快楽主義の哲学

社会にでて15年近く。この年になって、まだこういう書に感銘を受けているところが僕の駄目人間たる所以だろう。でも好きなものは好きなんだからしょうがない。僕はやはり文明的、経済的に生きるより、文化的、原始的に生きることが好きなんだ。で、そんな事はここに書いて宣言しててもしょうがないのだ。そのまま生きて行動するのみ。村上龍の「全ての男は消耗品である」を、圧倒的な知性と知識、信念を持って構造化したような面持ち。この書の前では、「全ての~」も児戯のように見えてしまう。(とはいえ、僕は村上龍も好きだけど)
感想を書くより、見出しを並べてその世界に没入して欲しい。
第一章 幸福より、快楽を。
・人生には、目的なんかない
・幸福は快楽ではない
・文明の発達は、人間を満足させない
・「快楽原則」の復活を
・幸福は、この世に存在しない
第二章 快楽を拒む、けちくさい思想
・博愛主義は、うその思想である
・健全な精神こそ、不健全である
・「おのれ自身を知れ。」とは愚の骨頂
・動物的に生きること
第三章 快楽主義とは、何か
・死の恐怖の克服
・退屈地獄からの脱出
・隠者の思想
・政治につばを吐きかけろ
・快楽主義の落とし穴
・好色ということ
・人工楽園と酒池肉林
・東洋的快楽主義と西洋的快楽主義
第四章 性的快楽の研究
・量より質を
・最高のオルガスムを
・情死の美学
・乱交の理想郷
・性感帯の拡大
・快楽主義は、ヒューマニズムを否定する
第5章 快楽主義の巨人たち
最初の自由人──樽の中のディオゲネス
・酔生夢死の快楽──酒の詩人 李白
・ペンは剣よりも強し──毒舌家 アレティノ
・生きる技術の名人──行動家 カザノヴァ
・リベルタンの放蕩──サドと性の実験
・調和型の人間──ゲーテと恋愛文学
・遍食動物の理想──サヴァランと美食家たち
・血と太陽の崇拝者──反逆児 ワイルド
・ユーモアは快楽の源泉──奇人 ジャリの人生
・肉体が夢をみる──コクトーとアへン
第6章 あなたも、快楽主義者になれる
・わたしの考える、快楽主義者の現代的理想像
・誘惑を恐れないこと
・一匹オオカミも辞さぬこと
・誤解を恐れないこと
・精神の貴族たること
・本能のおもむくままに行動すること
・「労働」を遊ぶこと
・レジャーの幻想に目をくらまされないこと
・結び──快楽は発見である
もう、これだけで僕の言いたいことは終わってしまった。プリミティブ!何度でも言うが、やはり僕は、文明的でなく、原始的かつ文化的に生きていきたいし、幸福より快楽を基準に日々を過ごしたい。本書は僕の思っていた事を流暢な言葉にしてくれた。ただその分、新しい発見や視座の広がりは薄く「自己の正当化」に終始してしまった事も否めない。それは全く澁澤龍彦の責任ではないのだけど。精神の貴族たれ!
快楽主義の哲学

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