長電話

 僕の若いころは(今もです)友人とのコミュニケーションは主に電話。あ、対面を除いてね。
 携帯もなければメールもない10代後半を過ごした世代なので、一人暮らしを始めたころはいろんな人と長電話をしながら夜を明かしました。
 90年代後半、メール&携帯がコミュニケーションのメインストリームとなり、いつでもどこでも連絡が取れて、且つタイムロス含めて短文を適当な時間に返信するというコミュニケーションが主流になってきた今、電話を用いて感情のやり取りや駄会話を延々と行う、と云うことが少なくなってきたなぁ、と感じています。
 いつの間にか、友人との長電話、と言う文化はもう廃れてしまったのでしょうか。
 ただ僕に友達が少ないだけです。
 ここ10年、長電話をするなんてことが無くなってしまったなぁ。意味も無く電話をして、ただ無駄話をつなげるだけの1~2時間(超)を行うコミュニケーションをとっていませんでした。
 延々と5時間ぐらいSkypeをやり続けることは結構ありますけどね。(ね、K●tyさん。)
 いや、こんな話をするのはですね、最近なぜか友人との電話コミュニケーションがちょっと増えてきて、その中には「深夜の長電話」という前世紀の遺産?のようなやり取りをする方が何名か居てくれたのですよ。
 京都から電話をくれる某君、真夜中4時に電話して朝5時半過ぎまで長電話する某さんなど、久々に長電話をする機会に恵まれ、そのコミュニケーションのあり方にまた感じ取ることがいろいろとありました。
 若いころは「長電話などオトコのすることじゃない。オトコは面と向かって伝えて何ぼ!」と思いながら日々長電話してましたが、年取ってくると普通に長電話してしまいますね。プライドも意地もへったくれもありません。
 その昔、坂本龍一の「長電話」と言う本がありました。
 ただつながっている、というお互いの確認と安心感に、断片的な言葉の情報が確認信号代わりに飛び交うというゆるいメディアとしての長電話。これは普通の電話とも違い、ましてやメールのやりとりとも違う別種のコミュニケーションなのだと云う事を、エッセイ仕立てで書いた本じゃなかったかと覚えています。こういう本、好きなんですよね。
 相手の時間を奪ってしまう&自分の時間を使ってしまう、と言う迷惑とデメリットを重々承知しながらも、そこでつながっている安心感、と、ゆるい会話。顔も見えないし触れることも出来ないから、言葉が途切れるとそこでつながりも切れてしまう、と言う脅迫的且つ危ういツナガリ。ちゃんぐ亭のコンセプトはこのときからあったんですね。
 人が居ないと生きていけない僕にとって、「長電話と言うメディア」はとても大事なものだったんだと再確認しています。いつでもみなさん掛けてきて下さいませ。もちろんこちらからも掛けなおしますよ。

「長電話」への1件のフィードバック

  1. 因みに、「長電話するぞ」と思って長電話するわけじゃなく、いろいろと話に花が咲くと自然と長くなるのです。最近、そういう形で話に花が咲いたことが少なかったなぁ、と思ってます。

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