叱る

Sullen
 叱るという行為は本当に難しい。
 僕の世代だと、子供が小学生~中学生になっていたり、職場で部下が増えている方も多いので、もっと早くにこの経験をしている人も居ると思う。ただ、僕に限っては、あまり人を叱る立場にならずにこの年まで来てしまった。多分、こういう立場から逃げていたのだと振り返る。うまくその立場をかわしながら、社会に居る大人としての責任を取らないように立ち回ってきたのだと思う。
 そんな僕でも、最近、仕事の上で人を叱らなければいけなくなった。
 どうしても僕からその人の気の緩みを伝え、このままじゃいけないぞ、どうするんだ、という事を伝え、もっとしっかりしろ、という事を伝えなければならなくなった。伝えるタイミングもすごく迷ったし、伝え方もいろいろシミュレーションした。というか正直、気が重かった。
 でも、叱るというのは僕の感情で行うことではない。あくまでも、その人に気づかせ、律するきっかけを与える行為なのだ。それが業務上で良い結果につながれば幸いだし、その人にとっても何か生き易く、幸せになる機会になれば僕にとってもこれ以上嬉しいことはない。
 むしろ、こちら側に迷惑がかかったから叱る、とか感情的に嫌だから叱る、という訳にはいかない。それなら排除するか改善策を実行すればいいだけなのだから。
 だからこそ、心を鬼にして、厳しい顔をしなければならない訳で。
 ああ、僕を叱ってくれた人たちも、こういう気持ちだったんだろうなぁ、と内省する気持ちも沸いてくる。
この立場になって初めてわかる親心。いやまだ子供いないんだけどさ。僕をいろいろ叱ってくれた皆さんの想いが、痛いように刺さってきました。
 両親はもちろん、yaguchiさん、ogawaさん、hiroさん、niwaさん、tokoさん、その他お世話になった方々・・・走馬灯のように思い出されます。って、僕はまだ死にませんが。
 実際に叱ってみてわかること。
 本当に心から思ってないと、言葉にならないし、その人に刺さるものにならないのですね。
 どもってても、片言でもいいから、ちゃんと相手に対して誠実に叱らないといけない。今回、僕がそれをできていたかどうかは解らないけれど。伝わってなければ、僕の責任でもう一度伝えなければいけない。
 これ、相手がかみさんとなると、なかなかこうは行きません。人生を共に歩む人には叱るという行為自体に、内省に含まれてしまうので、純粋に相手を想って叱るという行為ができないのです。社会に出ていて初めて経験できる感情、行為です。無論、子供が居たら、家庭でも絶対に通る道なのでしょうが・・・。
 そろそろ40代も近いというのに、まだまだ大人として経験しておかなければならない事が残されているなぁ、大人にならないといけないなぁ、というのが本日の感想。だれかこんな僕を叱ってください。

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