あの日から10年が経ちました。
Links to 2000.7.10の記事
10年前僕はパソコンスクールを運営していました。
7月10日はその母体となる第一校舎「武蔵が辻校」の開校日。
この日から約2年、複数にわたる拠点で延べ人数だと数百人の方々にお世話になりました。
そのころの写真。
武蔵が辻校 正面
教室
第二校舎(ご迷惑がかかることもあるので名前は出しません。モザイクもかけておきます)
第三校舎
第四校舎
開講初日、初めに来てくれたお客様のことはしっかり覚えています。はじめのころは1日1人づつ増えて、少しづつ個別学習の時間が埋まっていきました。
よりよい講座を提供すること、講師としてのスキル、広報戦略、人材の活用・・・いろんなことを学びながら、すぐに実践しながら、毎日を送っていました。
そして、第二校舎開講の日、説明会には50名近くのお客様に参加していただき、そのほとんどの皆様にお申し込みいただけた、僕にとってはじめてのビジネス成功体験も経験させてもらいました。(その夜のKawakami先生とのハイタッチ、今でもしっかりと覚えています)
授業そのものはきちんと、皆様に提供できたと思っています。
今でも、当時の生徒さんから年賀状が来ます。このことは、未だに、僕の支えです。お客様に尽くすことができた、と感じています。
でも、バックオフィスの部分では、統括兼主任講師なんてえらぶってましたが、結局それはヒトに任せることができない、マネジメントできない、経営できないということの裏返しだったのですね。
朝から授業をやって教材作って面談やってマシントラブル直して企画立ててチラシ織込やってお金の算段やって・・・それは一人の人間ができる範囲ではないのです。
制作会社に3年勤めた経験を元に、半ば勢いではじめたスクール、当時は(今もだけれど)マネジメントも経営も会計も何もわからないまま、全てを力技でこなそうとしていました。
その結果は・・・家族を破綻させて、精神を病み、後始末もできないままにさまざまな方にご迷惑をお掛けするという結末。東京に逃げるように飛び出してきました。
そのときの無礼、いつか詫びに行かねば、と今でも思っています。
(早く結果を出して詫びれる状態になりたい、今がんばる理由のひとつにはそれもあります。)
同時に、当時僕が身をもって・・・
・人間下手なことでは死なない。
・お世話になった方々への感謝が何より大事。
・入金は恐ろしいほど大事だけど、何のために稼ぐのか考える。
・自分の時間はちゃんと確保する。
・気持ちが一杯になるまで仕事することはただの不義理である。
・経営者であっても、仕事以上に家族は大事にしなければならない。でないと破綻する。
などなどを、徹底的に思い知ることができました。
当時特にお世話になったのは、近くの学習塾に勤める友人(先輩)です。息抜きをさせてもらったり、一緒にビラ配りを手伝ってもらったり、彼のおかげで何とか正気を保つことができました。彼が居なければ僕はもっと早く首をつっていたことでしょう。(kazuさん、お世話になりました)
このこと自体を振り返ることができるようになったのも、つい最近のことです。
いつかまた、僕は自分の看板で何かを始めることがあると思っていますが、以前のこの事をしっかり見つめなおすことができない限りは、同じ失敗をすると思っています。
パソコンスクールRustyRed開講から10年、もう一度、自分の成功体験と失敗体験、お世話になった皆様を総括して考えます。
それは仕事柄、今の仕事にリアルに反映されて、結果につながることでしょう。いや、そうじゃなかったら総括にならないだろう。
・・・それにしても、かみさんの病気といい起業苦労といい、自業自得とはいえ、この10年間、なんでわたしゃこんな苦労の多い人生を歩んでおるのだ。それを楽しいと思っているからか。そうか。うむ。自分で選んだ道だ。好き好んで進んでいる道だからこそ、僕は笑っていられるのだ。わはは。絶対負けないからな。
苦労と人の辛さと悲しみを知った上で、優しい人間になりたい。
強くなる、成り上がる、等には価値をあまり感じていないのです。
僕の中で一番の価値は「慈忍」です。忍んで慈しむことのできる人間でありたい。理不尽すらも一笑のうちに飲み込んで許してしまう許容量、僕はそれが欲しいのです。
そこから逆算すると、確実にこの10年間は、僕を鍛えてくれた。
苦労は多いけれど、僕が自分で責任持って選んだ道なんだな、と体感します。
本当に、ありがたく、楽しく、思います。
また酔っ払ったような結論に来たので、この辺で終わり!