ツイッターについて

 ツイッターと言うサービスがあります。
  Wikipedia ツイッター
 ようするに。なんだ。あれだ。チャットほど即時性は無いけど、ブログほど文章整合性、論理性を求められない、そのときの気持ちを吐露するのにベストなメディアツール、と言う位置づけらしい。
 なるほど。以前より僕の師匠であるKamaさんが使ってたり、会社でも話に出たりとその存在は知っていたのですが、僕個人はずっと使ってきませんでした。というか、多分今後も有効に使うことが出来ないツールだと思っています。コレを使うと簡単につぶやきを共有できますよ。等々教えてもらうことが多いのですが、それは難しい、と思ってます。
 理由は簡単。
 僕のつぶやきは暑苦しすぎてこのボリュームで語りきれないから。
 このブログをご覧の皆様はよくお分かりだと思いますが、僕の文章は無駄に長く暑く太いです。男性的なコンプレックスの裏返しだと言ったやつちょっとこっち来い。顔文字も何も使わず、ただひたすら文章の羅列のみで延々とそれこそ日々無駄なバイト数をサーバ上にアップし続けています。そこまで言わんでも解る解ったから黙れ。と言われても気にせず延々と文章が続きまくるこのブログこそが僕にとってつぶやきのメディアであり、これ以上短くなど出来ないのです。つか、むしろ逆に、これより少ない文章量で言いたいことみんな言えてるな。凄いことだと思うんだわ。いや、全部言い切ってるわけじゃない、全部出してない、という人もいるかもしれないけど、それはそれでストレス感じないのかな。ちょっとだけ出したら、全部出したくなるじゃないか。さきっちょだけ、ってのが一番ストレスフルじゃないか。
 大学時代から、短い文章で端的に言葉を選べる人を本気で尊敬してきました。
 日本語の語彙の力をちゃんとわかって、その場に最も適した言葉を選び出して、且つ聞く側の言葉センスに合わせてもっとも近しい用語を選べる人が僕にとってもっとも尊敬すべき人なのです。文芸、と云うジャンルにおいて、ね。
 今までも言葉に敏な人になりたい、と言う気持ちは強いです。美しい日本語が好きなのです。泉鏡花、中島敦、山口瞳、大岡信、ちょっと間違って江戸川乱歩、etcetc…中島敦の山月記を書き写してた時には、一言一言に萌えてました。変な20代でしたね。
 話逸れました。
 でもって、言葉に敏な文章を書こうとすると(でもって、と言う接続詞の段階でダメだけど)、どうしても抑揚、演出を含めて言葉が間延びしてしまうんだよね、僕の場合。修行不足なもので。そのため、ツイッターを使って何か書こうとすると、大体何も書けないまま時間が過ぎてしまいます。
 なので、僕にとっては、このブログに叩きつけてる分が普通にいつも頭で考えていることであり、これを取りまとめるのは面倒くさいので、そのまま叩きつけてアップしているのです。 
 
 そうそう、よく聞かれるのだけれど、「ブログの記事、あれだけのボリュームにどれだけ時間割いてますか?」。僕は全然時間掛けてません。長いもので10分です。いやね、どうだ速いだろう、と言うわけではなく、逆に短くまとめようとするとその方が時間かかるのです。ええ、脊髄で書いているもので。
 そんな訳で、結局今日もマッチョイズムの暑苦しい吐露になりましたが、ツイッターのような「短く小さく」であることをメリットとするメディアでは僕は満足しないということが今日の本題でした。もっとブッとく、濃く、暑苦しいメディア求む。僕が100行つぶやいたら、1000行の反応が確実に帰ってくるような、そんなメディア無いかしら。
 

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