資本主義の限界が近づいている

猫踏んじゃったを弾けるピアニストを20人呼んでもショパンは弾けない。
ショパンが弾けるピアニストを1人呼んでくればいいのだ。

さて、人件費、人月、工数、単価とは一体なんだろう。
労働集約型ではない世界が始まってる、というかむしろ渦の真ん中だよね。

こう書くと「お前はピアニストになったつもりか」と言うヒトが出てくるのだけど「その気概ある方が労働力として扱われるより面白いよ。お前もやりなよ。」とイケダハヤト師ばりに返すのだ。いや、ツッパリや見栄じゃなく、心底そう思う。

因みにピアノはエリーゼのためにレベルです。
いつかデビットベノワやラスフリーマンのように弾きたいと願いながら。
すみませんこっちは見栄張りました。本当はキラキラ星レベルです。

【再度引用】
-画家や作家と言うのは小商品生産者だから、労働力が商品化されている世界の住人ではないんです。看板屋さんやプログラマーさん(原文ママ)は労働力が商品化されている世界に居て搾取されているから、カテゴリーが違うんですよ。(今生きる資本論/佐藤優)1197500853599767

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