「BYNDロス」という言葉がある。

僕が講師を努めさせてもらっている動画の学校「BYND」は、わずか1ヶ月という短期間で入学から卒業までを駆け抜けるのだが、その濃密さたるや尋常ではないため、様々な受講生がその1ヶ月後から「来週から授業がない」という状態に対して精神的虚無を感じてしまうことに由来するらしい。民明書房刊。

今日もまた、1月から開始したクラスの卒業式。通称ワークスプレビュー。今回初めての場所「都内某所」から配信をお送りしました。(どこからお送りしたかは企業秘密となっております)

素晴らしい作品群。配信における機材セッティングから照明、リハーサルを経ての台本構成作りまで皆スタッフが綿密に作り上げてくれる。僕はそれをニコニコと眺めて喜ぶだけの役割だ。こんな贅沢な人生を送っていいものか。

今日もまた、本当に楽しかった。素晴らしかった。

本日をもって、20人近い方々が、モーションやカメラ、撮影を含む映像技術…というより映像演出を学んで卒業していく。

僕とスタッフは、BYNDロスを経験する間も無く、明日から次のクラスの準備に取り掛かる。というか僕は今日も明日も明後日もBYND卒業生向け授業だ。

でも、いつの日か、僕もこの場所を卒業する日がくるのだろうと、心のどこかでは思っています。5年後か10年後か…。

いや、決して辞めたいわけではないのです。気持ちはその逆でずっとここで楽しみ続けていたい。ただ、ずっとこの「幸せなポジション」を独占することは組織運営としても健全ではないし、僕は僕で生物としてどんどん年老いていく。BYNDは今後永劫に続くように、僕がしっかり協力していくとともに、僕はいつかこの場所を遠くから見つめていられる環境を作り、心穏やかに去り行ける心理状態になるまで達観しなければならない。

その時に、僕はどれほどのBYNDロスを感じるのだろうか。

年に8回の卒業式にて受講生を見送って8年。この「宴」もしくは「祭」を味わっては次をスタートするという回転から抜けた時、僕は何を思うのだろうか。

やっぱり、嫌だ。

それを感じたくないし、ずっとずっと、僕は皆さんの作品を味わい続けたいから、僕は歳を取らずに、ここに居続けるのです。

人間を辞めて神出鬼没の変態紳士に生まれ変わったのです。

今日のお酒も最高でした。

本当に皆さまありがとう。

僕の人生の中で、こんな幸せな時間を体験させてくれてありがとう。

そしてそのためには、僕は少し「講師」の姿以外の部分「もっともっと遊びまくる映像作家」であるところを強化しないいけない。だって僕が遊んでないのに、遊び方を体現できるわけがない。

僕らは「プロ」を育てる学校ではない。「お金稼ぎ」をさせる学校じゃない。もっともっと根源的に「動画、そして映像という面白いメディアを使って、あなたに見えている素敵な世界を私に見せてほしい。それでコミュニケーションが取れる世界は宴のようなものです」というマインド、その先として「この武器を手に入れることで、経済的自由を得ることができると信じているし、僕は確実にそう生きているぞ」ということを伝えていきたいと思っている。

そのためにも、遊ばなきゃ。もっともっと遊ばなきゃ。

なので僕が遊んでる間は社会保険と税金は一回大目に見て(こればっかり言ってる)。でも僕遊ばせといたらいい仕事するよ(真顔)。

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