つながりたいのは男のサガ

 昨日、「朝会社に行ってから昼過ぎまで休憩」と言う状態で勤務した話書きましたが、まあシフト制の仕事上、こういうこともあるわけです。むしろ、朝仕事があって、そのまま会社にずっと居たら夕方には煮詰まって仕事にならなくなるので、意図的にもスイッチオフの時間を確保するようにしてるのです。
 しかし、その中でも昨日は特殊な事情がありまして
 まあ、特殊と言うより、単純に携帯を忘れただけなのですが。
 要は外に出るともう誰とも連絡が取れない状態になるわけです。
 これがねぇ、結構革新的で究極的な休みになるのですよ。
 当然ながら僕は会社に属しており、そこで勤務することが一番の趣味任務になっているわけですが、それ以外にもあんなことやこんなことがあり、且つ家に戻れば主夫と言う任務を背負っていて、その全てが「他者と自分とのコミュニケーション」から成り立つものばかりなんですよね。
 そして、携帯電話やインターネット他、様々なコミュニケーションツールが揃っている現在、会社に居たら他者が居て、家に居ても他者が居て、それ以外の人とも携帯でいつでも連絡が取れ、自由にメールが打て、好きなときにWebを閲覧できると言う常に何かがつながっている状況で生活しているわけですよ。それこそ寝てるときも含めて。
 で、そんな毎日に慣れ親しんでしまっているのですが、昨日ふと携帯を忘れて青山に外出したときに
 会社の人からは決して連絡が取れない。かみさんとも連絡取れない。ネットも見れない。メールも打てない。
 すんごい孤独感と不安感と安心感と自由感が同時に身に染みこみまして。
 まあ「連絡が取れない!」と会社から見たら迷惑かもしれないのですが、そもそもそんなに緊急の事を起こさないようにすることこそが仕事であり、及びいつも連絡取れると思って仕事する自体が危険な兆候だと思うのです。特にこんな時代だからこそ、携帯とメールなしで仕事できるスキルは必須だと思います。
 なんつーか、誰も「山本輔」を知らない群集の中で、知ってる人は誰一人僕を捕まえられない世界で、僕からも誰とも連絡が取れず、知ってる人が存在するネットワーク(いわゆるWeb)とも接続されない世界で独りになる事の貴重な時間、と言うものを心から素晴らしいと感じました。いや、特に既婚者の皆様、これは重要ですぞ。携帯に「今日の買い物 水菜 納豆2パック 豆腐2パック 冷蔵庫入れといて。」と管理者命令が来ることも無い、名前も忘れられる自由な時間は本当に自らを開放します。僕は生活に煮詰まっているのだろうか?
 4月、僕は名のない禿中年へ誕生した。
 寺山修司的に表現してみましたが、かっこよくありませんね。
 時には、携帯を捨てて街に出よう。名刺も持たないほうがいい。ノートPCなどもっての外だ。見るもの、建物、過ぎる人々全てが鮮烈に彩ります。
 今度はその状態で房総半島あたり一人旅行してみようかな。カメラも持たずに。
 因みに昨日、家に帰って携帯を見たら、「着信0件 メール0件」でした。それはそれで寂しい。泣いてやる。僕寂しがり屋なもので。
 旅に出ます。探してください。

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