2013-2014


大晦日。今年の決済日です。
今年一年を振りかえって・・・。
まず開口一番「今年は中期計画の一年目、毎日の振り返りこそ怠らずとも、一年の振り返りなどない!」ということ。
まーたひねくれた事を言い出した、と思われそうですが、そうです。今年については一年という区切りは意味を成さないつもりで生きてきたのです。
Links to 今年の抱負
【以下、2013年1月の日記・一部抜粋】
あまり抱負や目標、というものを立てること自体が得意じゃないし、また好きじゃない。それは、ある「目標」に向かって何か行動を起こす、ということに不向きな事を意味する。
(中略)
僕にとって大事なのは、日々を安息に生きること。そして義理とご縁を大事にする事。そしたら、世の中の流れ、潮流が、きっと僕をあるべき流れに乗せてくれると信じているのです。自分で流れに逆らって泳いだりする事はしないし、流れに逆流した目標を立てたりすることもしない。あくまで、どこに行くかはお天道様が決めることだと思っています。
 そんなことをベースにして。通底認識とした上で。
 そんな僕の、今年の抱負「チャレンジしない。飛躍しない。」です。
(中略)
 そう、僕は3カ年計画で「チャレンジと飛躍」を考えています。その中での今年は1年目。そこでは、芋虫のように栄養を溜め込み、チャレンジの方向性、方針性を決める時期でもあるのです。
 チャレンジしない、と言っていても、今年も既に5つの試験を受ける事を決めていますし、友人と大きな挑戦を踏み出す可能性も持っています。一般的に見たら充分なチャレンジと受け取られるかもしれませんが、僕にとってこれらは「飛躍のための仮説と検証」を繰り返す期間だと考えています。
(中略)
 今年は、しっかり根を掘る年。30代の最後にあせらない。40代をしっかり迎えるにあたって、僕は今年を落ち着いてすごそうと思っています。皆様、よろしくお願いいたします。
【抜粋終わり】
そりゃね、今年一年、いろいろありました。それこそ、この10年の中でもっとも荒波が大きかった年と言ってもおかしくないくらいに。40代に突入したり引越ししたり会社が変わったりカツラかぶったり取ったり・・・。でも、それにブレている暇などないのです。
自分の飛躍に向けての3カ年計画、1年目はどうだったのか。きちんと、足場を固める事ができたのか。飛躍に向けての踏ん張りはできたのか?
・・・
最高とはいえませんが、及第点はつけられたかな、と思います。
中国語の学びについてもHSK4級合格、(5級及びTECCは結果待ち)、映像やWebなどのクリエイティブ活動も、結果として18本の作品を生み出すに落ち着きました。
また、予定外の成果として、諦めていた大人的品格、社会的常識についても、ご縁あり改めて全うな人間になれる機会をいただけました。これは僥倖です。まだまだ、常識人とさせてもらえるチャンスがあったんだなぁ、と思います。
また、1月に書いた即物的な意味での目標、ほしいもの一覧表からは・・・
Links to ほしいもの
◆目標2013
・HSK 6級
 >残念ながら6級受験まで行かず。でも5級まで進めたのは充分とも言えます。
・62kg≧体重
 >こちらも残念ながら体重が減る事はなく。70kgの壁が未だ越えられません。
・けんかやま今年も曳く
 >曳きました!やっぱり祭りは最高です。
・来年の試験に向けての準備
 >ここ、あまり準備できてません。再計画が必要です。
・3本
 >1本、でフィニッシュです。これ、何かといえば脚本の事でした。来年はまだまだ書きます。
・片足出しての3人立 &
・でももう一方の足でもステップアップ

 >片足どころか本軸のところか6月にひっくり返ったので大幅に予定変更をしましたが、それでもまだまだ複数活動と多数のステップアップは諦めません。これは、今後の世の中を生きる人間として、絶対にはずせない「未来活動」だと思っています。
・平穏無事な生活
 >これまでに比べると、とても平穏になったと思います。
・アレ
 >ああ、アレね。うん、アレだよ。
◆ほしいもの2013
・ブルワーカー
 >今amazonで注文しました。
・ウィッグ
 >大好評。カツラがこんなにみんなに評価いただけると思いませんでした。
・TrapcodeParticularと使える腕
 >結局TP使う暇なし。来年に持ち越そう。
・Electribe
 >買いました。で、妹に渡しました。
・XD-B7300
 >買いました。今も使いまくってます。
・自転車
 >買いました。生活に必須です。もう一台ほしい。
・AKAI MCP1000
 >うーん、これは途中でほしいモノから外れてしまったな。まあ、良いです。
・アレ
 >ああ、アレね。うん、アレだよ。
そんなこんなで、2013年、ありがとうございました。
この後は、静かに過ごします。そして、2014年、来年の抱負は後で書くとしても、3カ年計画の2年目「地力を更に向上しつつ、飛躍のタイミングをいつでも睨める状況と環境を作ること」が目標です。
2013年は「G.T(大航海)」がテーマでしたが、来年は「Broadway Boogie Woogie」です。
理知的に且つ、エモーショナルに活動の幅を大きくして参ります。

