青年期の最期か、壮年期の中盤か。はたまたタダの中年か。

交渉だったり、現場だったり。とにかく、組織であろうとなかろうと、一人で背負って立たないといけないんだね。うん。
 有難くも、11月6日をもって、生まれてこの方39年、そして結婚してから12年が経ちました。
 本当にこの不注意モノ、無頓着者、不配慮者、常識知らず、根性無し、甲斐性無し、が生きてこれたのはひとえに周りの皆様のお陰と素直に思っています。
 ほんとこの年まで、地面を這いつくばってる状態とはいえ、身を窶さずに生きてこれたのは奇跡だと思ってますし、要所要所で手を差し伸べてくれた方々が居たからに間違いありません。
 39歳。うーむ、あっという間に30代が終わりに近づいているんだなぁ。本当に速かった。
【1】一つの会社に勤め続ける30代だった。
 そんなの当たり前じゃないかと思われるかもしれませんが、20代の間、職を転々とし続けていた僕にとって、一つの会社にずっと在籍しているというのは結構不思議な事であり、感謝すべき事なのであります。30歳でメディアアーク、31歳からこれまでデジタルハリウッド。この2社に在籍させてもらい、今も在職中。ずっとご縁が続いて居る事が本当に有難い事なのです。メディアアークさんは在籍1年でも、いろいろと今までご縁を保ち続けてきました。
 そう、20代の頃に比べて、社会人の世界で長期的に付き合うことができるようになってきたのが30代でした。
 今更なんて低いレベルの話をしてるんだと言われそうですが、僕にとっては同じ会社に2年と居られない性格だったので、これは画期的な事なのです。
 なかなか気遣いが上手くなく、常に本心で本気でしか付き合えない社会性の欠片もない僕ですが、ここまで社会の一員としてやってこれたことがとても有難いです。
【2】病気と闘う30代だった。
 これもまあ、この10年を振り返るに避けて通れない話題です。家族の病気(うつ病をはじめとした精神障害)と闘いまくってきた30代でした。この1年に関しては僕そのものも疲弊して倒れてましたし(今は復帰してモリモリ頑張ってますが)。
 人の心がどこで傷つき、それを癒す為にどれだけの愛情を必要とするのか。そして身寄りがない地で暮らす事の危うさ。いろいろと自分の力量を試される事が多かったですし、そのどれにも応えられない自分が歯がゆい10年間でした。主に経済力ですけどね。やっぱり大家族、大一族を三代養える位の度量が必要です。(そう思うと上記1番と相反して、僕は事業を興さねばならなくなりますが)。
 同時に、ありとあらゆる方々の救いが心にしみる闘病期間でもありました(終わってないけど)。人ってやっぱり一人では生きてないのですね。30代で感じたことは、ホントそれに尽きます。
 自分が何故汲々としないで余裕を持った生活をしなければならないのか、金銭を稼いでなければいけないのか、家族を養ってないといけないのか、いまここで頑張ってないといけないのか。様々な事の理由が生まれてきた10年です。理由があるからこそ強くなったとも言えるし、理由があるからこそ20代程自由でもなくなったともいえます。そのどちらもふくめて、今の僕が居ます。
 そんな30代を過ごしてきて、いよいよ30代の集大成、そして青年期のラスト、もしくは壮年期の山場を迎えます。
 僕がこれからの一年、自分に思う事は「社会人として、大人として、人としての基本に立ち返れ」ということ。社会常識や知識、スキルといった事で人から大分出遅れてしまった僕ですが、あせっても身につかない。本道をしっかりやりなおそう。と。時間を守ったり、掃除をしたり。尊大にならず、謙虚に人に接する事、感謝の心を忘れない事。身近な人から大事にする事。それを改めて重要視していきたいと思ってます。
 そう、特に、ここ数年僕は尊大になってたと実感してます。「これだけ病気で苦しんどるんやからちょっとぐらい楽してもええやろ」「この僕に意見言えるんかコラ」といった心持ちが、どこかに少し会ったような気がします。下手に意固地になっていた、というか、自分の経験則だけで凝り固まっていた、というか。
 そのアタリを少しほぐして、改めて人としての初心者から、一歩一歩積み重ねていきたいと思ってます。
 と、同時に。
 もうすぐ初老を迎えるものとしては無謀かもしれませんが、ぼくはやはり「何者かである自分」になりたいと思っています。簡単に言うと、「名を成すもの」。
 給金をもらって仕事をしてるとき、ふと思ったんです。「あ、仕事ってのは裏方の僕が名をなそうとしないほうが全てが上手く行くんだな」と。まあ、事務方やってる人にとっては当たり前なのかもしれませんが。僕はそれでも「ヤマモトタスク」である事にこだわり続けてきたのです。それがぶつかる事も多かったです。今は、それに気がついて「何者でもない自分」としてサラリーマンを演じる事も大分慣れてきました。
 ですが、それだけで人生を終わる気は全くありません。中年になってお前は何を言ってるんだ、と言われそうですが、それでも僕は「何者か」となり名を成します。それがないと、つまらないじゃないか。
 父親になれるんならいいよ。父親というのは、まごう事なき、「その子の親」という素晴らしい名を成すわけですから。僕だってなりたい。なれるんならそれだけでもう充分なんです。でも、僕にはそれが出来ないのでね。その他のカタチで、この世に何かを残さなければいけないと焦燥感もあるのです。
 そんなことを考えながら、39歳の始めの夜を過ごしてます。
 やっぱり、背負うもの背負って、謙虚に、人生初心者として一歩一歩、名をなすものを目指して、頑張ります。
 ※多少酔っ払っており、悪筆乱文ごめんなさい。

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