恋をする。恋をした。恋心。

 もう15年以上も昔の事ですが、とある女性に猛烈に片思いをした事がありました。そりゃね、人並みに生きてるから、いくら軟弱な僕でもそんな記憶もあるのよ。きもいとか言うんじゃねえ。

 ほとんど一目惚れに近い状態で、今思うと一世一代の片思いでした。何に惹かれたのか今では良くわからないけれど、まあ恋なんてそんなもんだからしょうがない。若かったからねぇ。勢いがあったんだわ。でも、その感覚は間違ってなかったと思ってます。本当に僕は人を見る目がある、女性を見る目がある、と自信を持つことができた、今でも胸を張って信じられる片思いでした。

 その想いが適うことは無かったけど、あのときの気持ちがあるからこそ、その後の幸せな恋愛、幸せな結婚ができる道しるべを築けたのだと思ってます。本当にひねくれていた僕が、ちゃんと女性と話ができて、好きになることが出来て、想いを伝えられた、というのが僕にとってどれだけの自信になったことか。

 5月4日はちょうどその子に想いを伝えて失恋した日です。忘れもしないこの日。えーと、嘘。今ブログの記事を見直してみましたが、全く忘れてたみたいです僕。10年書き連ねて一回も触れてないし。

 16年前のこの日、僕はその子と高田馬場駅で待ち合わせをして、新宿のジャン・コクトー展へ。チョイスが微妙なのは若さのパワーだ許せ。その日までにも飲み会や電話など、密なやりとりをしていたので、もう気持ちを伝える気満々でした。今の僕が司令塔につくなら絶対に「待て」の指示を出すけどな。

 当時、勘違い野郎の僕は気持ちが成就する気満々でした。なんでそうなるのだ。若かったんだねぇ。痛いねぇ。「ごめんなさい」言われた後の記憶が全くありません。不思議なもので、その後の方が想いが募り、胸が締め付けられるような恋心にさいなまれました。いやー、なんてウブなんでしょ。今の僕が当時の僕に会えば、絶対に純情な気持ちを踏み躙るようないたずらをする事でしょう。大人って汚い。まあそれはさておき、当時は悶々とした月日を送ってました。ウブでしたから。今ならそのまま何度もアタックしたことでしょう。余韻も感傷もありゃしねぇ。大体一人でウジウジ悩んでても始まりゃしねえんだから(略)

 女性への想いを吹っ切るべくランパブで働いてみたり、急速に文学に傾倒してみたりと、溢れる気持ちをもてあます日々でした。うん、書いてみて思う。とっても普通の文学部生キャンパスライフを過ごしているじゃないか。なんだ僕にも青春時代があったんだ。

 失恋の夜、家に帰ってウィスキー瓶を一人で空けて、布団にこもって徹底的に泣きじゃくりました。僕の泣き上戸の原点です。本当に若さって痛いですね。でも痛いことをちゃんと経験してきた事が、きちんと自分の根っこになってると、この年になって思います。

 その日から16年。

 月日を重ね、不思議な縁から、今ではかみさんの親友になってます。一緒に買い物をし、コンサートにいく仲。週を空けずに電話する仲。不思議なものです。

 それはいいのですが、

 かみさん宛てに我が家に電話してきて、僕が出たら
 「え、おとこ?誰?」などとのたまうのはやめてください。ここは僕の家です。僕のこと忘れないでください。しくしく。

 恋話にまでオチは要りません。僕の人生にオチは要りません。間に合ってます。勘弁してください。

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