創る事は呼吸をするようなもの。そして会話のようなもの。

先日、盟友にして師匠から「ちょっと今度の映像、ワンシーン手伝ってくれない?」と編集の依頼が深夜に飛び込んで来た。
僕は基本的にAll Welcome。予算も納期も聞かずに即決する事の方が多い。ただ、尊敬する人から、依頼をもらえること自体が嬉しいのだ。とはいえ、最近AfterEffectsにも触ってなかったから、ちょっと自信なかったけどね。
今回は、絵コンテとLineだけで指示だしをして、盟友(兼・本件のDirector)と一言も会話をしないで意思疎通を図るという無謀な試みもやってみた。
22時に引き受けて、仕上げは5時。
本当なら、こんな怖い引き受け方はしない。何度も修羅場を一緒にくぐってる仲間とだからこそ出来るモノヅクリ。
お酒を飲んだり、博打を打ったりするよりも、僕はコレが楽しいのですよ。仲間と一緒に作り上げる事が。
今日、僕が手伝ったシーンを含めた、全体の映像が届いて、また嬉しくなった。
阿吽の呼吸、とまで言えるようになったかどうか解らないけど、僕は彼とタッグチームとして、機能できているんじゃないかと錯覚しそうになる。
実際には、技術的にまだまだなんだけどね。
今回、また3フレームと4フレームの違いに大いに悩まされた。
1フレームの違いがわかるほど僕は細かくなく、また映像を未だ体得できていないのだけど。
3フレームでの動きが4フレームでの動きと違って圧倒的に気持ちよさに繋がる事がある。(逆もまた然り)
何度も何度も繰り返し動きを見ながら、フレームを少しづつ変えながら、気持ちよさのベストを求めつづけました。

その盟友。この8年、いろんな出逢いがあったけど、その中でも間違いなく五指に入る腐れ縁、もとい、四次元殺法コンビ。このコンビ、時空と次元ならぬ、予算と納期を自由自在に操る事が出来るのですよ。

