卒制の発表にて

 今日もまた卒業制作の話。
 卒業したてでセンチメンタルなのよ。
 いやね、僕が通ってた学校の授業、最後は「制作発表会」として、自分の作品をプレゼンする時間が与えられているのです。まあ、DH関係者なら自明のことですが。それ以外の皆様もブログ見てますからね。
 で、昨日は僕も自分の作品をプレゼンするに至ったのですが・・・
 自分のプレゼンのとき、実は僕は自分でも思いがけない事を言いだしたのです。
 多分緊張してたんでしょうね。僕なりに。
 その自分の言葉が、今思うと非常に「俺良い事いった!」と個人的に感銘することだったので、改めて忘れる前に記載しておこうと。思いまして。
 当然、アドリブで説明したことなので、詳細は違ってるかもしれませんが、要約すると
「ここにいる皆さんは、転職やスキルアップなど、様々な転機に向けて、それこそ『命』を賭けて卒業制作を創ってきたものだと思います。この作品を他の会社に持ち込んだりするわけですから。」
「その中で、じゃあ僕は?と言われたときに、僕は転職を全く考えていないし、自分の人生において、この制作をするかしないかが業務とはあまり関連しない。」
「ならば、遊びでいいのか。適当でいいのか。といえば、それも絶対に違うと思いました。皆さんが『命』を賭けて創ってきた卒業制作を公開する場で、僕も同じように時間をもらうならば、やはり僕も『命』を賭けなければならない。それが礼儀だろう、と。」
「というわけで僕の『命』が懸かったけんかやまのサイト見てください」
 と、基本的には僕の暑苦しさを演出するための前口上だったのですが、今日になってふと見直したときに、自分で納得したんですね。
 でも、これ、僕が思いつきで言ったわけではなく、僕の敬愛する棋士・米長邦雄さんのポリシーそのままなのですよね。
 人間における勝負の研究-米長邦雄
 名前がちと恥ずかしい本なので、あまり愛読してると公表したことは無いですが、十代の頃から何度と無く読み返してました。
 「自分にとってはどうでもいい試合でも、相手にとっては人生のかかった勝負、というようなときにこそ、手を抜かずに、自分にとっての大切な勝負のとき以上の気持ちで全力を尽くせ」という米長哲学。
 できているかどうかは別として、このポリシーを大事にしたいと思ってます。
 いやいや、卒制は決して「どうでもいい」訳じゃないんですけどね。
 今回の卒業制作、ぶっちゃければ「僕が好き過ぎるから愛情込めて作った」ことに他なりませんが、クラスメイトの皆さんと同じスタンスで、魂を削って作り込むができたんじゃないかな、と思います。(でも実際の製作期間は一週間ほどだったことは内緒)
 その気持ちをもってプレゼンを行いました。
 きっと、人生を賭けた制作に対して人生を賭けて応えれば、必ずいい事が返ってくると信じてます。お天道様はちゃんと見ているのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください