました。
     

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