青年期の最期か、壮年期の中盤か。はたまたタダの中年か。

交渉だったり、現場だったり。とにかく、組織であろうとなかろうと、一人で背負って立たないといけないんだね。うん。
 有難くも、11月6日をもって、生まれてこの方39年、そして結婚してから12年が経ちました。
 本当にこの不注意モノ、無頓着者、不配慮者、常識知らず、根性無し、甲斐性無し、が生きてこれたのはひとえに周りの皆様のお陰と素直に思っています。
 ほんとこの年まで、地面を這いつくばってる状態とはいえ、身を窶さずに生きてこれたのは奇跡だと思ってますし、要所要所で手を差し伸べてくれた方々が居たからに間違いありません。
 39歳。うーむ、あっという間に30代が終わりに近づいているんだなぁ。本当に速かった。
【1】一つの会社に勤め続ける30代だった。
 そんなの当たり前じゃないかと思われるかもしれませんが、20代の間、職を転々とし続けていた僕にとって、一つの会社にずっと在籍しているというのは結構不思議な事であり、感謝すべき事なのであります。30歳でメディアアーク、31歳からこれまでデジタルハリウッド。この2社に在籍させてもらい、今も在職中。ずっとご縁が続いて居る事が本当に有難い事なのです。メディアアークさんは在籍1年でも、いろいろと今までご縁を保ち続けてきました。
 そう、20代の頃に比べて、社会人の世界で長期的に付き合うことができるようになってきたのが30代でした。
 今更なんて低いレベルの話をしてるんだと言われそうですが、僕にとっては同じ会社に2年と居られない性格だったので、これは画期的な事なのです。
 なかなか気遣いが上手くなく、常に本心で本気でしか付き合えない社会性の欠片もない僕ですが、ここまで社会の一員としてやってこれたことがとても有難いです。
【2】病気と闘う30代だった。
 これもまあ、この10年を振り返るに避けて通れない話題です。家族の病気(うつ病をはじめとした精神障害)と闘いまくってきた30代でした。この1年に関しては僕そのものも疲弊して倒れてましたし(今は復帰してモリモリ頑張ってますが)。
 人の心がどこで傷つき、それを癒す為にどれだけの愛情を必要とするのか。そして身寄りがない地で暮らす事の危うさ。いろいろと自分の力量を試される事が多かったですし、そのどれにも応えられない自分が歯がゆい10年間でした。主に経済力ですけどね。やっぱり大家族、大一族を三代養える位の度量が必要です。(そう思うと上記1番と相反して、僕は事業を興さねばならなくなりますが)。
 同時に、ありとあらゆる方々の救いが心にしみる闘病期間でもありました(終わってないけど)。人ってやっぱり一人では生きてないのですね。30代で感じたことは、ホントそれに尽きます。
 自分が何故汲々としないで余裕を持った生活をしなければならないのか、金銭を稼いでなければいけないのか、家族を養ってないといけないのか、いまここで頑張ってないといけないのか。様々な事の理由が生まれてきた10年です。理由があるからこそ強くなったとも言えるし、理由があるからこそ20代程自由でもなくなったともいえます。そのどちらもふくめて、今の僕が居ます。
 そんな30代を過ごしてきて、いよいよ30代の集大成、そして青年期のラスト、もしくは壮年期の山場を迎えます。
 僕がこれからの一年、自分に思う事は「社会人として、大人として、人としての基本に立ち返れ」ということ。社会常識や知識、スキルといった事で人から大分出遅れてしまった僕ですが、あせっても身につかない。本道をしっかりやりなおそう。と。時間を守ったり、掃除をしたり。尊大にならず、謙虚に人に接する事、感謝の心を忘れない事。身近な人から大事にする事。それを改めて重要視していきたいと思ってます。
 そう、特に、ここ数年僕は尊大になってたと実感してます。「これだけ病気で苦しんどるんやからちょっとぐらい楽してもええやろ」「この僕に意見言えるんかコラ」といった心持ちが、どこかに少し会ったような気がします。下手に意固地になっていた、というか、自分の経験則だけで凝り固まっていた、というか。
 そのアタリを少しほぐして、改めて人としての初心者から、一歩一歩積み重ねていきたいと思ってます。
 と、同時に。
 もうすぐ初老を迎えるものとしては無謀かもしれませんが、ぼくはやはり「何者かである自分」になりたいと思っています。簡単に言うと、「名を成すもの」。
 給金をもらって仕事をしてるとき、ふと思ったんです。「あ、仕事ってのは裏方の僕が名をなそうとしないほうが全てが上手く行くんだな」と。まあ、事務方やってる人にとっては当たり前なのかもしれませんが。僕はそれでも「ヤマモトタスク」である事にこだわり続けてきたのです。それがぶつかる事も多かったです。今は、それに気がついて「何者でもない自分」としてサラリーマンを演じる事も大分慣れてきました。
 ですが、それだけで人生を終わる気は全くありません。中年になってお前は何を言ってるんだ、と言われそうですが、それでも僕は「何者か」となり名を成します。それがないと、つまらないじゃないか。
 父親になれるんならいいよ。父親というのは、まごう事なき、「その子の親」という素晴らしい名を成すわけですから。僕だってなりたい。なれるんならそれだけでもう充分なんです。でも、僕にはそれが出来ないのでね。その他のカタチで、この世に何かを残さなければいけないと焦燥感もあるのです。
 そんなことを考えながら、39歳の始めの夜を過ごしてます。
 やっぱり、背負うもの背負って、謙虚に、人生初心者として一歩一歩、名をなすものを目指して、頑張ります。
 ※多少酔っ払っており、悪筆乱文ごめんなさい。

