この世では富者の愚言が金言としてまかり通る
-ガルブレイス「満足の文化」より
それを理解したうえで、「自分の言葉を金言として受け入れてもらいたいがため富者=経済的成功者になる」というのは正道なのだろうか?
成功者が「正しい」わけじゃない。成功者は成功者として、その功績を賛される価値はあるけれど(賛を必要としないのが本当の「成功」だが)。
成功云々以前に生まれついての富者なんてのも居てむしろ富者は代々富者が多いから成功と富者との関係性等々言い出すと長いのでまた今度。
拝聴する側にも発する側にも、富者・貧者に関わらず金言愚言を見極められる知性と品性が求められる。
同時に、品性を身につけるよりも富者になるほうがよっぽど簡単なので、ぱっぱと富者っちゃって、金言を見極められる社会になる前に「僕は富者だから僕の言うことは金言でありシモジモのみんなはちゃんと僕の言うことを聞いて褒め称えてね。おほん」的な扱いされたほうが楽なんだよね。かくして歴史は富者=経済的勝者が築いていく。勝者には何もやるな。ノブレスオブリージュ。