ベーシックに、大切なもの

将棋。
モノを考える基礎能力は、体力だと思う。
体力が無いと、結論を急いでしまう。とにかく意見を決めてしまいたい、概要でいいから納得したい、決着をしたくて仕方なくなるのだ。
体力があれば、急がない。どうしてそうなるのか、ロジカルに、また時にはエモーショナルに、自分の意見をこわばらせずに、真実を掘り下げて追究することができる。これは潜水のようなものだ。息を止めての我慢に近い。どこまで、細部の疑問を残さずに考え続けられるか。それを出来るか否かが体力にかかっている。
また、体力という曖昧な指標の物理的表徴が、筋肉だと考える。筋肉は、その人の瞬時の動作をコントロールし、また長期的な行動も決定付ける。筋肉がきちんとバランスよくついていること。筋肉は考える仕事、考える趣味をする上で最もベーシックなアイテムだ。
僕には、筋肉が無い。若い頃、あまり重要視してこなかったのもあるし、また根本的に怠惰な性格もあるだろう。その分、短絡的な思考をしてきたし、自分の意見に固執する事も多かった。
39歳。ここにきて、老化も含めて更に体力・筋肉が落ちていく日々を実感し、改めてものの考え方、日々の動作も、どんどん緩慢になっていると感じている。
感じたからには、行動しなければいけない。いや、「しなければいけない」も早急な意見だ。行動、したほうがいい、行動したほうが、楽しくなりそうだ。
軽く身体を動かして、ほぐすだけでもかなり頭はスッキリする。これは誰でも経験している事だと思う。そして日々、これを続けていく事で、改めてロジカルな思考もできるようになると信じている。生まれてこの方ロジカルな思考なんてやったことないけど。
筋トレを久々に行い、その後で将棋を打ったら、これまで勝てなかった相手に勝てた、というただそれだけから、こんな事を考えました。
いや、でも、今回勝ってみて改めて思うのは、「きちんと考えて、抜けを作らず、先を見越して、何故こう打つのかを説明できるように打てば、それなりの結果がでてくるものだ」という当たり前の事に気づく勝利だったんです。そしてそれがどうしてココまで出来なくなっているものか。
ほとんど無いに等しい自分の知性を取り戻すためにも、筋トレ、必要です。
あ、後、見栄えという意味でもね。
人間、身なりで評価が変わりますから。
メタボなおっさんより、シュッとしたおっさんの方が、存分にマシだろう。
同性からも異性からも、モテないよりは、モテる方がいい。
そう思ったら筋肉つけるだけで自分の人生一変する気がしてきた。よし、頑張ろうかね。モテるために。
モチベーションの源泉は、いつもそこにある。

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