ヒネクレもののためのFacebook

二次会で語り飲み。15年振りに来る店で閉店まで。
 ここのところ、飲み会続きでした。
 今年の前半は(訳あって)ほとんどお酒を飲む機会が無く、全くといって良いほどアルコールを口にしませんでしたが、この2週間は様々な方々と宴席を共にし、楽しい夜を過ごしてます。
 それはそれとして。
 様々な方と改めてお知り合いになったりしてる中で、またソーシャルメディアでの繋がりが増えてきたわけです。
 最近、僕はSNS「輔家」のみならずブログ、Facebook、Twitter、人人、微博、Orkut、foursquare、Instagram、Flickr、myspace、Mediamakerと半ばSNS廃人の態をようしていて、それぞれ更新になかなか時間かかっております。
 連携できるものはいいんですけどね。どこからも連携アプリが開発されない僕のSNS「輔家」だけは完全に孤立してる状態です。誰か作ってください。(それじゃこっそりSNSの意味が無いのか)
 それはさておき、SNS、特にFacebookについて。
 僕は相変わらず捻くれた性格の持ち主で世を拗ねたまま大人の年齢を迎えた少年なので、Facebookといえども自意識過剰でこだわった使い方をしています。ふと、自分がどんなルールをもってFacebookをしているのか、改めてたな卸しをしてみます。
1・料理と空の写真はアップしない。(例外有り)
 あまりに皆さん料理の写真アップしすぎです。お昼ごろはFacebookみるとお腹が空きます。あと夕方は空の写真多すぎます。いや綺麗なの。綺麗だと思うんですけどね。そんな王道的使い方を見ると僕は「ふん」と思ってしまうので、僕は料理無し空無しシバリで更新を試みるのです。ただこれだけは残しておきたい!と僕の心が西野カナばりに震えまくった料理などは例外。週に2回までOKということにしています。(それじゃ何も変わらないじゃないか)
 あと、子供。絶対自分の子供の写真アップしない。そもそも子供居ないけどさ。自分に子供が生まれたら、きっとすごく心動かされそうだけど、なんとか抗ってみようと思ってます。(ちなみに、かみさんとは「絶対に年賀状に子供の写真を使わない」という事で夫婦統一見解を出しています)自分に子供が生まれたら、たすく(生後456ヶ月)と書いて大々的に僕の顔を写した年賀状を送りつけようかと思っています。
2・写真は極力自分の愛機EOS 7Dから。
 SNS上ではiPhoneや携帯からの写真が多いですよね。当たり前ですそういう使い方を推薦されてるのですから。ぱっとカメラを出してさっと切り取る「ログとしての写真」というスタイルがどんどん広がってると感じます。だからこそ、僕はあえて「画作り」をやってみたいな、と。そのために、携帯カメラよりも自由度の高いカメラから様々な遊びをもくろんで(けしてクオリティが高くなるとは言わない)、それをPCからiPhoneに移して、えんやこらとInstagramに移し変えてFacebookにアップするというとんでもない手間を掛けるようにしています。これも皆さんのお手軽写真文化に対するアンチテーゼです。7Dで撮ったからって上手くなる訳じゃないんだけどさ。ただアンチテーゼの姿勢にこだわろうと思って。
3・時系列と場所は正しくない。再編集する。
 僕のこだわりに「Facebookは素の自分の今現在を表現するんじゃない、素の自分っぽい『演出した自分』を表現するんだ」というものがあります。これ多分ブログを書いてるときから自分自身で培ってきた僕なりのネットへの接し方なんだと思ってます。
 なので、Foursquareなどとも連携していますが、その当日に居なかったところにチェックインしたり、一週間前に撮った写真をアップしたり、その日に読んだものでない本を書評上げたりしています。
 でも、矢鱈めったらにしてるわけでなく、「今日僕はココにいてこんな写真を撮ってこんな本を読んだ事にしておくと次の日の話題に困らないだろう」などといった小さい計算高さをもって編集・組み立てしています。
そう、自分の人生を再編集して演出するということをやっているのです。
時間軸を入れ替え、アリバイを作り、悪いことを・・・じゃなかった、自分自身が疲れない程度に、自分にとって良かった過去を作り出しているのです。そしてそれを人に見てもらってるうちにいつの間にか自分の過去と勘違い始めるのです。そして僕の過去は幸せに満ち溢れたものになるのです。
4・コメントはちゃんとお返しする。
 Facebookになってからか、お互いにコメントや「いいね」に対する敷居が下がってきたのでしょう、いろいろコメントを頂いたり、送ったりする量が増えたと思います。
 しかし、昔のネットに比べて、コメントに対する返信をすることが少なくなり、コメントが流れっぱなしになってることも多いと思います。
 ココであえてコメントお返しを礼儀とすることで、差別化を図ろうかな、と。ええ、当たり前のことなんですけどね。時々うっかりしちゃうんですけど。ごめんなさい。
5・「いいね」より「コメント」を多用する。そしてなかなかお会いしてない人ほどコメントする。
「いいね」はあまりにも楽なレスポンスなので、Facebookでは多用しがちですが、結局誰からどんないいねをもらったかなんて覚えてないんですよね。そこには「僕はこの書き込みを見てこう思いました」なんて思いも伝わらないわけだし。
 という訳でここも差別化。みんなが「いいね」を多用するんだったら、僕はコメントを送ろうじゃないか、と。極力「僕はこう思った」という意思を伝えるようにしていきます。そして、なかなかお会いできない人ほどマメにコメントする。というのは、正直いつも会える人とFacebook上でコミュニケーションする必要って無いと思うんですよね。改めて会うことの少ない人と「緩いつながり」を構築するのに適したツールだと思いますので。
 なので、10年前の同僚や学生時代の後輩など、10年近くお会いしてない人と遠からずうっとおしがられない程度のやり取りをするように心がけています。
 などなど、相変わらず捻くれて暑苦しい男だな僕は、と思いますが、こんなことを考えながらFacebookを使ってます。その他のSNSについてはまた別途。それぞれにコダワリがありますので(あるのかよ)。

