満足の文化/ JKガルブレイス

組織に勤めているときは、放言しているようでやっぱりどこかおもねっている部分がありました。
こういう自分の好きな文章の引用さえ、掲載するのをためらっていました。
でも、僕は・・・自分の言いたいことを言いたいだけ言うために、この道を選んだはずです。
自分の言葉を重ねることが第一ではありますが、それはそれとして、感銘を受けた文章の引用です。
「満足の文化/ JKガルブレイス」より。
大組織の経営者がまず関心を持つのは、自己の安全、特権、役得、権力を確保することであり、それらを侵害するもの-これまでに既に述べた破壊的現象-を撃退することである。また組織の成員は、総じて、官僚的な安定指向と快適指向に傾きがちである。これこそが、われわれが目の当たりにしている大組織の特徴なのである。
しかし、既成の経済学教育や経済論議では、そのことが理解されておらず、市場は半ば宗教的崇拝の対象になっている。つまり、市場経済においては、欲求や必要性に関する指示は、必ず消費者から生産者へと向かうものとされている。その場合、消費者とはある意味で生産者の道具であり、大企業の奉仕対象は公共も区的でなく大企業自身であるという事実が隠蔽されるのである。
組織の成功のための協同努力に大して抵抗したり異議を唱えたりするのは好ましくない。既定の方針に疑問を抱く人物は、それがいかに正当な疑問であれ、組織の目標達成に必要な基本条件に反していることになる。その基本条件とは、共通目標を受け入れ、それに奉仕すること-一般的な言い方をすれば、良いチームプレーやになること-である。それが個々人の安楽にもつながる道であることは、いうまでもない。トルストイも言ったことだが、多数者の側に身を置くことほど楽なことはない。大脳作用による思考と、そこから生じる意見や行為ほど、仕事上の対人関係を損ない、当初の計画を覆し、時には自分自身に苦痛を与えるものはない。また、これほど昇給と出世の見込みを損なうものはない。「やつは頭はいいが、協力的でない」というわけである。
仕事と言う語は、人によっては無味乾燥で、苦痛に満ちて品位のないものを指す。同時に、人によっては楽しく、社会的な評価が高く経済的な報酬も多いものを指す。このことほど、現代の幻想ないしペテンといえるものはない、楽しく、報酬もよい仕事に従事している人は、いかに自分の仕事が「激務」であるかを強調して、自分たちが恵まれた階級であるという事実を隠蔽しようとする。
–この文章群に対して、僕はどう思っているのか。何を意図して引用しているのか。
それは書かないんですね。何も意図してないときもあるし。
少なくとも、ポジショントークではないし、自分を有利にするための言葉でもなければ、恨み言でもないのさ。好き放題、言いたいだけ、言いたいのだ。

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