闘争心

僕は闘争心が薄いです。

 と書くと「この大うそつきめが!」という声と「そうだな」という声の両方が聞こえてきます。あと、「髪の毛もな」と言う突っ込みも。いや、どれもホント、どれも真実なんですけどね。

 でもまあ、個人的には勝負事や動きそのものは淡白、だと思ってます。思想は煮えくり返ってますが。

 今、僕が通っている学校で「闘争心が足りない!」と言うことを恩師から強く叩き込まれています。特にこの2~3年、淡白に生きるようになっているなぁと思っていた矢先のことなので、かなり大きく響いてます。

 元来、我武者羅とか足掻きとかが苦手であります。スマートでないとモテない、と言う気持ちがあるために。本当は違うんだけどさ。

 我武者羅にやっても出来ない自分を見たくないから逃げているのであります。なんだこの青春語りは。

 それに加え、年齢を重ねてくると「もうこんなもので良いだろう。」と言う妥協点にたどり着くのが早くなるんですよ。体力が無くなって来てるんだよね。真剣に考え抜けないと言うのか。これはもう、単純に甘えなので自分で早急にたたきなおします。

 それでも、年齢が僕を許してくれるだろう、と言う甘い気持ちが僕のどこかにあったため、ちょっとこの2年ほどは気楽に、気楽に生きてきたと思います。それによって得た余裕、ゆとりがあることも否定しません。

 そのため、以前はまだ多少闘争意識のある人間だったのですが、最近は闘争心を感じないようになってしまっています。

 もともと、人と比較することが苦手なため、誰かと戦う、と言う意識もあまり感じないのですよね。僕、自分にしか興味ないので。闘争しようがありません。全ては博愛です。

 だけど、そろそろそんなことを言ってる場合じゃありません。世間一般に、楽しく生きる秘訣は確かに余裕溢れる生活と正しい家族計画なのかもしれませんが、そのスタイルは僕にとってちーとも興味が湧かない生活なのです。変態的生活と享楽的仕事、侠気兼狂気溢れる中二病スタイルの貫徹こそが我が生きる道。なのでひたすらやりたいことを貫くことで得るものこそが僕の楽しみです。自分の好奇心に対する闘争心を燃やさないと、僕のこの先は自分のやりたい事を守り通せなくなりそうです。なので、やりたいことに蓋しないでやるぞ。やりたい事やるぞ。やりたい事やるぞ。やりたいこ と やるぞ。

先日も書いたけれど、今の僕は周囲に恵まれていて、様々な面で尊敬できる人に囲まれています。クリエイティブに関しても、スクール事業に関しても。その人たちと正面から戦っていくことこそ一番の礼儀なのでしょうね。あまり競争意識ないのですけどね。この辺が僕のオシトヤカな部分なのです。おいそこの笑ったやつ正座。

 考え方がバーサーカーなので、行動もバーサーカーになると言文一致。知行合一。陽明学的に正しい男になります。ただ暑苦しいだけとも言いますが。

 まだまだがんばります。眠いので落ちも何もなしです。ごめん。

「闘争心」への2件のフィードバック

  1. 一言一句共感致しました。
    私も闘争心のかけらもない人間です
    もっとあればまだアスリートだったかもしれません。汗
    昨日は喝を入れてもらい、ほんの少しの闘争心が芽生えて
    来たかもしれません。
    あーゆーこと言ってくれるのって、中々ないですよね
    恵まれております。
    一緒に狂乱しましょう!

  2. >さやさん
     熱さにかけては右に出るもののない学校だと思ってます。(だから僕が居られます)
     その熱さをどれだけ飲み込んでいけるか。そこで勝負ですね。
     僕も負けないでがんばります。
     さやさんより帽子が似合うようになるまでがんばります。

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