叱る

Sullen
 叱るという行為は本当に難しい。
 僕の世代だと、子供が小学生~中学生になっていたり、職場で部下が増えている方も多いので、もっと早くにこの経験をしている人も居ると思う。ただ、僕に限っては、あまり人を叱る立場にならずにこの年まで来てしまった。多分、こういう立場から逃げていたのだと振り返る。うまくその立場をかわしながら、社会に居る大人としての責任を取らないように立ち回ってきたのだと思う。
 そんな僕でも、最近、仕事の上で人を叱らなければいけなくなった。
 どうしても僕からその人の気の緩みを伝え、このままじゃいけないぞ、どうするんだ、という事を伝え、もっとしっかりしろ、という事を伝えなければならなくなった。伝えるタイミングもすごく迷ったし、伝え方もいろいろシミュレーションした。というか正直、気が重かった。
 でも、叱るというのは僕の感情で行うことではない。あくまでも、その人に気づかせ、律するきっかけを与える行為なのだ。それが業務上で良い結果につながれば幸いだし、その人にとっても何か生き易く、幸せになる機会になれば僕にとってもこれ以上嬉しいことはない。
 むしろ、こちら側に迷惑がかかったから叱る、とか感情的に嫌だから叱る、という訳にはいかない。それなら排除するか改善策を実行すればいいだけなのだから。
 だからこそ、心を鬼にして、厳しい顔をしなければならない訳で。
 ああ、僕を叱ってくれた人たちも、こういう気持ちだったんだろうなぁ、と内省する気持ちも沸いてくる。
この立場になって初めてわかる親心。いやまだ子供いないんだけどさ。僕をいろいろ叱ってくれた皆さんの想いが、痛いように刺さってきました。
 両親はもちろん、yaguchiさん、ogawaさん、hiroさん、niwaさん、tokoさん、その他お世話になった方々・・・走馬灯のように思い出されます。って、僕はまだ死にませんが。
 実際に叱ってみてわかること。
 本当に心から思ってないと、言葉にならないし、その人に刺さるものにならないのですね。
 どもってても、片言でもいいから、ちゃんと相手に対して誠実に叱らないといけない。今回、僕がそれをできていたかどうかは解らないけれど。伝わってなければ、僕の責任でもう一度伝えなければいけない。
 これ、相手がかみさんとなると、なかなかこうは行きません。人生を共に歩む人には叱るという行為自体に、内省に含まれてしまうので、純粋に相手を想って叱るという行為ができないのです。社会に出ていて初めて経験できる感情、行為です。無論、子供が居たら、家庭でも絶対に通る道なのでしょうが・・・。
 そろそろ40代も近いというのに、まだまだ大人として経験しておかなければならない事が残されているなぁ、大人にならないといけないなぁ、というのが本日の感想。だれかこんな僕を叱ってください。

42歳までに知ることになる、22歳の自分に教えてあげたい12のこと・10~12

 ずっと前にやり始めて、終わらせてなかった。コレです。
42歳までに知ることになる、22歳の自分に教えてあげたい12のこと・1
42歳までに知ることになる、22歳の自分に教えてあげたい12のこと・2
 残り3問ほったらかしのまま、1年近く経っちゃいました。ごめんなさい。
10. 友人とのつながり
 それは今でも大事にしてると思う。つか、大事にしすぎ。むしろ依存。
 依存と大事にすることはまるで違う。それに気づくのはだいぶ経ってからなんだよな。
 曰く「金の匂いがしない」「金を信頼して任せる気がしない」といわれる僕ですが、それはそれとして、損得や見得と関係ない、信頼の置ける関係性、それだけを基調に生きてきたといっても過言ではない。
 
