子供に夢を託すな

子供に夢をたくすな
思うこと3つほど。
1・子供に夢を託すのは健全じゃないと思う。
いや、未来を応援する悪い事じゃないけど、自分のやりたい事とかなりたい事とかは幾つになっても自分で達成する事で、誰かに委託するものじゃないと思います。子供といえど、他人だし、別人格だし、その未来は個々人のものです。子供に対してできるのは、選択の枠を広げ、また実例を紹介してあげる事であり、チョイスじゃない。
その意味でこのCMについて、メッセージの全否定はしない。
2・でもサラリーマンは否定しない。
自分の生き方がつまらないと思うなら、それは被雇用者の立場や、自分の会社に理由が原因である場合は少ないと思います(苦しい、辛い、だと話は別だけど)。そもそも自分の生き方のうちで、仕事が占める割合なんて大したものじゃない(僕がおかしいのか?)。僕自身、仕事は全力で取り組むし、誇りだってあるけれど、行き過ぎて自分のアイデンティティを仕事と同一化することは、むしろ気持ち悪ささえ感じています。ゆえに、転職したってフリーになったって、生き方も楽しさも、変わらないと思います。サラリーマンでもバランス保って誇らしく楽しげな人も居るし、その逆も沢山見てます。何か違和感を覚えるなら、今すぐ何か楽しげになることをやればいい。誰もその行動を止めることは出来ないし(国も法律も)、自分の幸福のための行動は、仕事同様にプライオリティは高い。(その結果として、仕事が100%アイデンティティになるのなら、それはそれで悪くない)
その意味で、疲れたサラリーマンを演出して画一的に表現することには、違和感を覚えます。サラリーマン、楽しいよ。
3・で、このCMによってリクルートが受ける利益は何?
転職させたいのだとしたら、ちょっとフォーカスがぼやけてると思います。
疲れた毎日に諦めないで、子供に夢を託さないで、自分自身が挑戦しようよ、という意図はわかるけど、そこで次の選択肢としてリクルートのサービスを使って別の会社に移る、という誘導には説得力が足りない気がします。特に「夢」なんてワードを使ったら、それこそ世間一般イメージでは被雇用者である事自体の否定とも受け取られず、転職=リクルートの利益、からも外れる気がします。

今の世の中「家庭を支えて、生活するために仕方なく今の会社に居る人たち」ばかりじゃない。会社の名や保護に依らず、生きていける人は存外多いものです。(、もちろん、雇用環境における庇護、恩恵も理解したうえで)

そもそも、サラリーマン対その他という二項対立のチョイスさえ、もう古い。複合的に、爽やかに、そしてしたたかに、楽しく生きる方法がたくさんある時代だと感じています。

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