新年と老いと

 今年も343/365即ち47/50ほどになってしまいました。早い早すぎる。明けましておめでとうございます。
 今年になってからもう様々な皆様と一緒にお寿司食べたり天ぷら食べたりカラオケBoxで延々と森ガールをdisったり大学同期の新年会で子供たちと戯れたり親類縁者の皆様と会食してちょっとネクタイ締めて長兄っぽいそぶりをしてみたりちょっと仕事してみたりといろんな事をさせていただきました。もう今年満足。一年分楽しんだ。2013年終わってもいい。
 今年になってから人に会う機会が増えました。そしていろいろ考えさせられる機会も増えました。ほんの12日ほどなのに、ここまで約束ゴトの入ってない日がゼロ。必ず誰かと会ってお話をさせてもらってます。いや、本当にここまでアクティブな正月ってこれまでなかなか無かったよ。この年齢になってもまだまだ人恋しいロンリーボーイな僕としては有難い限りです。
 そんな中、ずっと僕が通底して今思っている事があります。
 とてもシンプルな事ですが、「これから、あと何して生きていこうか」ということ。
 いや、ね、これを紐解くといろいろ自分の恥も晒さないといけないのですが、まあこのブログはこれまで14年間僕の恥を晒す為に作られてきたものなので、今更気にしないで書き続けます。
 この問題の根底を簡単に言うと「老化」。
 もう、ね、去年の年末、忘年会連続コンボあたりから自覚し始めたのですが「お腹いっぱい食べると下痢をする」
 そうなんですよ。これまでラーメンと言えば大盛り、丼モノは1.5杯、居酒屋に行けば最後の一つまで食べ尽くして大量消費、という飲食行動が好きで、常に大食漢を気取ってきました。沢山食べられることが人としてのパワーの源である。僕の超人強度は1000万パワー!強大なパワーで圧倒する!という事を基礎通念として考えてきた僕にとって、消化できる量、即ち食事できる量が減っていく、というのは僕自身の存在の否定なのです。僕の消化器たちも、ついに消費量を下げはじめ、身体としての成長ピークを越えて、下降線に入ってきました。沢山食べて、沢山寝て、沢山いたす、という脂ぎったパワフルな肉食エロ中年を突き進もうと思ってた僕にとって、人生プランを改めて考え直さないといけない大事件なのです。
 これ、実際に経験してみると、とても恐怖なんですよ。ああ、ついに僕の身体にも「老い」が忍び寄ってきた、ということを経験する初の事例です。頭がはげてるのは老化ではなく生まれつきです。
 いやもちろん、僕以上の年配の方はそれこそ、みんな経験している事だと思うのですが、まさか「万年子供・万年児童」を自称する僕もそうなるという日が来る事は全く想定してなかったのです。
 身体は、確実に、老いていく。
 これからはもっともっと食が細くなり、「あー、お腹一杯!」の、あの満足感を得る事が難しくなっていく。
 多分、これは睡眠や性欲に関してもそうなるだろうな、という事も想像がつく訳ですよ。若い頃のような充実した睡眠が取れなくなる、満足いくような性交渉ができなくなる、そういう事もリアルに直近の未来だと感じる訳ですよ。皇潤やバイアグラが一斉にFacebookの宣伝欄に並ぶ図が想像できるわけです。
 いや、ね。でもその反面、正直、プリミティブな意味では、やりたい事について、満足もしているんですよ。
 北陸生まれ北陸育ち、美味しいモノはこれまで十分食べさせてもらってきたと思うし、(昨年に関して言えば)もう眠りたいだけ眠って、満足するほどの休養も与えられました。性欲について言えば・・・うん、ここは両親も同僚も上司も友人も様々な人が見てるブログなのであまりリアルな言動は憚られるかもしれないけど、一番欲求の強かった年代に、結構満足する人生を歩ませてもらいました。現在については言及を避けさせていただきます。
 もちろんそういう根源的欲求はこれからも、恒常的に「食べたい寝たいしたい」という気持ちはエンドレスにさざ波の如く繰り返されるものだと思います。でも、一番身体的に鋭敏で気力が充実している間に、それなりに満足のいく事をさせてもらえた人生かな、と、未だ40前ではありますが、感じているわけなのです。このまま身体能力が下降線に入っても、まあそれなりに満足かな、と。
 そこで、初っ端のお話「これから、あと何して生きていこうか」に立ち戻ります。
 プリミティブな欲求はある程度満足する前半時代を送ってきた。そして、これからはどんどん肉体的にも頭脳的にも年老いていく。じゃあ、これから何を「してみたい」「成長したい」と考えながら生きるべきなのか。
 もちろん自分の欲求を果たす為だけに生きてるわけじゃない。ノブレスオブリージュ。この日本で生を受けてそれなりに生活させてもらっている身としては、何か社会に貢献せねば、何かを成し遂げねば、とは思うわけでありますよ。こんなしょぼい身なりではありますが。
 もちろん、仕事をする中でどのようなライフプランを描くのか、も、とても大事ではありますが、もっと根底的に。僕はプリミティブな欲求の上に、何をするために生きているのか。オトナとしてとっても当たり前の人生指標ですが、ココに来て改めて考え直してしまったのです。

 この前、一緒に天ぷらを食べたK間さん。
 僕らがこれまで培ってきた、重ねてきた経験値について考える事ができました。

 この前、一緒にお寿司を食べたT柴さん。
 これからの僕らのライフプランについてとてもじっくり話し合う事ができました。

 実家に戻って参加した新年会。
 僕が属してる環境、支えてくれている家族、一族について、演じなければいけない僕の役割について、その立場に立って身を正す事ができました。

 大学同期生たちと集まって開催した新年会。
 身寄りのないこの関東の地で、長年の信頼を築き上げてきて、今や友人としてだけでなく、ビジネス展開的な意味でも冠婚葬祭的な意味でも僕の人生に重要なポジションとなっている仲間たちが数多く居る事に勇気付けられました。
 そう、これからは自分の身体が下降線に入っていく事を計算に入れたまま、成長曲線を描いていかないといけない。そしてそのための環境を作り、戦っていかないといけない。 皆様といろいろお会いしてお話しする中で、そんなことを考えていたのです。
 老い、は、はっきり言って恐怖です。特に最近はじめて身近に感じたものとしては。
 でも、同時に、これまでの経験もあれば、これからを明るく照らしてくれる仲間もいる。彼ら彼女らと、僕は何をしていくべきなのか。少しながらも、この13日間、僕の未来は古びた肉体を抱えたままでも次に進めそうな気がしています。
 今年も、よろしくお願いいたします。

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