 もちろん僕だって人間だし、更に言うと駄目人間の部類にずぶずぶに浸ってしまう側の人間だから、繋がってもらえてる相手側からしたら迷惑な話かもしれないけど。また大事にしてると思うのは自分の自己満足かもしれないけど。約束守ってるとはあんま思えないし。義理果たしてるとも思えないし。どう見ても大事にしてるとは言いがたいかな。駄目じゃん。わはは。まあ、良いか。
 でも、人と接する中で、大事にしておかないといけない意識、は持っている自覚はある。
 それは、思いがけないほど、人は傷つくし、復活に時間が掛かるし、プライドがある、ということ。
 22歳の自分に言いたいコト。君のプライドやバランスとは他人は違うから、「自分だったらどうするだろう」でモノ考えちゃだめ。全く当てにならないから。君の考え方、良くも悪くも人と違うから。人はもっとお金を大事にするし、身の回りのことに丁寧だし、適当じゃないから。君の100万倍丁寧だから。
 あとその寂しがりの癖。他人はもっと自立してるから。自分が寂しいから他人も寂しいだろうで判断すると、距離感誤るぞ。
11. 給料が高いだけの理由で仕事を引き受けてはいけない
 そもそも給料の高い仕事を引き受けたことが(以下略)。
 給与、お金、というものに対して、それは「大きくなってから結果として自分に帰ってくるだろう」という意識を持っていた。持ったままはや30代後半。いい加減、返ってこいよ。そもそも大きくなってから、なんて自分が成長する前提で考えてることがおこがましい。
 そして、その考え方が、間違ったことをしていたとは思わない。でも、もう少し早くリターンを得るコトを意識しても良かったんじゃないかな、と思う。得たリターンを更に自己成長に使うサイクルをまわしていれば、少しは変わった成長を遂げられたのかもしれない。その意味で、22歳の自分には、もっとお金にがつがつしてもらいたい。
 全く何も出来ない自分として、今と昔、代わらない武器といえば唯一つしかない。回復力、それだけだ。22歳の自分はその武器に早く気がつけ。フットワークが軽いなんてニンマリしてる場合じゃない。もっと軽く、もっと傷つけ。おまえは傷ついてもすぐ復活できるのだから。びびってんじゃない。そして馬鹿だから。修羅場に入って傷つく以外の方法では何にも気がつかない馬鹿だから。もっと動け。死にそうになれ。馬鹿だからすぐ復活できるから。それだけだから、君の能力。もっとその長所を生かせ。そして、そのリターンを死に物狂いで手に入れろ。
 タイトルとむしろ真逆のような結論だけど、実際はそんなに間違ってないと思います。
12. 信用はしても確認をする
 あー。無確認野郎。これは今でも直さないといけない。信頼する=確認しなくていい、いいじゃねえか俺とお前の仲なんだから。これすごい危険。そして何より怖いのが、まだこれで痛い目を見てないこと。20代で痛い目見るのと40代で痛い目見るのは大きく違うという認識はあれども、まだこの怖さを肌身で感じてないゆえ、どこかで裏切りやねたみそねみひがみといった信頼を転覆させる事変が起きる可能性がある。それは22歳の自分どころか、今の自分にさえ言い聞かせないといけない。
 確認をする。それだけでいろんなことが解るんだ。その一言だけ。それだけを22歳の自分に伝えます。それ以上は、僕もいえない。一緒にこの世の中で勉強していこう。

