存在の耐えられない格差

多分、この手の記事からは「そんな旧時代のメディアを使わせるほうがばかげてるのだ」「老害のお説教が始まった」という記事非難が出ると思う。ホンネでは僕も賛成。

でもね。
僕はこういう記事を見ると「社会常識を身につけたら(身につける努力をするフリをしたら)ええやん」と思うわけです。老人に可愛がってもらうこと、昔の常識に凝り固まった人に溜飲を下げてもらって愛されること、これって語学だITだなんだよりも、結構重要なスキルだと思うのですよ。

旧時代の常識で、今や非合理なことも沢山ある(Faxがどうかはさておき)。でも、それは、20世紀の老石頭を、たらしこんで良い様に転がすチャンスにすれば良いと思うのです。心の中で舌を出しながらね。いや、こういうことに拘る人って、素直に自分達の常識を受け入れようとする姿勢見せるだけでデレデレするから。

いや、ホンネ、それで(若い世代が)古い社会常識を考えるチャンスになれば、若い世代も年上の世代も、幸せじゃないか。お互いにそっぽ向いて突っぱねるより。

こんなことを公言するから僕は可愛がられないまま中年になったのだ。…いや、嘘。シニカルで知性ある先輩方からは、このスタンスすらも見抜いた上で超可愛がってもらって愛されてきました。若気の「斜に構え」を理解したうえでうまく転がしてくれる上司というのも居るのです。前提ひっくり返しますが、20世紀人でも21世紀人でも、懐深く知性溢れる仕事仲間というのは居るものです。当然、部下にもそうやって「若気のシニカルなつっぱり」を可愛がってこっちが転がしていかないといけない。すなわちどっちも転がしながら、転がされる。それでいいのです。

愛されて40年。ありがとう。

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