偏狭読書情報


【デジタルリーダーシップ】
これからの企業は、顧客をはじめとしたステークホルダーとどう付き合っていくか。何を発信していくか。そしてエンドユーザーからは草の根のようにブログやツイッターで発信される企業評価に、どうやってレスポンスを返していくか。今までのようにリリースを出したり声明を発表したりするだけで自分達を規定できない世の中になってきて、「周りがどう自分達を規定するか」をコントロールできない中で存在義を見出さないといけない。そのコミュニケーションツールとしてのFacebookやブログといったアイテム。コミュニケーション担当、フロントマンの役割が、これまでとは全く異質になってきた、その事を事例を通じて理解できる本でした。

【金閣寺】
 文学部卒業生なら当たり前に読んでろよ、という基礎素養ですが、なぜか今回初読。文章が綺麗。そして広辞苑をひきながらその文章力に耽溺してみたのですがこれがまた素晴らしい。面白い。ここではこの言い回ししかない、この単語を使うしかない、という適切な語彙配置の美しさに感動するのです。内容は童貞をこじらせた自己肥大青年の独白なのですが。それがこんなに美しく奏でられると、思わず共感してしまいます。安定した将来を壊しつつある僕も、何か永遠なるシンボルを燃やさなければ、と思いました。いやだからって陰毛に火をつけません。永遠のシンボルってそういう意味じゃない。

【族長の秋】
 おまえ本当に文学部生か。ガルシアマルケスすら読んでないとはあまりに文学的素養がなさすぎる。というわけでこれまた初読。圧倒的に素養が足りないことを自覚する38歳なのです。
 些細なエピソードですが、その昔僕が大学生だった頃、親しくしてくれた東京外語大の、一つ年上の先輩が居ました。見た目チンピラな風体も似合う、世の中を煙に巻いたような飄々とした兄貴分でした。「ヤス兄い」と僕らは呼んで、それこそくだらない遊びを沢山やってきたのですが、この本を読むと彼を思い出すのです。
 彼がこの主人公に似ている、というわけではありません。もっとすごく単純な理由。このヤス兄いと僕、そして女の子二人で何泊かの旅行に出かけたことがありました。94年の夏。河口湖畔でした。暑い日ざしと爽やかな風が吹いていました。コテージに着き、たゆたう時間が過ごせるような環境になったとき、コテージ脇の、日当たりの良いベンチで、煙草(しかもPeace!)をふかしながら、彼がこれまた飄々と、この本を読んでいたのです。
 その姿のあまりに文学部生らしかったこと!文士とは、文学の徒のあるべき姿はこれだ!と僕はそのとき勝手に思ったのでした。
 裸になって走り回ったり、あまり大きな声では言えない草に火をつけて吸ったりした悪い先輩と後輩の僕達でしたが、明らかに、彼には、文学の素養があった。大量の文章を咀嚼した上で、悪さをしていた。
 悪さと文学は関係ないじゃないか、と思う向きもありますが、僕にとっては「悪さ」=「文学」なのです。生きることに脆弱な僕は、一つ一つの反社会的行動に反芻的意味を付加していかないと納まりがつかないし、そのためには適切な語彙の力、物語の力、本質の力を借りないといけないのです。
 だったら反社会的行動しなきゃいいじゃないか、ともなりますが、そうなると今度は自分の中の語彙が、物語が、本質が、自由に行動できないために消化不良をおこすのです。なので、これからも反社会的に行動するのです。陰毛に火をつけたり。
 そんなわけで、僕は、今でも彼に憧れるのです。そしてそれを思い出しながら、この本を読むのです。
 そして全く本の紹介になってないのです。

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