新宿

新宿
 僕が富山から上京してきたのは1992年。今から丁度20年前だ。
 この間、ほんの少し地元に戻っていた事はあるけれど、概ね東京か、その近隣で生きてきた。
 いろいろなところに住処を構えた。荒川区西日暮里、今は無き保谷市柳沢(現・西東京市)、文京区目白台、千葉県市川市。
 上京した当時、東京を象徴する都市は「新宿」だった。僕にとっては新宿を自由に活動できることが東京人としての粋なんだと思っていた。
 当時の新宿はまだ副都心も出来ておらず、まだまだこれから発展する気概に溢れ、またバブルが終わる寸前でもあったため(経済学的には終わってたらしいが、まだまだ浮かれていたように思う)、おどろおどろしいほどに華やかできらびやかだった。狂乱の宴ここで行われり。五木寛之の「青春の門」や筒井康隆の東京論、ゴールデン街での乱痴気話に憧れた身、北陸の奥田舎・富山から出てきた若造にとっては、これ以上の刺激的世界は考えられなかった。
(とはいっても、軟弱な若者が行ける新宿なんてゲームセンターやマクドナルド、新宿書店くらいしかなかったんだけどさ)
 大学時代は池袋から新宿がホームエリアだった。デートの待ち合わせはいつも高田馬場駅前ビッグボックスだった。新大久保で深夜の飲食店バイトにも精を出した。煙草臭い新宿の雀荘で寝泊りしたこともある。ギラついてネトついた僕らのバイタリティは新宿近辺が大体発散させてくれた。渋谷や六本木は、どちらかといえばライバル大学のホームタウンだったので、なんとなく敬遠していた。勝手に僕らがそう思ってただけだが。
 でも、代々木を越えるとケバだたしさが明らかに薄れていた。六本木・渋谷は、成熟した大人か、または高校生や中学生の街、僕らバイタリティだけの塊である大学生にとっては似つかわしくない街だった。当時はまだITという言葉も無く、渋谷が急成長して今の姿になるよりずっと前だった。マークシティは影も無く、渋谷パンテオンがランドマークだった。
 こう書くと「山本さんは昭和初期の人間だから」と言うヤカラが必ず居るので、何度も言うが僕は90年代以降の東京しか知らん。東急にロープウェイが通ってたのとか見たこと無いから。安田講堂事件とか三島割腹とか生まれてないから。知らんからね。
 話を戻して。
 先日、そんな新宿に久々に出かけてきました。
 今も変わらず新宿の街はケバだってると感じることはあるけれど、ある意味、落ち着いた、と思いました。90年代初頭に感じた新宿の勢いは、その後渋谷に行き、秋葉原に行き、今は墨田・・・に行くのかな。勢いは移ろいで行くものと思いますが、とうの昔に嵐が過ぎ去った街。そして静かに、でも個性溢れる豊穣な街。新宿は、過去に栄華を誇った街のたたずまいを、節度をもって守っている街、と感じます。
 写真は、夕暮れとスタジオアルタ。
 アルタといえば待ち合わせ。新宿東口は90年代の上京モノにとってのランドマークでした。スノッブで悪かったな。田舎モノと言いたければ言え。
 立ち並ぶものはそれほど変わってませんが、それでも、空気はやはり違いました。あの時には感じられなかった、清涼な風が新宿に流れてました。うん、もっとギトギトギラギラした油臭い新宿は、もうないのですね。
 
・・・あれ、それだけじゃないや。MyCityってもう無いんだっけ。掲示板にXYZとか書いてない?ヴァージンメガストアもないんだっけ。

読み力

 読書について、思うところがあります。
 頭の中に情景が浮かびどんどんページが進み完全にストーリーの中に没頭出来るときがあるかと思えば、どこまで進んでも没入できず、ただ字面を追うだけで話に引き込まれないなんて時があります。
 もちろん本によってもその文章の美しさや内容によって引き込まれ方は全然違うのですが、それ以前に受けて側の自分、に、左右されることがあるのです。
 A,B,Cと、作者も内容も全く違う本を読んでいても、ただとにかく惰性と慣性だけでページをおい、どの登場人物がどの本に登場してたのかわからなくなり、話も混乱しまくってしまうという事があるかと思えば、どの話も没入しっぱなしで現実世界に戻ってこれない、ニートの出来上がり、という事もあるわけです。
 ややこしいことを書いてますが、まさにちょうど今自分がその境界線から反対側に移動した瞬間を感じたのです。うん、パチッとスイッチが切り替わるような。言葉の追い方を思い出したというか、ドラクエ的に「やまもと は クラスチェンジした」ような。どっちが上下、というものはない世界ではあるのだけれど。
 最近は古い名作月間という事もあり(自分的に)、国の内外問わず古い作品ばかり読み漁ってるのですが、その中に、2年前に読んでた「鷲は舞い降りた/ジャック・ヒギンス」があったのです。今更というところなので紹介は控えますが。
 以前に読んだこともあるので、話の筋も内容も良く知っていたのですが、昨日まではもうなんだか、ただ右手に本持ってます、の状態で、ただひたすら小学生の朗読のように文字を追いかけてました。
 それがさっきの風呂場で(僕は風呂場で本を読みます。なので古本を購入しまくる癖がついてます)いつものとおり読書してると、これがまあ頭に入る入る。物語にジャックインする感覚があったのです。
 物語が佳境に入ってきたからかなー、とも思ったのですが、そばにある雑誌を読んでも、専門書を読んでも、今までとはちょっと違う様式で頭に留まるようになりました。
 読書は能動的な行動だ、とも言われますが、読書にはトレーニングがある程度必要だと、改めて感じました。それこそ語学や数学と同じように。
 どんな本でも一定で読みきれるかといえばそんなわけも無く、ある程度本読みに慣れ親しんでないと読めない本もあるし、その逆もあります。読書家の皆さんからすると何を今更、なお話ではありますが。
 いや、当たり前のことなんですが、この能力って、自分の体力や体調によっても、かなり能力が上下するものなんですよね。で、それをわきまえずに自分の趣味で本を選んでると、全く能力不足の本をただ惰性で追ってるだけの状態(それはそれで価値のあることもあると思うのですが)になったりするのです。でも、せっかくだから、楽しい読書時間を持ちたい。その意味では、自分の読み力にあった本を楽しみたい。で、そのためには自分の読み力をある程度把握しておきたい。
 それがなんか一つ、クンと眼が覚めたような感覚が最近あったので、とどめておこうかなー、なんて思った次第でございます。
 むしろココのところが読み力を失ってた、というのが適切なんだろうな。なんでヒギンスの小説すら読めなくなってたんだ。むしろその能力低下の方が心配だ。

