思考が現実になるor夢は適うのか

It's a 目白台
 いやね、ちょっとこの前家の前を散歩してまして。
 僕の自宅は住宅街であり、様々な家やらマンションやらが立ち並び子供が公園で遊んでいるイカニモな空間です。高級住宅街かといえば決してそうではないのだけれど。
 そんな町並みをフラフラと缶コーヒー片手に放浪していたときに、ちょっと思ったことがあったんですね。
 「ああ、20歳の若い頃は、30代になるとこういう住宅街に一軒家でも建てて、子供の二人くらいと一緒につつがない家庭を築いて大きな会社で中堅社員としてがんばりながら生活をすると思って・・・」
 と、この辺りの家を眺めながら、自分の人生を悔やむように告解してみようと思いました。ああなんて僕は全うな生き方をしていないんだろう。30代後半に差し掛かると言うのに。全然駄目な大人でごめんなさいああああ。と後悔してみようと思いました。むしろたまにはそうやって絶望してみるのもオツなものです。酒の肴にもいいですね。ウィスキーに合います。
そうやって懺悔に対してまでも斜に構えるのが僕の悪い癖です。
はいごめんなさい。
 と、自己憐憫を感じようとしたそのときに
 「ああ、20歳の若い頃は、30代になるとこういう住宅街に一軒家でも建てて、子供の二人くらいと一緒につつがない家庭を築いて大きな会社で中堅社員としてがんばりながら生活をして・・・」
「・・・いたいとは思ってなかったな。」
 と、自分の過去を振り返って、いわゆる「全うな人生を希望しては居なかったのだな」と自分の中で自己矛盾を起こしてしまいました。「そしてそんな僕が過去に居たから、今のように泥だらけで七転八倒な人生を歩んでいるのだな」「むしろ、当時考えていた生活に今とても近い生活をしているのではないか」「なんだ。夢って結構簡単に適うじゃん」というむしろ逆に幸せなハッピーライフに気付いてしまいました。
 うん、思考していたことって結構適うものだと思います。
 夢の大小はあるけれど、二十歳の頃あこがれていたライフスタイルには非常に近いポジションに居ます。そして、向いているベクトルはその当時の延長線上に確かにある。全然目標には届いてないけどね。でもまあ、その頃の自分とズレたことはしてないな、と思いました。
 僕がどういう夢を描いていたかは・・・内緒。うん、でも、こういう仕事をして、かみさんと一緒に、トラブルの森の中をドラマチックに駆け抜ける人生は結構期待してました。もちろん終わりはハッピーエンド期待。ちょっと思いのほか体力が続かなくなってきたけど。
  と言うわけで、僕は明日から世界征服を夢見ることにします。もし半分しか適わないとしたら、女性が沢山居るほうにしてください。お願いします竜王様。取引には応じますので。
(写真は先日の散歩の際に撮ったモノ。昔済んでた近所であって、今の近所じゃないよ)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください