アルバイトの選び方

Tumblrより転記。もっと言うならば元はTwitterだ。
hiroto_999: 「大学時代アホみたいにバイトしてたけど、これって親が高い金を払って買ってくれた時間をバイト先の会社に安く売ってたのと同じだと気がついた」 っていう社会人の言葉にはっとする俺。 っていうつぶやきに関するリプライがあまりに多いので、ちょっとだけおいらの意見を。 [http://twitter.com/hiroto_999/status/78445735879786496]
hiroto_999: 大学は勉強するとこではありません。すごくリアルな言い方をすると、四年間の自由な時間を親に買ってもらったのかも。だから、その時間をお金を得るためにバイトばかりに費やすのはやっぱなんか違う。もったいない。 だけども、座学以外の何か生きた体験を得るためにある程度の金が必要なのもまた事実 [http://twitter.com/hiroto_999/status/78445818876657665]
hiroto_999: だからアルバイトは人との関わりが濃いバイトをしなきゃもったいないのかも。友達が言ったけど逃げのバイトじゃなくて攻めのバイト。 そこで得た最小限の金を握りしめて最大限の生きた体験ができたらベスト。 俺はできてないけども。笑 [http://twitter.com/hiroto_999/status/78446445287571456]
 以上、引用終わり。知らない方のツィートですが、気になっていました。
大学に入るまでバイト禁止の家に育ち、大学に入ってからもろくに「労働」と言うものに価値を見出してこなかった。
それでも、変なコダワリはあって「絶対に家庭教師と塾講師だけはやらないようにしよう」と思っていた。
実家が学習塾をやっていたこともあって、「実家帰ればできるじゃん」と思えることには価値を見出せなかった。
その根底にある気持ちは、この転記した記事。
僕が大学時代に言葉にならずとも思っていたのは、こういうことだった、のだと思う。
お金が欲しくてバイトをする必要は無い。それは、根底には両親に対するとてつもない感謝と庇護があるのだけれど。(それでも飲んだくれて素寒貧だったけど)
それを踏まえて、だったら大学生活をしっかりと満喫すること、自分の人生に根を生やすことこそが、両親への恩返しだよね、と不遜にも思っていた。
今思えば「お前もう少し社会見ろよ。で、もっと勉強しろよ。」と心から自分を叱責する部分も大いに非常に多々としてあるのだが、それはそれ。もう一度大学生に戻れ、と言われたら、今の知識と経験を持ったまま、多分全く同じように家に篭って本を読んだりデートしたり朝まで酒飲んで語る毎日を送ることになると思う。変わるとすれば、昔よりは授業の価値を理解して、受けたい授業をもっと受けるようになることくらいかな。特に文化人類学と言語学と経済学はもっとやりこんでおきたかった。
大学時代にやったアルバイトは、読売新聞の世論調査、赤坂見附のランジェリーパブ・ウェイター、新大久保の牛丼屋、深夜のビル引越し屋、コンサートの警備員(布施明とか)…もっとやった記憶もあるけど、大きなところではこの辺か。
実入りはそれほど大きくなかった。けど、「攻めのバイト」を選んでいた自信はある。一番一般的な牛丼屋だって、基本深夜シフトなために麻薬密輸や取締りやアングラな皆さんとの遭遇など様々なものを目の前で見ることができた。うん、もちろん僕はやってないよ。
もっともっとたくさんの事も出来たのかもしれないけれど、とりあえずアルバイトとしては満足。アルバイトをする為に上京したのじゃない、と言う気持ちもちゃんと持っていた。
今思うと、本当にうちの両親の「学生としてのあり方」の教育は間違ってなかったのだな、と思う。一般的には正しいのかどうか知らないけど。
話を戻して。
でも、危険な事に、刺激を求めて仕事をしてると、大人になってからもその癖が抜けなくなります。
今も変わらず。どうしよう。これ。

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