今日でサイト開始から十二周年。

as a snake
 1999年12月26日、僕はこのサイト「RoyalScam」をはじめました。
 それから12年、よくまあ飽きずに続けてこられたものです。おめでとうありがとういやもうどういたしまして。
 誰が読んでるかまるで気にせず、時に「読んでますよ」と言われたらうろたえ、「え、そんなサイトやってるんですか?」と言われたら寂しくなり、SEOもコンテンツ充実も一切気にせず僕の20代後半からの不埒放蕩三昧をただただ垂れ流すだけのサイト。時代はテキストサイトからブログ、Twitterを経てソーシャルメディアへ。僕はただひたすらぐちぐちとこの場を離れず書きなぐるだけ。
 人間の一生なんてほんの数メガバイトにしかならないものなのですね。スーパーファミコンのカセット一つに入ってしまいそうな僕の半生。
 12年、干支まるごと一つ分です。その間なにやったかとかもう振り返るのすらやりたくない。
 明日に向かって這いずり回るのみです。生き抜くよ。

気狂いピエロから始まる連休

 少し、長い休みに入る予定です。
 ここのところ、ひたすらに寝ています。これでもかというくらい。人間はどこまで眠ることが出来るのでしょうか。
 長年、かみさんの病気に付き添って居たことからも、睡眠が人間の精神にどれだけ安定をもたらすかは良くわかっているつもりでした。とにかく、心が穏やかじゃなくなったら、ガンガン寝る。それだけで人間は落ち着きます。いや、本当に。
 人間、少し心が傷ついたら8時間ほど睡眠を取るのが一番だと思います。何より睡眠不足は良くない。精神のどこかに軋みが出てくるものと思います。
 寝るの好きなんですよ。どれくらい好きかっていうと、朝起きてご飯食べたらまた布団に入って熟睡するレベル。24時間中今は22時間くらい寝てるのじゃないだろうかと思います。たまたま起きてる時間にブログ書いてますが、夢うつつのまま布団の中でもiPhoneとケーブルテレビのリモコンと電気毛布のスイッチとエアコンのスイッチ、お茶のポットと茶菓子は全て手の届く範囲に常備されてます。
 そのまま起きなくても生活が出来るのではないか、80日間世界一周ならぬ80日間布団から出ない、なんて生活もできないものかと真剣に考えてます。睡眠は本当に大事です。みなさん、生きてる合間に休憩のために睡眠を取るのではなく、睡眠を取ってる間が生き様で、たまたま余った時間で身体を縦にしているだけではないでしょうか。
 ともあれ、睡眠を十分に取る、その十分の範囲って、今の社会人が考えてるレベルでは足りないのじゃないかと思ってます。
 一日8時間?とんでもない。それだと普通に一日生活した分の体力を復活させるだけで精一杯です。その間におきたトラブルや、心の傷、ショック、驚き、そういったものを身体にならすことを考えたら、一日のうち24時間は寝てないと身体がもたないと僕は考えてます。うん、一日起きて一日寝るレベル。ちなみにうちのかみさんは5年くらい寝たら身体が動き出しました。そういう事例をみてると、睡眠が与える影響ってもっと真剣に体に与える環境を作らないといけないのではないかと思っています。
 てなわけで、ココのところ、連休はひたすら睡眠。ひたすら熟睡。ひたすら安眠。たまにケーブルテレビつけて映画見て、本読んで、ネットして、の毎日です。
 睡眠の合間にたまたま見たのが「気狂いピエロ」ゴダール監督の名作です。僕も5回くらい見てる計算です。(でも前見たの15年ほど前だけどね)
 この映画を消化するのにも、また睡眠が必要です。いや、これこそまさに睡眠の中で映画を堪能しなおすくらいの勢いです。
 気狂いピエロから始まる連休。なかなか楽しげなものです。