Long train running’

 

「才能や知恵を結集しなければ良い作品、売れる作品を作ることはできない」
「すべてのコンテンツはゼロからオールハンドメイドで作り上げなければいけない」
という真実と向き合うと、商業主義は不都合なのです。

あるテンプレートに乗せて、Aという俳優、Bという脚本、Cという広告があれば幾ら売上が見込める、という「誰でもできる掛け算」を行ってその通りの結果になるものでないと、困るのです。 ・事例としてこれに似たものを作ってくれませんか
・10種類ほどのパターンを作って安く作る仕組みにしませんか
・一つ一つのパーツを作っておいて、それを組み合わせる仕組みを販売しませんか

僕のところにも、4年間の間で(嘘じゃなく)40を超える数のこういう依頼があった。

いや、よく分かるのよ。そうじゃないと継続的に給料も税金も定額を払えないし、組織は続かないの。
どっちを取るか。ゴーイングコンサーンを基調に組織永続性を社会に求めるか、渾身の力作を一本作って堪能できる社会を作るか。

もうテンプレートに乗っけて販売する方向じゃ無く、組織を解体する方向に進んだら良いのに、と思うんだけど、国家や組織論的にはそんな乱暴は受け入れられないのよね。

とはいえ、ハリウッドはある意味高いレベルでの脚本や演出テンプレートを作った。それは紛れもない事実。
テンプレート化を行って「凡人でもできる掛け算」を行って、コンテンツをビジネスにすることもできるじゃないか、と言えなくもない。
でもそこには数百億ドル規模莫大な予算投下と実験と、十分な訓練と才能淘汰が行われた後生き残った職人たちで出来上がっている。
やるなら徹底的に、そこまでやるのもいいと思うのです。

それは、良いテンプレートを「才能や知恵を結集して」作ったという一段下層レイヤーから組み立てたことが偉大なんだと思うのよね。

映画は、魅力的なビジネスだし、夢と財と名誉をすべて生み出せるからこそ、そこに光り輝くものがあるというのもまた事実。

でもそれは「テンプレートの掛け算」ではもう、無理なんだと思う。

与えられたテンプレートで作品を作って、もらえる名誉なんてあるのだろうか。
与えられた枠で作ったものに夢はあるのだろうか。

誰にも名誉も無く夢もない上に、財も計算立たなくなったら、一体誰が幸せになるんだろう。

だからもう、資本主義とクリエイティブは、決別と言わないまでも、住み分けをしないといけないと思ってるし、僕がこの仕事で組織化をまだまだ考えたくない理由もそこにある。

量産主義も必要だよ。組織的制作の時代も必要だったんだよ。1980~00と、飽食なコンテンツの時代を超えたからこそ、今があると思うんだよ。

それはそうなんだけどね…商業主義の視点でクリエイティブを行うのは、今の時代にはそぐわない。断言する。
(いや、そぐわないという言葉が弱ければ、「それでは財は成し得ない&夢も名誉も手に入らない、と言いかえよう)

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