HSK受験してきました。

受験会場到着!一橋はいいねえ。
 ちょっと前回の妹の話はおいといて。
 先日は国立市の一橋大学へ。HSKという試験を受けてまいりました。略語を直すと漢語水平考試験(Hanyu Suiping Kaoshi)、そう、中国語の試験でございます。
 僕が何故今中国語の必要に迫られているのか。なんで中国語を勉強してるのか。正直言って僕もわかりません。一年前の自分が、まさか語学を勉強する事になると思ってなかったので。僕は一生涯日本語だけしゃべってればいいと信じていたのですが(因みに僕は英文科卒業です。忘れたい・消え去らせたい過去です)。
 でも、今僕が勤めている職場は中国語が飛び交うインターナショナルな現場。気がつくとそんな場所に放り込まれてしまっている現在、そして「全ては何かのご縁、近づいてきたものは何でも食べてやろう」とする僕の性格も相まって、僕の語学学習はスタートしたのであります。
 外国語を学ぶ必要があるとしても、それがまさか中国語とは。大学時代に受けた第二外国語はフランス語でした。全く持って中国語は初体験です。
 アメリカ人やイギリス人が中国語を学ぼうとしたとき、これは本当に苦しむと思います。僕はiTunesUという世界の大学講義を受けられるサービスを使っており、その中で英語話者に対する中国語講座なんかも少し見てみたのですが、本当にとっつきどころが無い。発音から入るにしても、読み書きから入るにしても、恐ろしいほどの敷居の高さ。意味を受け取るための象形・発音共に全くヒントが無い状況なんですよね。
 それに比べれば日本人のまあいかに楽をさせてもらっている事か。「猫」という漢字を見れば、誰がどう見てもあの動物でしょう。「我」を見たら大概の人は自分の事だとわかるでしょう。「服務員」という漢字を見れば、それとなく意味はつながるじゃないですか。
 今回HSKという試験を受験してみて思った事。この試験、中国政府が発する全世界的な中国語の試験なんですね。即ち、英語話者や仏語話者も受験者として想定してるわけです。
 そんな中で今回僕は一番下の級を受けたんですが、漢字使用者としては「お前舐めてんのか」と思うような問題も多数出てくるわけです。猫の写真が載っていて、その隣に「猫」という漢字が書いてあり、丸かバツかをえらぶような。でも、英語話者からするとこれだって相当勉強しないとわからないことなんですよね。そこのギャップを今回とても自覚しました。
 だからといって合格するわけじゃないんですが。ええ、試験結果は一ヵ月後です。
試験終了!銀杏並樹が綺麗に見える。
 試験終了後は校舎を散歩。そうそう、大学のキャンパスはかくあるべき、お手本のような校庭と校舎群でした。たたずまいは静かで、簡素で、綺麗な。そんな中で僕は大学時代を遊びまくってたわけですが。もう少し勉強してれば今こんな苦労しなくてすんだかもしれない。でもそれがマイライフなのでしかたないのです。
21年前。高校生の頃、こますけ達と共に集合写真を撮った場所。あの頃のメンバーは、今何処で何をしてるんだろう。
 そして、ふと立ち止まった校舎の前。僕はこの校舎に見覚えがありました。
 今からさかのぼる事21年前。まだ高校3年生だった僕は、長期休みを利用して東京に受験合宿をしに来ていました。原宿のオリンピック記念会館に一週間ほど泊り込んで、様々な名門塾の人気講師の授業を受ける、といったものです。
 そこでは受験に向けて勉学に励む、事が重要事項だったはずなのですが、持ち前の人見知りしなさと勉強しなさが相まって、結果的に僕は友達作りに終始しておりました。友達作りというか、一緒に授業受けてると、それとなく仲良くなるんですよね。
 その頃のメンバーとは、今も連絡を取り合ってる仲間が居るくらい、僕にとっては大事な友達となりました。
 で。
 一応受験を目的とした集いで全国から集まった高校生たちな訳です。合宿最終日を終えると、そのまますぐ帰宅するわけも無く、別れを惜しみつつ(?)、せっかくだからと東京の有名大学を見学に廻っていたのです。
 その時に、僕らは友達と一橋大学も見学してたんですね。
 そこで、オノボリサンの僕たちは記念に集合写真を一枚。
 僕にとって彼らとの写真は、大学受験の心の支えになっていました。ええ、その写真は心にしっかり焼きついています。因みに一橋大学は受けてません。
 今回、21年ぶりに一橋大学の校舎を見学。せっかくだからそのとき写真をとった校舎を見に行きました。
 
 うん、何も変わってない。21年前と全く変わらないたたずまいだ。
 そう思いながら、感傷に浸っていました。
 僕の心に刻まれている写真の風景と全く同じ、そのときの校舎が目の前にありました。
 上記の校舎が、それにあたります。
 この校舎の前に揃って立ち並んだ事、僕はしっかり覚えています。うーむ、懐かしい。
 帰宅後、古いアルバムを取り出しました。
 目的はもちろん、その時に撮った写真。
 写真を探して、そのときの写真を見つけたとき
Untitled
 どこだよココ。
 写真は間違いなくこれなのですが、僕の記憶にあった校舎とは全く違っていた模様です。僕の造形把握能力では、「なんとなく先がとんがった空間のある建物」という認識しかしていないようでした。自分の感じた見覚え、あれ、ウソ。デジャブは勝手に作り上げられるものの様です。
 というわけで、人の記憶は全くあてにならないというお話でした。いい話が台無し。

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