夏休みが終わるよ

Slough
こんなに間が空いたのは何年ぶりだろう。1ヶ月以上ブログを書かなかったのは最長記録じゃないだろうか。自慢にもならないけど。
 6月から7月に掛けて、本当に多数の人に会った。お世話になった。よく遊んだし、よく学んだし、いろんなことを考えることが出来た。それは仕事の上でも、プライベートでも。
(そもそも仕事とプライベートの区分けが全く無いが、それはまた別記載に)
 10年以上前にお世話になった会社の上司、新しく知り合った仲間、以前の拠点のメンバー、家族ぐるみのお付き合いの方・・・このブログで改めて皆さんにありがとうを伝えると、ものすごく遺書のようになる。
 僕は人付き合いが比較的、苦でなく(ひきこもりの癖に)、誘われたらどこでもついていく性格なので、結果このような夏を過ごさせていただいてる。
 でも、正直言うと、僕は大人ってもっともっとストイックに、家族と会社の往復しかしないものだと思ってた。
 自分の両親がそう頑張ってくれていたから、というわけではないが、家族のために必死に奔走し、社会のためにがんばって経済を回す、それ以外に余裕が無いほどにギリギリまで自分を追い込むのが日本人としての「大人道」だと思ってました。
 そう、なんというか、「柔道」「空手道」のような「大人道」。
 大人はぎりぎりまで追い込んで養う、戦う、守る。
 そして、それが自分自身もまわりも「かっこいい」ことだと信じる。
 ずっと僕もそう思ってました。
 でも、そればかりじゃないのですよね。
 追い込まれない戦い方、養い方も、実はとても難しくて、とても面白くて、やりがいがある。
 いろんな人と会って話をして、楽しませてもらって、やっぱりそれが間違いではないのだと、改めて感じました。うん、僕の理想は「求道者」の対極にあるのだな、と改めて実感。
 その具体的な意味は追々。
 僕が必死に頑張ると、家族は精神的に追い込まれ、疲弊した。
 僕が昼行灯を決め込むと、家族も仕事も、みんな笑顔でうまくいった。
 (この事実、気づいたときは、結構カルチャーショックだったのよ。)
 なるべく、追い込まれない。でも時々集中的に追い込んでがんばる。
 楽しいことは、なるべく追求する。不義理はしない。自分を守って、次に家族を守って、次に仲間を守って、会社、県、国・・・。守れる範囲をちゃんと守る。
 でもこうやって心が追い込まれないように生きてると、財布が追い込まれてきました(遊び過ぎです)。うむ。こっちはどうしよう。とりあえず昼寝でもしよう。
・・・
 僕があまり好きではない言葉。
「もう、大人なんだから」
「大人としての節度をもって」
 ・・・
 僕は、僕の知っている大人より、もっと大人になれていたのかもしれない、と不遜ながらちょっとだけ思いました。ええ、ちょっとだけ。
 それは、精神年齢が低いままに留まっていられている、という意味で。
 留めさせて頂いている事を自覚して感謝する、という意味で。
 ストレスを自分に与えず、周りの方々へ感謝する余裕を持って生活している、という意味で。
 食い扶持を稼ぐ、という意味以外での「仕事」ができる隙間を作っている、という意味で。
 そしてそれが最も、社会にも国にも貢献し、経済的に周りを潤わせる一端を担えて居る、という意味で。
 とはいえ、まだまだ若造。脱皮したての蝉のようにツルツルです。
 これからもご指導ご鞭撻よろしくお願いします。
・・・どうしても間が空いた後のブログ更新はご挨拶みたいになってしまうなぁ。
 

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