ぼく自身あるいは論語と算盤


一からやり直していき、成果を出していこう。何のためか。常に疑いながら。
士魂商才「富をなす根源は何かといえば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することはできぬ。ここにおいて論語と算盤という懸け離れたものを一致せしめることが、今日の緊要の務めと自分は考えている」
「武士道は、啻(ただ)に儒者とか武士とかいう側の人々においてのみ行なわるるものではなく、文明国における商工業者の、拠りてもって立つべき道も、ここに存在することと考える。かの泰西の商工業者が、互いに個人間の約束を尊重し、仮令、その間に損益はあるとしても、一度約束した以上は、必ずこれを履行して前約に背反せぬということは、徳義心の鞏固(きょうこ)なる正義廉直の観念の発動に外ならぬのである」
-論語と算盤 渋沢栄一
「語るべきことを語り過ぎたため、語るべきではないことについては充分に語らなかったからだ。だが結局すべては解決がつく。ひとつ、存在してゆくことの難しさを除いては。これは決して解決がつくものではない。」
「一つ仕事が済むとぼくは逃げ出す。ぼくは新天地を求める。 習慣からくる弛緩を恐れる。ぼくは、自分が技術や経験から自由でありたい ―つまり不器用でありたいと思う。 それは、奇人、叛逆者、曲芸師、空想家であることなのだ。そして賛辞としてはただ一つ、魔術師。」
-ぼく自身あるいは困難な存在 ジャン・コクトー

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